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第10話「追跡者、黒衣の影」
しおりを挟む村の異変は、ライゼンたちの手によって鎮められた。
原因は不明の“転写核”──禁術級の魔導装置。
それが誰の手によって設置されたかはわからず、村人たちはただ安堵しながらも、恐れを拭いきれずにいた。
そして、帰還した翌朝。
ラシェルの冒険者ギルド──その簡素な木造の建物には、まだ朝靄の名残が漂っていた。
「つまり、魔物の発生源は“人為的”だった、ということか」
ギルド受付の男・ハイルが、深く渋面を作る。
ライゼンの報告を受けたその顔は、重く曇っていた。
「……あの村はもともと静かな場所だったんだ。誰が、なんのために……」
「わかっているのは、“魔法を扱える存在”が動いているということだけだ」
ライゼンは冷たく告げる。
背後では、リィナたち三人も真剣な表情で控えていた。
彼女たちの報告も、同じ結論に至っている。
禁術級の装置、暴走する魔力、そして“意図的な設置”。
この小さな事件の裏には、ただならぬ影が蠢いている。
「……ありがとう。ライゼン。それに、お前たちも」
ハイルは深く頭を下げた。
その声には、いつも以上の緊張が混ざっている。
「この件……王都にも報告しておく。お前たちも、しばらく警戒して動いてくれ」
「分かっている」
ルークが代表して答えた。
その声音には、かつての彼にはなかった重みが宿っていた。
リィナは一歩ライゼンに寄り、少し首を傾けて言う。
「ねえライゼン。……ちょっと疲れてない? 休もっか」
「……不要だ」
「いーから、ほらっ! ね? ギルドの食堂でパンでも食べよ!」
引っ張られるようにして連れていかれるライゼン。
後ろからセリアが小さく笑って囁く。
「ふふ、強い人でも、休息は大事なのよ」
そんな日常のような一幕が、束の間の安らぎを演出する。
だがその裏で──別の歯車が静かに回り始めていた。
◇ ◇ ◇
同じラシェルの街の、離れの小道。
人通りのない裏通りに、黒衣の影が一つ、壁に背を預けて立っていた。
顔の半分をフードで覆い、表情はうかがえない。
「……“転写核”は破壊された、か」
呟いた声は男のものだが、不思議なほど感情の波がなかった。
「予想よりも早い排除。対象……“ヴァルメル出身者”。想定よりも高性能。排除優先度、第一級に引き上げ」
右手の中に、黒い魔石が浮かび上がる。
その中に、淡く赤い光──“命令”が浮かぶ。
「始末する。任務、継続」
次の標的。
それは、あの異国の男──“ライゼン・ヴァール”。
◇ ◇ ◇
一方、ギルドの食堂。
木造の簡素な机に、パンとスープが並ぶ。
リィナは口いっぱいにパンを頬張りながら、ライゼンの隣にぴたりと張りついていた。
「うーん、やっぱりラシェルのパンは最高だね! ねっ?」
「……噛みながら喋るな。こぼれている」
「へへ、ごめんごめん!」
セリアは苦笑しつつも、楽しそうにその様子を見守っていた。
ルークはパンをかじりながら、ふと呟く。
「しかし、ライゼン。お前がヴァルメル大陸……だったか、?から来たって話……まだあんまり聞いてなかったな」
「……話す必要もない。終わった土地だ」
その冷たく切り捨てるような声に、空気がわずかに沈黙する。
だがセリアが静かに言った。
「そうね。でも、もしも……何か“戻らなきゃならない理由”ができたら、言ってね」
「……?」
「私たち、きっと一緒に行くことになるから」
それは、確かな“信頼”だった。
ライゼンは小さく黙り──だがその目が、ほんの少しだけ、優しくなった。
その時だった。
ギルドの扉が、バン! と勢いよく開く。
「冒険者の皆さん! 緊急依頼です! たった今北の街道で、謎の襲撃者が……!」
新人だろうか、見た事の無い女性の受付嬢が駆け込み、大きく息を切らしながら叫んだ。
「……やれやれ、また休む暇はなさそうだな」
ルークが苦笑しながら立ち上がる。
ライゼンも、すっと立ち上がった。
「敵の詳細は?」
「全身黒衣、素顔不明。単独行動で、かなりの実力者……!」
「……黒衣、か」
その言葉に、ライゼンの表情が、わずかに鋭くなる。
(俺を、知っている気配……。そうか、“繋がっていた”か)
すべては、まだ始まったばかり。
だが、彼は決して引かない。
どんな敵が来ようとも、どれだけ過去が襲いかかろうとも──
彼は、戦い、生き延び、守る。
それが、“守護者”ライゼン・ヴァールの、生き方だ。
◇ ◇ ◇
ラシェルの北、街道沿いの丘陵地。
そこは本来、商人や旅人が行き交う平和な通りだった──昨日までは。
「……血の跡があるな」
ルークが低く呟き、地面に指を走らせる。
光を赤黒く反射する血痕が、草むらに点々と続いていた。荷車の車輪跡と、斜めに折れた木の枝。
明らかに、ここで“何か”が起きた痕跡だった。
「おそらくさっきギルドで聞いた奴よね。黒い服の襲撃者が、前触れなく商隊を襲ったって」
セリアが慎重に魔力の残滓をたどる。周囲に漂うのは、鋭く研ぎ澄まされた気配。人の魔力ではあるが、ただならぬ“癖”がある。
「待って。……これ、魔導の痕跡じゃない。魔術じゃない、もっとこう……機械的っていうか、無機質な……」
「転写核と似た感触だな」
ライゼンの言葉に、セリアが顔を上げた。
「わかるの? あの魔力……普通じゃなかったわ」
「あれは……俺の故郷“ヴァルメル”にも、近い雰囲気の技術があった。前の記録書にも記されていた“人を武器にする”ための技術だ」
それを聞いたリィナが顔を強張らせる。
「つまり、それって……その襲撃者ってやつ、普通の人間じゃないってこと?」
「ああ。感情の希薄な“殺人の道具”。そう育てられた可能性がある」
「…………」
沈黙が場を支配する。風が草を揺らし、太陽だけが無垢に照りつけていた。
「来るぞ」
ライゼンが低く告げた。
次の瞬間──“風”が裂けた。
まるで空間を断ち切るような鋭い音。
「っ……!」
ルークが反応し、剣を抜くより早く──“影”が眼前に現れる。
全身黒ずくめ。顔は仮面に覆われ、指には刃のような金属の爪。
──速い。
影はルークへ向かって無音で踏み込んだ。
「ッ! “風裂”!」
だがルークも即応。風を纏った一閃が、敵の爪と交錯した。
火花が飛ぶ。
「二対一だよっ、そっちばっか見てたら──危ないよ!」
リィナが素早く矢を射出。三連射の矢が連続して影に迫るが、全てギリギリで躱される。
「動きが人間じゃない……!」
セリアが魔法を詠唱する隙もない。影の“圧”がそれほど凄まじい。
そして──
ドッ。
空気が揺れる音。
影が急停止する。
数メートル後方、いつの間にかそこに立っていた男が、手に装着された鉄の爪を静かに構えていた。
漆黒の瞳。微動だにしない佇まい。
「やっと……見せたな」
ライゼン・ヴァールが、静かに口を開いた。
「……お前は“ヴァルメル”の者だな」
影は一言も発しない。ただ姿勢を低く構え、突進の体勢を取る。
「ならば──問答は不要か」
その声は凍てつくような冷たさ。
ライゼンが剣を抜いた。刹那、風が逆巻く。
「“屠る”」
誰よりも早く動いたのは、彼だった。
一歩、踏み込み。
地形を読み、相手の足の運びを分析し──
「……左足の踏み込みに0.3秒の遅れ、重心は前傾、武器の長さは俺の半分」
冷静に、静かに──敵を分解するように分析しながら、ライゼンは剣を振るう。
刃が火花を散らし、影の爪を正面から弾き返す。
そのまま一歩、踏み込む。
「ッ……くっ!」
ルークが息を呑む。
先程まで翻弄された相手が、まるで小動物のように扱われている。
「……動きが、読める……の?」
セリアが信じられないように呟いた。
だがライゼンの目はただ一つの真理を見据えている。
「……戦いとは、“慣れ”だ」
剣が風を切る。影は応戦するも──次第に動きに“迷い”が出る。
それを見逃すライゼンではなかった。
刃が一閃。仮面を割った。
その下から現れたのは──若者の顔だった。
目に光はなく、瞳孔はわずかに開ききっていた。
「……強化洗脳か。完全に兵器として育てられたな」
ライゼンの剣が、その右肩を貫く。
影の身体が地面に沈むと同時に、仮面の内側から“蒸気”のようなものが吹き出し、体が崩れていく。
「自壊──っ、情報の消去……?」
セリアが駆け寄ろうとしたその時には、すでに男の体は煙のように消えていた。
「……まるで、最初から“存在しない”ように」
リィナが唇を噛む。
ライゼンは黙って剣を収めた。
そして、誰にも聞こえない声で呟いた。
「俺を追って来たか……“あの国”が」
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