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第22話「黒の囁き」
しおりを挟むギルド本部の建物は、昼下がりの光に照らされていた。王都の喧騒が少し遠ざかり、建物内の空気はどこか張り詰めているようにすら感じた。
「……じゃあ、報告、行こう」
リィナが背中の弓を軽く揺らしながら言う。セリアとルークもそれに続くが、ライゼンはしばし建物を見上げたまま、動かなかった。
「ライゼン?」
「……ああ。行こう」
その声に微かな棘を感じたのか、セリアはふと眉をひそめた。
受付で報告の旨を伝えると、すぐに中級ギルド管理官の一人が現れた。名はセイド。眼鏡をかけた細身の男で、記録帳を抱えている。
「エルディア大聖堂跡地の再調査報告……ですね。こちらの応接室へ」
一行は通された部屋で、円卓を囲んで座る。
セイドは椅子に腰を下ろすと、記録帳を開き、手元の羽ペンを滑らせながら尋ねた。
「では、昨日の再調査の結果について、順を追ってお願いします」
セリアが視線でライゼンに合図する。ライゼンは静かに頷き、口を開いた。
「――跡地の周辺、丘の一部を切り崩すと、そこから“黒く染まった魔石”を発見した。詳細な魔力分析は不能。だが、周囲の空気は瘴気に汚染されていた」
「黒く染まった……魔石?」
セイドの手が止まる。その目に、一瞬だけ警戒の色が走った。
ライゼンは続ける。
「瘴気の中心にあったのは、あれだ。魔物の出現時と、魔石の魔力波長には一致が見られる。瘴気の源の一部と見て間違いない」
セイドが黙り込み、記録帳を閉じる。
「……分かりました。では、その魔石は?」
「――持ち帰っている。封印処理はセリアが施した。渡そう」
ライゼンは懐から割れた魔石の一部を取り出す。セイドはそれを丁寧に受け取ると、魔力を確かめるように慎重に手のひらで撫でた。
「たしかに……尋常ではありませんね。この件は、上層部に直接報告されるでしょう」
その声の裏にある緊張を、ライゼンは見逃さなかった。
だが、彼は表情を変えずに座ったままだ。
「それと……何か他に異常は?」
リィナが目を伏せた。
「……うん。なんというか……風も空気も、生き物の気配すらも、消えていくような場所だった。怖いっていうより、“消されてる”感じがしたの」
セリアが静かに言葉を足す。
「瘴気の広がり方が、自然じゃないの。誰かが、意図的に“発生源”を仕込んだような……」
「ふむ……」
セイドの反応は薄い。ただ、書類にペンを走らせる手はどこか早かった。
ルークが低い声で問う。
「……ギルド本部は、この“瘴気”の件をどこまで把握している?」
「……その答えは、今の私の立場からは申し上げられません」
その瞬間、空気が凍った。
だが、ライゼンは立ち上がる。
「ならば、我々の任務は“ここまで”ということだ」
「ちょ、ちょっとライゼン……」
セリアが止めようとしたが、その背中からは焦りよりも、確信が感じられた。
ライゼンは扉へ向かいながら、一言だけ残す。
「セイド殿。今の王都には、“誰か”が瘴気を操り、意図的に魔物を引き寄せている存在がいる。……その片鱗は、既に現れている」
セイドは反応しなかった。ただ、小さく眼鏡を押し上げただけだった。
扉を閉じて外へ出ると、沈黙が一瞬、四人を包んだ。
「……言い切ったね、あれ」
リィナが小声で言う。
「言うべきだったさ。向こうが隠してるなら、なおさらな」
ルークが頷く。
ライゼンは、遥か東の空を見つめていた。
「……隠している。ギルドの誰かが、じゃない。“何か”が、王都そのものの中にある」
その言葉が、午後の静かな光に溶けていく。
◇ ◇ ◇
ギルドを出たあとも、四人の間にはしばしの沈黙が続いた。
午後の日差しは、石畳をじわりと照らしながら、王都の表情をより鮮明に浮かび上がらせていく。だが、ライゼンの瞳には、街の表面よりも――その“裏”が映っていた。
「……ついてきてるな」
ライゼンが低く呟いた。
セリアが即座に目を細める。
「私たちを誰かがつけてきてる、ってこと……?」
「あぁ。――足音も、気配の出し方も、素人じゃない。少なくとも二人。ひとりは……屋根の上」
リィナの表情が険しくなる。
「まさか、ギルドの……?」
「わからん。だが、ギルドの外にまでつけてくるなら、“個人の判断”じゃない可能性が高い」
ライゼンは一瞬だけ、背後の路地へ視線をやった。だが、足を止めることなく、進み続ける。
「罠……かもな。わざと関わる必要は無いぞ。」
とルークが低く言う。
「それでも、やるのか?」
「やる。――尻尾を掴めるなら、な」
ライゼンのその言葉に、誰も反論しなかった。
王都の喧騒が一瞬、風に押し流されるように遠ざかる。路地裏の一角、ライゼンはふと足を止めた。
「ここが良さそうだ。誘いに乗ってくれるといいがな」
すぐに気配が動いた。屋根の上にいたひとりが、一瞬の跳躍とともに地上に降り立つ。黒い外套を羽織り、顔の大半を覆面で隠したその男は、無言のまま短剣を構えた。
「名を名乗る気はないようだな」
ライゼンがそう言った瞬間、男が地を蹴る。刹那、鋭い殺気が走る。
――しかし、それより速く、リィナの矢が男の足元を射抜いた。
「逃げさせないからね……!」
男は一瞬バランスを崩すが、即座に体勢を立て直し、もう一人――屋根の上の仲間に目配せを送る。
だが、すでにそこにはセリアの詠唱が届いていた。
「《グラヴィティ・ケージ》」
漆黒の重圧が空間を包み込み、屋根の上の影を地面へと引きずり落とす。激しい音とともに、もう一人の刺客が瓦礫の山に沈む。
ルークがその横に立ち、剣を構えたまま、静かに言った。
「無理に動けば、切り落とす」
ライゼンは短剣の男の前に立つ。
「話してもらうぞ。お前たちは……“誰の指示”で動いた?」
「……知らねぇよ。俺たちはただ、“命令”に従ってただけだ」
「命令? 誰からの?」
「名も知らねぇ。“仮面の男”からさ」
仮面の男。
ライゼンの目が細められる。
「どんな仮面だ?」
「……金属製。黒くて、右目のところに……刻印があった」
セリアが息を呑む。「刻印……?」
「“門”だ。円環に、鍵穴の意匠」
その瞬間、ライゼンの記憶がひとつの像と重なった。
――かつて、ヴァルメル大陸で見た、失われた遺跡の中。そこに残されていた古代の紋章と、酷似していた。
「まさか……“門の使徒”か……?」
ライゼンが低く呟く。その言葉の意味を完全に理解できた者は、まだこの場にはいなかった。
「セリア。念のため、こいつらの記憶を一部読めるか?」
「……やってみる」
セリアが男に近づき、掌を額に当てる。
「《記憶共鳴》」
微かな光が走り――すぐに、セリアの顔が凍りついた。
「……見えた。“仮面の男”……あの魔石の埋設を“命じていた”のは……」
彼女は言葉を失い、ライゼンを見た。
「服装的に……王都の上層部――その一人だった」
その言葉に、一同の空気が変わる。
――瘴気は、王都の外ではなく、“中心”から発せられていた。
そして、それを隠していたのは――ギルドですら手を出せない“内部”の者たち。
ライゼンは静かに言った。
「……次の標的は、明らかだな」
王都の陽が陰り始める。
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