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第26話「継承者と歪んだ玉座」
しおりを挟む――重力が、逆さまになっている。
意識が浮かぶ。身体が落ちる。足元の大地は存在せず、ただ“空”だけが眼前に広がっていた。
だが、その“空”は――歪んでいた。
青でもなく、黒でもなく、無数の“目”のような模様が、空全体に蠢いている。
「……ここが、“門”の向こう……」
ライゼンが呟くように言った。
彼らは《サン=アルカナ》の門を通過し、ついに“世界の裏側”――異界へと到達していた。
◇ ◇ ◇
リィナが、ぐらつく足を踏ん張って立ち上がる。
「重力、変……っていうか、身体の感覚が、ちょっと変……!」
ルークも眉をひそめながら、剣を構える。
「魔力の流れも逆転してる……ここじゃ、まともな戦いは出来なそうだな」
セリアは慎重に周囲の魔力を探る。
「ここの魔素密度……常識外れよ。生物が存在できる環境じゃない」
ライゼンは、ひとり無言で前を見る。
彼の視線の先――そこには、巨大な《門》があった。
だがそれは、さきほどの祭壇の“門”とは異なり、明確に“人工物”だった。
複雑な紋章に彩られた円環状の石造。その中央には、“誰かの顔”のような浮彫が刻まれている。
「……笑ってる」
リィナがぽつりと呟いた。
確かに、その顔は――口角を歪め、不気味な笑みを浮かべていた。
「これは……“門の支配者”の象徴かも」
セリアが目を細めて言う。
その時、空間が震えた。
耳鳴りのような重低音。大気そのものが唸るような感覚。
次の瞬間、空に浮かんでいた“目”のひとつが――こちらを向いた。
「っ……!」
リィナが反射的に矢を構えるが、その“目”は一瞬で消えた。
「監視されてる。……この空そのものが、“意志を持ってる”」
セリアの言葉に、ルークが歯を食いしばる。
「早く動いたほうがいいな。長居したら、頭がどうにかなりそうだ」
◇ ◇ ◇
ライゼンが静かに歩き出す。
足元の大地は“石”のように見えて、踏むたびに波打つ。
「……この先に、“核心”がある。俺にはわかる。あの門を越えた先に――奴らの根源がいる」
そう言って、ライゼンは《門》へと向かって歩みを進める。
リィナたちも、それに続いた。
◇ ◇ ◇
《門》を抜けた先――そこは、巨大な玉座の間だった。
だがそれは、王国のような荘厳さとは無縁のもの。
崩れた柱、空中に浮かぶ破片、歪み続ける大地と壁。まるでヴァルメル大陸を彷彿とさせる風景。そして、そのすべての中心に――“それ”はいた。
玉座の上に鎮座する《仮面の存在》。
先ほど、広間で姿を現した影とは違う。
より確かな“意志”と“力”を持ち、明確にこの異界の“支配者”として座していた。
「……来たか。継承者たちよ」
その声は、空間を震わせるほどに重く、低かった。
しかし、その仮面の下に“顔”はなかった。ただ、闇と瘴気が渦を巻いているだけ。
「お前が……この異界の主か」
ライゼンが前に出る。
「否。“主”などいない。ただ――私は“意志を繋ぐ者”にすぎん」
仮面の存在は、右手を上げた。すると空間が揺れ、後方に一対の扉が浮かび上がる。
「この世界は、“門”の始まりであり終わりだ。過去の継承者たちが踏み込み、そして……帰らなかった場所」
「帰れなかったの?」
リィナが眉をひそめて尋ねる。
「違う。――“戻らなかった”のだ。ここにある“真実”に触れた者は、元いた世界を選ばなくなる。」
セリアが息を呑む。
「……それほどの何かが、この奥にあるの?」
仮面の存在は、静かに頷いた。
「“門”とは、世界と世界を繋ぐだけの存在ではない。魂の系譜、意志の継承、そして――“創造の意図”そのものに触れる鍵だ。」
「……」
「ライゼン・ヴァール。お前はヴァルメル大陸出身らしいな?」
「……それがどうした」
「ひとつ、良い事を教えてやろう。あの地がああも終わったのは、太古の昔、あの地に″門″が開いたからだ」
「……っ、!?」
ライゼンの視線が揺らぐ。それは彼が初めて見せた明確な動揺だった。
それを見たルークは直ぐに話を変えようと、剣を構えながら問う。
「で、お前はそれをどうしたい?その門をこの地にも開け、何を得ようとしているんだ?」
「問うまでもない。“意志の価値”を試す。門が開き、エルディア大陸も″あの大陸″の様になるか。それを止める力、意識が継承者にもあるのか。それを見極めるのが我らの役目」
次の瞬間、空気が張り詰めた。
仮面の存在の周囲に、六つの“黒き影”が現れる。
それは、かつての継承者――ヴァルメルの地に門を開かせんと立ち塞がり、そして、門に飲まれ、意思を失った者たちの成れの果て。
「“意志を貫いた者”たちよ。新たなる継承者を、試みよ」
影が一斉に動き出す。
瞬間、ライゼンの刃が閃いた。
「……ならばその試練、打ち破るだけだ。」
ライゼンの持つ剣に稲妻が宿ると一振り、影の一体を吹き飛ばす。
だが、吹き飛ばされた影はすぐに再構成される。
「再生……!? 魔力の質が、違う!」
セリアが叫ぶ。
「考えるな!とにかく撃ち撃ち抜くんだ!」
ルークが剣を構え、もう一体へ斬り込む。リィナの矢がルークの隙を補うように飛ぶ。
三人の連携が、異界の法則すら捻じ曲げる一瞬の突破口を生もうとしていた。
対してひとり、先程の動揺を過去の物にしたライゼンは仮面の存在を睨みつけた。
「お前が、“鍵”だな。お前を倒せば、この異界そのものを閉じられる」
「甘いな。“鍵”とは私ではない。――お前だ、ライゼン・ヴァール」
仮面が指を差す。その瞬間、ライゼン持つ《礎の石》が震えた。
「貴様の意志そのものが、この門を繋いだ。お前こそが――“選ばれし鍵”」
「……だったら、この意志で閉じてみせる」
ライゼンの足元に雷が集い、次の瞬間、雷刃と化した彼の剣が空間を切り裂く。
仮面の存在に向けて放たれた一撃は、確かに直撃した――はずだった。
だが。
「――浅い」
音もなく、仮面の存在は雷撃の軌道から半歩ずれていた。
否、空間そのものが、歪んで“避けた”。
「……転移型の防御か。いや、違う。これは……座標操作……」
ライゼンが唸る。人間の魔法体系では説明のつかない法則干渉。それは“門”の力を纏った存在である証左。
「認識したか。よくぞ――魔法の存在しない大陸に居た者も少しエルディアに馴染めばこうなるのだな。――ならば、次の問いに答えろ」
仮面が問う。その声は問いというより、裁定に近い響きだった。
「お前の“意志”は、何のためにある?」
「答える必要はない。俺の剣が――その答えだ」
ライゼンが再び跳躍する。同時に、セリアの支援魔法が放たれた。
「《ゼロ・グラビティ》!」
跳躍がさらに強化され、空中でライゼンが旋回。雷撃と風圧が融合した軌道を描きながら、今度は真正面から斬りかかる。
――が、同時に影の一体が、仮面の存在を庇うように割り込んだ。
「させるかッ!」
ルークが地を蹴る。――斬撃の弧が、影の胸部を穿つ。
「今だ、ライゼン!!」
「……ああ!」
雷が唸った。
閃光と衝撃の奔流が、玉座の間を覆う。
……数瞬の沈黙。
そして煙が晴れた時、仮面の存在はなおも玉座に“座していた”。
「フフ……よくぞ、ここまで」
ライゼンたちは構えを解かない。リィナが矢を番えたまま問う。
「まだ倒れてないの……?いや、ぜったい今ライゼンに手応えはあったはず……!」
「“器”は砕けても、“意志”は砕けぬ」
仮面の存在が立ち上がる。その足元から闇が噴き出し、空間を浸食し始めた。
「我は“記録者”。門に触れた意志の、全ての記憶をこの身に刻む者。お前たちの戦いも、これより《記録》として刻まれる」
「記録……だと?」
ライゼンの目が細くなる。
「ならば、忘れるな。この戦いは――俺たちの意志で始まり、そして意志で終わる」
その言葉と同時に、礎の石が強く脈打った。
「ライゼン!なにかが来るわ!」
セリアの叫びと共に、仮面の存在が手を広げる。
すると仮面の存在――その背後に巨大な門が現れ――ゆっくりと開き始めた。
「これは……」
「“真なる門”の開放――全ての記憶、意志、そして世界の系譜を一つに繋ぐ、最終試練だ」
仮面の仮面がひび割れ、その奥から溢れたものは――膨大な記憶の奔流。
見える。
焼き払われたヴァルメル。
誰かの絶叫。
扉の前で膝を折る少女。
そして、門を前に剣を掲げる一人の男――それは。
「……俺と、似ている……?」
ライゼンの瞳が揺れた。
「知るがいい。“継承者”とは、ただ強き者ではない。“世界の痛みを受け入れ、それでも意志を貫く者”のことだ」
「だったら――その資格があるか、ここで示してやる」
ライゼンが《礎の石》を握りしめる。
「みんな、行くぞ。この門の向こうに、俺たちの戦う理由がある!」
「うんッ!」
「……ええ。命懸けで見届けるわ」
「後ろは任せろ、ライゼン!」
異界の“記録”が開かれる。
その瞬間、四人の意志が一つに重なった。
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