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第73.5話 愛していないわけがない

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 『来ないで』。

 頭の中で反響する最低の言葉。それを向けた相手は私にとって大事な人で、もう二度と会えないと思っていた大好きな人だ。

 私の前世で、男児を欲していた父親に代わり、私を愛して育んでくれた優しい祖父。

 陸軍の将校として家を空ける事が多かったものの、一家の長としての厳格さと慈しみを備えた理想の男性だった。抱きかかえられて庭の桜の枝を折り、普段口数が少ない祖母に揃って叱られた記憶は、今でも色褪せず大切にしまってある。

 とても、とても、大好きで、大好きで、大好きな、私のお爺様。


「…………ごめん……なさい……」


 自分のせいで不幸にしてしまった、二人の夫と合わせて謝罪する。

 今世で、私は三度男性を裏切った。

 一人目は一族の安寧の為、二人目は自分自身の我儘の為、三人目は一人目と二人目への罪悪の為、私の方から拒み、離れ、そして捨て去った。

 相手の事を考えず、自分の勝手を通した結果だ。

 悲しむ筋合いはないのかもしれない。でも、三人が私にかけてくれた愛の言葉はとても温かく、篭められた意味は違えど、確かな絆があったと信じている。捨てるにはとても惜しく、しかし、私の周りは彼らの心を決して許しはしなかった。

 一人目。十一尾のシュウとは、多尾同士の結婚に反対する族長達に阻まれた。

 二人目。先代のラスタビア勇王とは、側室達の工作で添い遂げる事が出来なかった。

 三人目。抜ける突風グアレスと名乗る前世の祖父とは、彼が連れていたシュウとの子に、己の罪の全てを思い出させられた。

 もうどうすればいいのかわからない。誰を愛して、誰に愛してもらえばいいのか。何をして、何に求めれば良いのか。

 心の渇きが喉奥をひりつかせ、ただただ悲しみしか湧いてこない。

 何も、したいと思えない。

 誰か、助けて……。


「――――ミサ様、失礼致します」


 控えめなノックと共に、開けっ放しの扉から美しいドレス姿の女性が入ってきた。

 現勇王の第三王妃、カヌア。毛長のふさふさした尻尾を持つ、灰の毛並みが美しい狩猫族の元姫君だ。

 貴族連中から『灰被りの泥棒猫』と呼ばれる彼女は、私の大事な友人の一人。互いに不遇な宮廷生活を強いられていた事から意気投合し、相談に乗る内に家族同然の関係になっていた。

 互いの部屋をちょくちょく行き来していて、ガルと彼女の情事に遭遇した事は片手できかない。しかし、あんなに辛そうな瞳をしてくるのは数えられる程しかない。

 何があったの?


「カヌア様、いかがなさいました……?」

「ヴァテアが言霊の事を調べに、陛下を訪ねてきました。奴は魔王神アイシュラと繋がっています。おそらく、グアレスとも」

「そう……ですか…………」


 目を閉じ、逃れられぬ罪に湧く涙を真白なシーツに押し付ける。

 私と同じ転生者の友は、奔放な性格に見えて義と友を重んじる。アイシュラ様の依頼でグアレスの為に動く事は容易に想像でき、私に対抗する術として言霊に目を付けていてもおかしくない。

 近い内に、私の前に立つ筈だ。

 早ければ、数日内にでも。


「ミサ様、どうかお逃げくださいっ。ミサ様は不必要な物を背負いすぎですっ。もっと、もっと自分に我儘に生きて良いんですよ?」

「その結果、私は多くの方を不幸にしてきました。もう、耐えられません」

「ミサ様のせいではありません! シュウ様の件も嫁入りの件も、白狐族の族長達が保身の為にやった事です! 先代様だって、ミサ様に罪はないと仰っていたではありませんか!」

「えぇ、バルの優しさには幾度となく救われました。その優しさに目がくらんで、シュウに立てた操まで破り捨てて…………私は……最低の女です……」


 温かく、優しく、私の全てを包んでくれた二つの手。

 温もりに飢えていた私は、素肌を晒して夜毎それを貪った。ケダモノのように喘ぎ、腰を振り、熱に浮かされて誓いを彼方に追いやって、残りカスの理性で最後の最後だけ抗った。

 正室でありながら子を成さず、身体だけを重ねる悪女を側室達は罵った。結託されて排除されかけ、庇われてまた縋り付いての日々は、もう二度と思い出したくない。

 いっそ、離れの宮に自分自身を封印するのも良いかもしれない。

 だって、こんな女がいた所で、この国に良い事なんてないのだ。精々が長い経験から、様々な人々の相談に乗るくらい。それだって自力で答えを導ける優れた人材ばかりで、最後の一押しくらいしか私はしていない。

 もう、そうしよう。

 それが良――――?


「――何?」


 廊下がバタバタと騒がしい。

 カヌアを伴って部屋を出ると、負傷した我が国の精鋭達が治療もそこそこに駆け回っていた。壊れた武具を新品に取り換え、余程の有事の際にしか持ち出さない魔や聖の名の付く品の数々を持ち出して、とにかく急いで慌ただしく動いている。

 十年前に蛮国が攻めてきた時でも、ここまではしなかった。

 ガルと私とヴァテアがいたからではあるが、今のガルの実力を考えれば同じ状況でも一人で何とか出来る。数の力なんて必要なく、それこそ奥の手まで持ち出しての総力戦なんて、一体何が起きているのか?

 比較的重傷で、動きが鈍い一人を捕まえる。


「どうしたの?」

「ミ、ミサ様!? いえ、なんでもございません! ヴァテア殿との訓練が度を過ぎているだけで……」

「『正直に話しなさい』」

「あっぐぅ――――マ、マヌエル山脈の災厄が我が国に攻め込んできましたっ。カルアンド帝国のエルディア第三皇女殿下からの情報で、ま、魔王神軍のグアレスが一人足止めをしているとっ――ぅぐっ」

「お爺様が!?」


 肌という肌から汗が吹き出し、血潮が一気に全身を巡る。

 マヌエル山脈の災厄、女神軍第四軍団長しなずちは、味方への温厚さと同時に敵への残酷さで有名だ。敵対した者は、男であればほぼ全員が殺され、女であれば犯され隷属させられる。心を操るとの噂もあり、相手にすれば命か尊厳が失われると言われている。

 そんな邪悪を相手に、単身足止め?

 何の為に、と考えて、内なる自分が囁いた。『お前の為だ』と。『お前の為に、また先立つのだ』と。


「嫌――っ!」


 思考を放棄し、私は駆けた。

 大事な人が先に逝くのは、もう嫌だ。

 置いて行かれるのは、もう嫌だ。

 私のせいで誰かが死ぬのは、もう嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。一度目も二度目も何もできず、三度目もなんて絶対に嫌だ。


「ミサ様!」

「『私は高く跳ぶ』っ」


 私を呼ぶカヌアの声を振り切り、思い切り上に跳ぶ。

 数百メートルから一キロ程度の高さに一気に上がり、すぐにそれは見つかった。

 おとぎ話に出てくるような九つの頭を持つ大蛇。奈良の大仏が可愛く思える程の巨大なそれは、五つある白狐の集落の一つを平らげて、近くの次へと目を向けている。

 そして、それを阻もうと空に展開する嵐流の塊。

 良かった。まだ間に合う。

 安堵と共に、私は空を踏んだ。二人がかりなら何とかなるかもしれない。何とか出来たなら、例え許されなくても謝って謝ろう。シュウとの事もバルとの事も全部話して、前世みたいに慰めてもらって――――



「「「「「「「「「『嵐の目』」」」」」」」」」



 ――――ここまで届いた言霊の強さに、私の心はまた折れかけた。
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