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深夜の王宮は、死んだように静まり返っていた。
私は兄から借りた隠密の魔道具を使い、夜風に吹かれるバルコニーへと足を運ぶ。
そこには、月明かりを浴びて一人佇むセドリック様の背中があった。
「……くっ、ああ……」
低く、苦しげな呻き声が聞こえる。
彼は手すりに縋り付き、激しく頭を振っていた。
かつての凛々しさはどこへやら、その横顔は青白く、ひどくやつれ果てている。
「セドリック様」
私が静かに名前を呼ぶと、彼は弾かれたようにこちらを振り向いた。
その瞳は、濁った紫色と、本来の澄んだ碧色が混ざり合い、激しく明滅している。
「エリアナ……? 来るな……来るなと言っただろう……!」
「いいえ、参りますわ。あなたが苦しんでいるのを、放っておけるはずがありません」
私は一歩、また一歩と距離を詰める。
セドリック様は後ずさりしようとしたが、その足元がふらつき、膝をついた。
「頭が、割れるようだ……。リリアを、愛さなくてはならないのに……なぜ、お前の顔を見ると、こんなに胸が痛むのだ……!」
「それは、あなたが私を愛しているからですわ。呪いに抗おうとするあなたの心が、悲鳴を上げているのです」
私は彼の目の前に跪き、そっとその頬に手を触れた。
指先から、兄の鍵を通じて浄化の魔力が微かに伝わっていく。
「あ……ああ……エリアナ……」
一瞬、彼の瞳から紫色の濁りが消えた。
焦点が合い、私の姿をしっかりと捉える。
「エリアナ……本物の、君なのか? 私は、なんてことを……卒業パーティーで、君に……あんな……」
セドリック様の大きな手が、震えながら私の手を包み込んだ。
その掌は熱く、けれど酷く震えている。
「いいのです、セドリック様。すべてはあの女の仕業。あなたは何も悪くありませんわ」
「助けてくれ、エリアナ。意識が、遠のくんだ。暗い霧の中に、引きずり込まれるようで……怖いんだ、リリアが、あいつが怖い……!」
泣き出しそうな、幼子のような声だった。
これが、リリアの「魅了」の正体。
愛を育むのではなく、恐怖と依存で精神を縛り付け、操り人形に変える禁忌の術。
「大丈夫です。私が必ず、あなたを連れ戻しますわ。だから、諦めないで……」
私は彼の額に自分の額を寄せた。
けれど、幸福な時間は長くは続かない。
「あらあら。夜遊びにしては、少々度が過ぎているのではありませんか?」
背後から、凍りつくような甘い声が響いた。
振り返ると、そこには薄い寝衣を纏ったリリアが立っていた。
彼女の瞳は暗闇の中で爛々と輝き、どす黒い魔力を放っている。
「リリア……! 貴様……!」
セドリック様が立ち上がろうとするが、リリアが指をパチンと鳴らすと、彼の身体がビクンと跳ねた。
「殿下、ダメですよ。悪い子にはお仕置きをしないと。あなたは、私だけを見ていればいいんです」
「やめろ……リリア……やめてくれ……!」
セドリック様の瞳が、再び紫色に塗り潰されていく。
私の手を握っていた力が、無機質な強さへと変わった。
「……エリアナ、様。殿下を困らせるのは、これくらいにしてくださいな。次は、もっと『面白い』ことになりますよ?」
リリアは口元を歪め、セドリック様の首に腕を回した。
セドリック様は、もう私を見ていない。
虚ろな目で前を見据え、ただリリアの言葉に従うだけの肉塊に戻ってしまった。
「……ええ、覚悟しておきなさいな。その余裕がいつまで持つかしら」
私は拳を握りしめ、バルコニーを後にした。
セドリック様のあの「助けて」という声。
それを聞いた今、私の心に迷いはない。
リリア・ノエル。
あなたを叩き潰すための、真の反撃を始めましょう。
私は兄から借りた隠密の魔道具を使い、夜風に吹かれるバルコニーへと足を運ぶ。
そこには、月明かりを浴びて一人佇むセドリック様の背中があった。
「……くっ、ああ……」
低く、苦しげな呻き声が聞こえる。
彼は手すりに縋り付き、激しく頭を振っていた。
かつての凛々しさはどこへやら、その横顔は青白く、ひどくやつれ果てている。
「セドリック様」
私が静かに名前を呼ぶと、彼は弾かれたようにこちらを振り向いた。
その瞳は、濁った紫色と、本来の澄んだ碧色が混ざり合い、激しく明滅している。
「エリアナ……? 来るな……来るなと言っただろう……!」
「いいえ、参りますわ。あなたが苦しんでいるのを、放っておけるはずがありません」
私は一歩、また一歩と距離を詰める。
セドリック様は後ずさりしようとしたが、その足元がふらつき、膝をついた。
「頭が、割れるようだ……。リリアを、愛さなくてはならないのに……なぜ、お前の顔を見ると、こんなに胸が痛むのだ……!」
「それは、あなたが私を愛しているからですわ。呪いに抗おうとするあなたの心が、悲鳴を上げているのです」
私は彼の目の前に跪き、そっとその頬に手を触れた。
指先から、兄の鍵を通じて浄化の魔力が微かに伝わっていく。
「あ……ああ……エリアナ……」
一瞬、彼の瞳から紫色の濁りが消えた。
焦点が合い、私の姿をしっかりと捉える。
「エリアナ……本物の、君なのか? 私は、なんてことを……卒業パーティーで、君に……あんな……」
セドリック様の大きな手が、震えながら私の手を包み込んだ。
その掌は熱く、けれど酷く震えている。
「いいのです、セドリック様。すべてはあの女の仕業。あなたは何も悪くありませんわ」
「助けてくれ、エリアナ。意識が、遠のくんだ。暗い霧の中に、引きずり込まれるようで……怖いんだ、リリアが、あいつが怖い……!」
泣き出しそうな、幼子のような声だった。
これが、リリアの「魅了」の正体。
愛を育むのではなく、恐怖と依存で精神を縛り付け、操り人形に変える禁忌の術。
「大丈夫です。私が必ず、あなたを連れ戻しますわ。だから、諦めないで……」
私は彼の額に自分の額を寄せた。
けれど、幸福な時間は長くは続かない。
「あらあら。夜遊びにしては、少々度が過ぎているのではありませんか?」
背後から、凍りつくような甘い声が響いた。
振り返ると、そこには薄い寝衣を纏ったリリアが立っていた。
彼女の瞳は暗闇の中で爛々と輝き、どす黒い魔力を放っている。
「リリア……! 貴様……!」
セドリック様が立ち上がろうとするが、リリアが指をパチンと鳴らすと、彼の身体がビクンと跳ねた。
「殿下、ダメですよ。悪い子にはお仕置きをしないと。あなたは、私だけを見ていればいいんです」
「やめろ……リリア……やめてくれ……!」
セドリック様の瞳が、再び紫色に塗り潰されていく。
私の手を握っていた力が、無機質な強さへと変わった。
「……エリアナ、様。殿下を困らせるのは、これくらいにしてくださいな。次は、もっと『面白い』ことになりますよ?」
リリアは口元を歪め、セドリック様の首に腕を回した。
セドリック様は、もう私を見ていない。
虚ろな目で前を見据え、ただリリアの言葉に従うだけの肉塊に戻ってしまった。
「……ええ、覚悟しておきなさいな。その余裕がいつまで持つかしら」
私は拳を握りしめ、バルコニーを後にした。
セドリック様のあの「助けて」という声。
それを聞いた今、私の心に迷いはない。
リリア・ノエル。
あなたを叩き潰すための、真の反撃を始めましょう。
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