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わたくしが屋敷の中へ入ると、すぐにゼノン騎士団長が追いかけてきました。
そして、後ろ手で、あの重い鉄の扉をピシャリと閉めます。
埃っぽい大ホールに、わたくしたち二人だけが取り残されました。
外にいる供の者たちは、まだ呆然としているのでしょう。何の音も聞こえてきません。
「……」
騎士団長は何も言いません。
ただ、その鋭い翡翠の瞳で、わたくしをじっと、射抜くように見つめています。
その視線は、もはや単なる疑念や警戒ではありませんでした。
まるで、未知の生物を前にした学者のような、純粋な畏怖と探究心が入り混じった色をしています。
「まあ、随分と埃っぽいですこと。まずはお掃除から始めないといけませんわね」
わたくしは、この重苦しい沈黙に耐えかねて、わざと明るい声で言いました。
手で扇いで、埃を払う仕草をしてみせます。
しかし、騎士団長はそんなわたくしのごまかしには乗りません。
「……アイナ嬢」
低く、静かですが、有無を言わさぬ響きを持った声でした。
「単刀直入に聞く。貴女は一体……何者なのだ?」
ああ、またその質問ですのね。
馬車の時よりも、ずっと切迫した響きです。
わたくしは、くるりと彼の方へ向き直り、扇で口元を隠しながら、これまでで一番可憐な笑みを浮かべてみせました。
「見ての通り、か弱く非力な侯爵令嬢ですわ、ゼノン様。先程の扉は、きっと偶然、うまく蝶番が噛み合っただけですのよ」
「嘘をつけ!」
雷鳴のような一喝でした。
わたくしの肩が、ほんの少しだけ震えます。
彼が、これほど感情を露わにするのを、初めて見ました。
「偶然だと!? あの馬車の一件も、この扉も! 偶然で説明がつくものか! 貴女は、俺を愚弄するのも大概にしろ!」
騎士団長は、ずかずかとわたくしに歩み寄り、その大きな体がわたくしに影を落とします。
ですが、不思議と恐怖は感じません。
むしろ、その必死な形相が、少しだけおかしく見えてしまいました。
「貴女は、ただの令嬢ではない。何か、特別な力を持っているはずだ。魔法か? それとも、何か古代の遺物でも隠し持っているのか?」
真剣な顔で、次々と仮説を並べる騎士団長。
魔法ですって? 遺物?
まあ、彼の常識で考えれば、そこに行き着くのが当然なのでしょう。
わたくしのこの体質が、そんなファンタジックなものではないと知ったら、彼は一体どんな顔をするのかしら。
そう思うと、もう隠し通すのが、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまいました。
この方に嘘をつき続けるのは、骨が折れそうですし。
何より、この堅物な騎士様を、もっと困らせてみたくなったのです。
わたくしは、ふぅ、と一つ、大きなため息をつきました。
そして、顔からすっと笑みを消します。
「……わかりましたわ」
「なっ……」
「もう、隠すのはやめにします。ええ、あなたの言う通りですわ」
わたくしの真剣な声色に、騎士団長はごくりと喉を鳴らしました。
彼が、わたくしの告白を固唾を飲んで見守っているのがわかります。
わたくしは、すっと背筋を伸ばし、まっすぐに彼の目を見つめ返しました。
そして、はっきりと、宣言いたします。
「ええ、そうですわ! わたくしはゴリラ並みの怪力の持ち主ですのよ!」
シーン……。
時が、止まりました。
大ホールに舞う埃の粒までもが、空中で静止したかのように感じます。
ゼノン騎士団長は、目をぱちくりさせています。
その整った顔に浮かんでいるのは、ただ、純粋な「困惑」。
「……ご……?」
「ゴリラ、ですわ」
「ごり……ら……?」
彼は、まるで初めて聞く単語のように、その言葉を繰り返します。
無理もありませんわね。
目の前の、華奢なドレスに身を包んだ令嬢から、そんな獣の名前が出てくるとは夢にも思わなかったのでしょう。
「生まれつき、ですの。赤子の頃、うっかり揺りかごを粉々に破壊してしまったと、母が泣いておりましたわ。それ以来、この力を隠し、物の配置からドアの開け閉め、握手の力加減に至るまで、全てを計算して生きてきたのです」
わたくしが淡々と事実を告げると、騎士団長の翡翠の瞳が、ぐらぐらと揺れているのが見えました。
彼の頭の中で、必死に情報処理が行われているのでしょう。
目の前の女、アイナ=ゴリラ、という数式が。
「……」
とうとう、彼は完全に沈黙してしまいました。
思考が停止してしまったようです。
わたくしは、すっかり憑き物が落ちたような、晴れやかな気分でした。
「ああ、すっきりいたしましたわ! 人にこの秘密を打ち明けたのは、初めてですもの」
さて、と。
わたくしは、目の前で石像と化している騎士団長をそのままに、きょろきょろとホールを見回しました。
「まずは厨房を探しませんと。これだけ動きましたら、お腹が空いてしまいましたわ。騎士団長様も、何か温かいお茶でもいかが?」
わたくしの問いかけに、答えはありませんでした。
ただ、この国の最強と謳われる騎士団長が、魂の抜けたような顔で、その場に立ち尽くしているだけでしたわ。
そして、後ろ手で、あの重い鉄の扉をピシャリと閉めます。
埃っぽい大ホールに、わたくしたち二人だけが取り残されました。
外にいる供の者たちは、まだ呆然としているのでしょう。何の音も聞こえてきません。
「……」
騎士団長は何も言いません。
ただ、その鋭い翡翠の瞳で、わたくしをじっと、射抜くように見つめています。
その視線は、もはや単なる疑念や警戒ではありませんでした。
まるで、未知の生物を前にした学者のような、純粋な畏怖と探究心が入り混じった色をしています。
「まあ、随分と埃っぽいですこと。まずはお掃除から始めないといけませんわね」
わたくしは、この重苦しい沈黙に耐えかねて、わざと明るい声で言いました。
手で扇いで、埃を払う仕草をしてみせます。
しかし、騎士団長はそんなわたくしのごまかしには乗りません。
「……アイナ嬢」
低く、静かですが、有無を言わさぬ響きを持った声でした。
「単刀直入に聞く。貴女は一体……何者なのだ?」
ああ、またその質問ですのね。
馬車の時よりも、ずっと切迫した響きです。
わたくしは、くるりと彼の方へ向き直り、扇で口元を隠しながら、これまでで一番可憐な笑みを浮かべてみせました。
「見ての通り、か弱く非力な侯爵令嬢ですわ、ゼノン様。先程の扉は、きっと偶然、うまく蝶番が噛み合っただけですのよ」
「嘘をつけ!」
雷鳴のような一喝でした。
わたくしの肩が、ほんの少しだけ震えます。
彼が、これほど感情を露わにするのを、初めて見ました。
「偶然だと!? あの馬車の一件も、この扉も! 偶然で説明がつくものか! 貴女は、俺を愚弄するのも大概にしろ!」
騎士団長は、ずかずかとわたくしに歩み寄り、その大きな体がわたくしに影を落とします。
ですが、不思議と恐怖は感じません。
むしろ、その必死な形相が、少しだけおかしく見えてしまいました。
「貴女は、ただの令嬢ではない。何か、特別な力を持っているはずだ。魔法か? それとも、何か古代の遺物でも隠し持っているのか?」
真剣な顔で、次々と仮説を並べる騎士団長。
魔法ですって? 遺物?
まあ、彼の常識で考えれば、そこに行き着くのが当然なのでしょう。
わたくしのこの体質が、そんなファンタジックなものではないと知ったら、彼は一体どんな顔をするのかしら。
そう思うと、もう隠し通すのが、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまいました。
この方に嘘をつき続けるのは、骨が折れそうですし。
何より、この堅物な騎士様を、もっと困らせてみたくなったのです。
わたくしは、ふぅ、と一つ、大きなため息をつきました。
そして、顔からすっと笑みを消します。
「……わかりましたわ」
「なっ……」
「もう、隠すのはやめにします。ええ、あなたの言う通りですわ」
わたくしの真剣な声色に、騎士団長はごくりと喉を鳴らしました。
彼が、わたくしの告白を固唾を飲んで見守っているのがわかります。
わたくしは、すっと背筋を伸ばし、まっすぐに彼の目を見つめ返しました。
そして、はっきりと、宣言いたします。
「ええ、そうですわ! わたくしはゴリラ並みの怪力の持ち主ですのよ!」
シーン……。
時が、止まりました。
大ホールに舞う埃の粒までもが、空中で静止したかのように感じます。
ゼノン騎士団長は、目をぱちくりさせています。
その整った顔に浮かんでいるのは、ただ、純粋な「困惑」。
「……ご……?」
「ゴリラ、ですわ」
「ごり……ら……?」
彼は、まるで初めて聞く単語のように、その言葉を繰り返します。
無理もありませんわね。
目の前の、華奢なドレスに身を包んだ令嬢から、そんな獣の名前が出てくるとは夢にも思わなかったのでしょう。
「生まれつき、ですの。赤子の頃、うっかり揺りかごを粉々に破壊してしまったと、母が泣いておりましたわ。それ以来、この力を隠し、物の配置からドアの開け閉め、握手の力加減に至るまで、全てを計算して生きてきたのです」
わたくしが淡々と事実を告げると、騎士団長の翡翠の瞳が、ぐらぐらと揺れているのが見えました。
彼の頭の中で、必死に情報処理が行われているのでしょう。
目の前の女、アイナ=ゴリラ、という数式が。
「……」
とうとう、彼は完全に沈黙してしまいました。
思考が停止してしまったようです。
わたくしは、すっかり憑き物が落ちたような、晴れやかな気分でした。
「ああ、すっきりいたしましたわ! 人にこの秘密を打ち明けたのは、初めてですもの」
さて、と。
わたくしは、目の前で石像と化している騎士団長をそのままに、きょろきょろとホールを見回しました。
「まずは厨房を探しませんと。これだけ動きましたら、お腹が空いてしまいましたわ。騎士団長様も、何か温かいお茶でもいかが?」
わたくしの問いかけに、答えはありませんでした。
ただ、この国の最強と謳われる騎士団長が、魂の抜けたような顔で、その場に立ち尽くしているだけでしたわ。
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