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王都の薔薇園は、今や手入れをする者の余裕さえ奪われ、枯死を待つ残骸のように立ち並んでいた。
その中央で、リュシアン様はカシムが持ち帰った「契約書」を震える手で握りしめている。
「……これは、何かの冗談か! 兄上は、我が国の税収と流通をすべて奪うつもりか!」
「リュシアン様……落ち着いてくださいませ。きっと、エレオノーラ様が無理を仰っているだけですわ」
クロエ様が、潤んだ瞳でリュシアン様の腕に縋り付いた。
その涙は、かつては国中の男たちの心を溶かす魔法であったが、今の彼女には、その魔法を維持するための「余裕」がない。
「無理などではない! カシム、兄上は本当に、これに署名しなければ小麦を出さないと言ったのだな?」
「はっ。……マクシミリアン殿下は、慈悲を求めるなら死ね、と仰せでした。そしてエレオノーラ嬢は、ついでに我々のプライドを『安物』だと嘲笑われました」
カシムの報告は、冷徹な現実となって二人の心に突き刺さる。
「ああ、なんて恐ろしい……。民が飢えているというのに、お二人は自分たちの贅沢しか考えておられないのですね」
クロエ様が、わざとらしく胸を押さえて天を仰いだ。
「クロエ。君の祈りが、いつかあの者たちの邪悪な心を浄化してくれると信じていたが……。背に腹はかえられん。民が、暴徒と化しているのだ」
リュシアン様は、苦い薬を飲み込むような顔で、羽根ペンを握りしめた。
「署名するのか、リュシアン様! それでは、アステリアの心臓を悪魔に売り渡すも同然ですわ!」
「では、他に策があるのか、クロエ! 君の祈りで、今すぐ広場を小麦で埋め尽くせるのか!」
「……っ。それは……」
聖女は、沈黙した。
祈りは腹を膨らませず、涙は渇きを癒さない。
そのあまりに単純な事実を、彼女は初めて突きつけられたのだ。
「……私は、この国の王太子になるはずだった男だ。民を救うためならば、汚名も辞さない」
リュシアン様は、震える筆跡で契約書に署名した。
それは、アステリア王国という名の巨大な伽藍が、音を立てて崩れ始める終わりの始まりであった。
一方、その報告をメテオの城で受け取った私は、窓辺で一輪の枯れかけた百合を弄んでいた。
「……あら、案外早かったですわね。リュシアン殿下も、もう少し粘ってくださると思っていたのに」
「粘るだけの知恵もなければ、絶望に耐える胆力もない。それが、あの男の本質だ」
マクシミリアン様は、私の背後で満足げに書類を眺めている。
「これで、王都の動脈は私の手中にある。エレオノーラ、君の予言通り、彼らは自ら進んで『首輪』を嵌めに来たよ」
「ふふ。私の予言ではありませんわ。ただの、近代文学的な予定調和ですのよ」
私は扇を広げ、独白(モノローグ)を静かに紡いだ。
私の内なる文豪が、この事態を「偽善という名の病の末期症状」と呼び、冷笑を浮かべている。
「マクシミリアン様。ついでに、王都へ送り出す小麦の中に、少々の『隠し味』を添えてもよろしいかしら?」
「隠し味? 君の毒が、彼らにとって新たな絶望になるのか、それとも依存の始まりになるのか、興味があるな」
「絶望、ですって? まあ。私はただ、彼らに『誰が本当の主人か』を分からせてあげるだけですわよ」
私は立ち上がり、マクシミリアン様の瞳の奥に宿る、暗い火を覗き込んだ。
「さあ、王都に地獄の門を開きましょう。聖女様の涙でふやけたパンよりも、悪魔が焼いた本物のパンの方が、きっと美味しいに決まっておりますわ」
「ああ。君と共に食べるパンなら、毒であっても美食になるだろう」
私たちは、深い闇の中で、声を殺して笑い合った。
恥の多い生涯の、これが最も華やかなる蹂躙。
私たちの逆襲は、まだ序章に過ぎないのですから。
その中央で、リュシアン様はカシムが持ち帰った「契約書」を震える手で握りしめている。
「……これは、何かの冗談か! 兄上は、我が国の税収と流通をすべて奪うつもりか!」
「リュシアン様……落ち着いてくださいませ。きっと、エレオノーラ様が無理を仰っているだけですわ」
クロエ様が、潤んだ瞳でリュシアン様の腕に縋り付いた。
その涙は、かつては国中の男たちの心を溶かす魔法であったが、今の彼女には、その魔法を維持するための「余裕」がない。
「無理などではない! カシム、兄上は本当に、これに署名しなければ小麦を出さないと言ったのだな?」
「はっ。……マクシミリアン殿下は、慈悲を求めるなら死ね、と仰せでした。そしてエレオノーラ嬢は、ついでに我々のプライドを『安物』だと嘲笑われました」
カシムの報告は、冷徹な現実となって二人の心に突き刺さる。
「ああ、なんて恐ろしい……。民が飢えているというのに、お二人は自分たちの贅沢しか考えておられないのですね」
クロエ様が、わざとらしく胸を押さえて天を仰いだ。
「クロエ。君の祈りが、いつかあの者たちの邪悪な心を浄化してくれると信じていたが……。背に腹はかえられん。民が、暴徒と化しているのだ」
リュシアン様は、苦い薬を飲み込むような顔で、羽根ペンを握りしめた。
「署名するのか、リュシアン様! それでは、アステリアの心臓を悪魔に売り渡すも同然ですわ!」
「では、他に策があるのか、クロエ! 君の祈りで、今すぐ広場を小麦で埋め尽くせるのか!」
「……っ。それは……」
聖女は、沈黙した。
祈りは腹を膨らませず、涙は渇きを癒さない。
そのあまりに単純な事実を、彼女は初めて突きつけられたのだ。
「……私は、この国の王太子になるはずだった男だ。民を救うためならば、汚名も辞さない」
リュシアン様は、震える筆跡で契約書に署名した。
それは、アステリア王国という名の巨大な伽藍が、音を立てて崩れ始める終わりの始まりであった。
一方、その報告をメテオの城で受け取った私は、窓辺で一輪の枯れかけた百合を弄んでいた。
「……あら、案外早かったですわね。リュシアン殿下も、もう少し粘ってくださると思っていたのに」
「粘るだけの知恵もなければ、絶望に耐える胆力もない。それが、あの男の本質だ」
マクシミリアン様は、私の背後で満足げに書類を眺めている。
「これで、王都の動脈は私の手中にある。エレオノーラ、君の予言通り、彼らは自ら進んで『首輪』を嵌めに来たよ」
「ふふ。私の予言ではありませんわ。ただの、近代文学的な予定調和ですのよ」
私は扇を広げ、独白(モノローグ)を静かに紡いだ。
私の内なる文豪が、この事態を「偽善という名の病の末期症状」と呼び、冷笑を浮かべている。
「マクシミリアン様。ついでに、王都へ送り出す小麦の中に、少々の『隠し味』を添えてもよろしいかしら?」
「隠し味? 君の毒が、彼らにとって新たな絶望になるのか、それとも依存の始まりになるのか、興味があるな」
「絶望、ですって? まあ。私はただ、彼らに『誰が本当の主人か』を分からせてあげるだけですわよ」
私は立ち上がり、マクシミリアン様の瞳の奥に宿る、暗い火を覗き込んだ。
「さあ、王都に地獄の門を開きましょう。聖女様の涙でふやけたパンよりも、悪魔が焼いた本物のパンの方が、きっと美味しいに決まっておりますわ」
「ああ。君と共に食べるパンなら、毒であっても美食になるだろう」
私たちは、深い闇の中で、声を殺して笑い合った。
恥の多い生涯の、これが最も華やかなる蹂躙。
私たちの逆襲は、まだ序章に過ぎないのですから。
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