16 / 30
16
しおりを挟む
王都の社交界は、今や腐りかけた果実に群がる蠅のような、不穏な羽音に満ちていた。
かつてあれほどマクシミリアン様を指弾し、聖女の微笑みを称えていた貴族たちが、今や影で密談を繰り返している。
「……お聞きになりましたか? マクシミリアン殿下は、メテオの地で銀の山を築き、王都の借金をすべて肩代わりする用意があるとか」
「借金どころか、リュシアン殿下がクロエ嬢のために蕩進(とうしん)した国庫の穴、あれを埋められるのは、もはや兄君しかおられまい」
冷えたワインを回しながら、彼らは互いの腹を探り合う。
正義などは、腹が満たされて初めて成立する贅沢品に過ぎないことを、彼らは身を以て証明していた。
私は、城の書庫でティアが拾い集めてきた「密告書」の数々を、暖炉の火で炙りながら眺めていた。
「マクシミリアン様。王都の風向きは、もはや嵐の前の静けさを通り越し、私たちの足元へ跪くための準備運動のようですわ」
「当然だ。人間は、理想のために死ぬことはできても、退屈と空腹のために生き続けることはできない生き物だからな」
マクシミリアン様は、私の背後で、かつて自分が愛用していた王太子の印章を弄んでいる。
「彼らには小麦ではなく、もっと刺激的な毒を与えた。……リュシアンが聖女のために私物化した、騎士団の運営費の流用記録だ」
「まあ。なんて悪趣味な……。ついでに、私の名で『王都の復興資金に関するアンケート』も送っておきましたわ」
「アンケートだと? 君も随分と、慇懃無礼(いんぎんぶれい)なことをする」
私は扇を広げ、窓の外に広がる、今や賑わいを取り戻した城下を見下ろした。
私の内なる文豪が、この事態を「裏切りという名の救済」と綴り、皮肉な笑みを浮かべている。
「マクシミリアン様。アンケートの内容はこうですわ。『マクシミリアン様を王都に迎える際、どのような色の絨毯を敷くべきか。赤か、それともクロエ様の涙と同じ青か』……。皆様、必死に赤に印をつけておられますわよ」
「くくっ……。エレオノーラ、君は本当に、人の自尊心を切り刻むのが上手いな」
マクシミリアン様が私の肩に手を置き、その冷たい指先が私の髪を弄る。
「……ねえ、マクシミリアン様。私、時々怖くなるのですわ。私たちがこうして世界を壊していくことが、本当は一番の『善行』なのではないかと」
「案ずるな、エレオノーラ。君と私は、どこまでも『悪』だ。……ただ、我々の悪が、あまりに理にかなっているだけのこと」
城の重厚な扉が開き、ティアが新たな報告を持ってきた。
「旦那様、エレオノーラ様。王都の貴族たちが連名で、マクシミリアン殿下の『帰還』を懇願する嘆願書を作成しているとの情報が入りました」
「嘆願書、か。かつて私を追い出した同じ手が、今度は私を呼び戻すために震えているわけだ」
マクシミリアン様は印章をテーブルに置き、不敵な笑みを浮かべた。
「よし。では、彼らに最後の一押しをしてやろう。……エレオノーラ、君が以前言っていた『夜会』の準備を進めなさい」
「夜会、ですって? まあ。こんな地の果ての荒野で、いったい誰を招待するおつもり?」
「誰でもない。……リュシアンと、あの聖女だ。我々の『悪役』としての矜持を、彼らの目に焼き付けてやる」
私は深々と一礼し、自らの独白を締めくくった。
恥の多い生涯の、これが反撃の最前線。
私たちは、救世主という仮面を投げ捨て、真の悪役として、王都の門を叩く準備を整えたのでございます。
かつてあれほどマクシミリアン様を指弾し、聖女の微笑みを称えていた貴族たちが、今や影で密談を繰り返している。
「……お聞きになりましたか? マクシミリアン殿下は、メテオの地で銀の山を築き、王都の借金をすべて肩代わりする用意があるとか」
「借金どころか、リュシアン殿下がクロエ嬢のために蕩進(とうしん)した国庫の穴、あれを埋められるのは、もはや兄君しかおられまい」
冷えたワインを回しながら、彼らは互いの腹を探り合う。
正義などは、腹が満たされて初めて成立する贅沢品に過ぎないことを、彼らは身を以て証明していた。
私は、城の書庫でティアが拾い集めてきた「密告書」の数々を、暖炉の火で炙りながら眺めていた。
「マクシミリアン様。王都の風向きは、もはや嵐の前の静けさを通り越し、私たちの足元へ跪くための準備運動のようですわ」
「当然だ。人間は、理想のために死ぬことはできても、退屈と空腹のために生き続けることはできない生き物だからな」
マクシミリアン様は、私の背後で、かつて自分が愛用していた王太子の印章を弄んでいる。
「彼らには小麦ではなく、もっと刺激的な毒を与えた。……リュシアンが聖女のために私物化した、騎士団の運営費の流用記録だ」
「まあ。なんて悪趣味な……。ついでに、私の名で『王都の復興資金に関するアンケート』も送っておきましたわ」
「アンケートだと? 君も随分と、慇懃無礼(いんぎんぶれい)なことをする」
私は扇を広げ、窓の外に広がる、今や賑わいを取り戻した城下を見下ろした。
私の内なる文豪が、この事態を「裏切りという名の救済」と綴り、皮肉な笑みを浮かべている。
「マクシミリアン様。アンケートの内容はこうですわ。『マクシミリアン様を王都に迎える際、どのような色の絨毯を敷くべきか。赤か、それともクロエ様の涙と同じ青か』……。皆様、必死に赤に印をつけておられますわよ」
「くくっ……。エレオノーラ、君は本当に、人の自尊心を切り刻むのが上手いな」
マクシミリアン様が私の肩に手を置き、その冷たい指先が私の髪を弄る。
「……ねえ、マクシミリアン様。私、時々怖くなるのですわ。私たちがこうして世界を壊していくことが、本当は一番の『善行』なのではないかと」
「案ずるな、エレオノーラ。君と私は、どこまでも『悪』だ。……ただ、我々の悪が、あまりに理にかなっているだけのこと」
城の重厚な扉が開き、ティアが新たな報告を持ってきた。
「旦那様、エレオノーラ様。王都の貴族たちが連名で、マクシミリアン殿下の『帰還』を懇願する嘆願書を作成しているとの情報が入りました」
「嘆願書、か。かつて私を追い出した同じ手が、今度は私を呼び戻すために震えているわけだ」
マクシミリアン様は印章をテーブルに置き、不敵な笑みを浮かべた。
「よし。では、彼らに最後の一押しをしてやろう。……エレオノーラ、君が以前言っていた『夜会』の準備を進めなさい」
「夜会、ですって? まあ。こんな地の果ての荒野で、いったい誰を招待するおつもり?」
「誰でもない。……リュシアンと、あの聖女だ。我々の『悪役』としての矜持を、彼らの目に焼き付けてやる」
私は深々と一礼し、自らの独白を締めくくった。
恥の多い生涯の、これが反撃の最前線。
私たちは、救世主という仮面を投げ捨て、真の悪役として、王都の門を叩く準備を整えたのでございます。
35
あなたにおすすめの小説
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
【完】隣国に売られるように渡った王女
まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。
「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。
リヴィアの不遇はいつまで続くのか。
Copyright©︎2024-まるねこ
酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる