23 / 30
23
しおりを挟む
石造りの冷たい湿気が、かつての聖女を包み込んでいた。
王城の地下深くに設けられた「特別室」は、皮肉にも彼女が民衆への慈悲を説く際に好んで用いた「清貧」を具現化したような、殺風景な檻であった。
私は、ティアが捧げ持つ銀の燭台に先導され、その鉄格子の前へと立った。
「……ご気分はいかがかしら、クロエ様。この湿り気、あなたの流した涙を溜めておくには丁度よろしいのではありませんこと?」
私は、汚れ一つない絹の手袋で鼻先を覆い、格子の向こうでうずくまる影を見下ろした。
「……エレオノーラ様。あなたは、悪魔に魂を売ったのね。民を食糧で釣り、王都を恐怖で支配するなんて……神がお許しになりませんわ」
クロエ様が顔を上げた。
その瞳には、未だに「自分こそが悲劇のヒロインである」という、ある種の狂信的な光が宿っている。
私の内なる文豪が、この救いようのない傲慢さを「信仰という名の自己愛」と断じ、筆を叩きつけている。
「神、ですって? まあ。神様もお忙しいのですわよ。あなたが祈るだけで何もしなかった間、民を救ったのは神ではなく、マクシミリアン様が掘り出した『銀』と、私が計算した『帳簿』でしたもの」
「嘘よ! 私の祈りは届いていたはずだわ! リュシアン様だって、私のために……」
「ええ、あの方は立派でしたわね。あなたの笑顔を守るために、国の未来を『ついでに』ドブへ捨ててくださったのですから。……マクシミリアン様、あちらの『愚王』の様子はいかが?」
暗がりの奥から、マクシミリアン様が静かに姿を現した。
「リュシアンか。今は隣の独房で、自分が署名した契約書の条項を暗唱させている。……一字一句、己の無能を噛みしめるようにな」
マクシミリアン様の声は、地下室の冷気をさらに凍てつかせるほどに残酷であった。
「マクシミリアン様! どうして……どうしてそんなに変わってしまわれたのですか! 昔は、もっと冷たくても、気高いお方でしたのに!」
クロエ様が格子に縋り付き、叫ぶ。
「変わったのではない。私が、私の本性に目覚めただけだ。……クロエ、貴様が作ったこの国の『汚れ』を、誰が掃除したと思っている? 正義を語る者の陰で、泥を払う『悪』が必要だったのだよ」
「そんなの、詭弁ですわ! 悪は滅びるものだと、教科書にも書いてありましたもの!」
「教科書、ですって? まあ、なんて可愛らしい。クロエ様、物語の結末は、ペンを握っている者が決めるのですわよ。……そして今、この国の歴史を書き換えているのは、私たち『悪役』なのですわ」
私は扇を閉じ、彼女の額を格子の隙間から軽く叩いた。
「ついでに教えて差し上げますわ。明日、広場であなたの『聖女引退式』を行いますの。……あなたが民に配っていたパンが、実はマクシミリアン様の私有財産を横領して買ったものだという証拠を添えてね」
「……っ! そんな、そんな嘘を……!」
「嘘ではありませんわ。マクシミリアン様を廃嫡した際、あなたが『ついでに』没収した彼の私物。……あれを換金した記録は、すべて私が握っておりますのよ。……さあ、ティア。次の場所へ参りましょう。ここは少々、偽善の臭いが鼻につきますわ」
私は、絶叫するクロエ様を背に、迷いのない足取りで地下道を戻った。
恥の多い生涯の、これが最も冷徹なる「真実」の提示。
偶像は壊されるためにあり、聖女は堕とされるためにある。
私たちは、地獄の底から這い上がった執筆者(ライター)として、彼女に最も相応しい「没落」を用意して差し上げるのです。
「……エレオノーラ。君の悪趣味には、時折寒気がするよ」
「あら、マクシミリアン様。お褒めに預かり光栄ですわ。……ついでに、明日の式のドレス、血の色よりも深い『真珠の黒』で用意させておりますから、期待していてくださいましね」
王城の地下深くに設けられた「特別室」は、皮肉にも彼女が民衆への慈悲を説く際に好んで用いた「清貧」を具現化したような、殺風景な檻であった。
私は、ティアが捧げ持つ銀の燭台に先導され、その鉄格子の前へと立った。
「……ご気分はいかがかしら、クロエ様。この湿り気、あなたの流した涙を溜めておくには丁度よろしいのではありませんこと?」
私は、汚れ一つない絹の手袋で鼻先を覆い、格子の向こうでうずくまる影を見下ろした。
「……エレオノーラ様。あなたは、悪魔に魂を売ったのね。民を食糧で釣り、王都を恐怖で支配するなんて……神がお許しになりませんわ」
クロエ様が顔を上げた。
その瞳には、未だに「自分こそが悲劇のヒロインである」という、ある種の狂信的な光が宿っている。
私の内なる文豪が、この救いようのない傲慢さを「信仰という名の自己愛」と断じ、筆を叩きつけている。
「神、ですって? まあ。神様もお忙しいのですわよ。あなたが祈るだけで何もしなかった間、民を救ったのは神ではなく、マクシミリアン様が掘り出した『銀』と、私が計算した『帳簿』でしたもの」
「嘘よ! 私の祈りは届いていたはずだわ! リュシアン様だって、私のために……」
「ええ、あの方は立派でしたわね。あなたの笑顔を守るために、国の未来を『ついでに』ドブへ捨ててくださったのですから。……マクシミリアン様、あちらの『愚王』の様子はいかが?」
暗がりの奥から、マクシミリアン様が静かに姿を現した。
「リュシアンか。今は隣の独房で、自分が署名した契約書の条項を暗唱させている。……一字一句、己の無能を噛みしめるようにな」
マクシミリアン様の声は、地下室の冷気をさらに凍てつかせるほどに残酷であった。
「マクシミリアン様! どうして……どうしてそんなに変わってしまわれたのですか! 昔は、もっと冷たくても、気高いお方でしたのに!」
クロエ様が格子に縋り付き、叫ぶ。
「変わったのではない。私が、私の本性に目覚めただけだ。……クロエ、貴様が作ったこの国の『汚れ』を、誰が掃除したと思っている? 正義を語る者の陰で、泥を払う『悪』が必要だったのだよ」
「そんなの、詭弁ですわ! 悪は滅びるものだと、教科書にも書いてありましたもの!」
「教科書、ですって? まあ、なんて可愛らしい。クロエ様、物語の結末は、ペンを握っている者が決めるのですわよ。……そして今、この国の歴史を書き換えているのは、私たち『悪役』なのですわ」
私は扇を閉じ、彼女の額を格子の隙間から軽く叩いた。
「ついでに教えて差し上げますわ。明日、広場であなたの『聖女引退式』を行いますの。……あなたが民に配っていたパンが、実はマクシミリアン様の私有財産を横領して買ったものだという証拠を添えてね」
「……っ! そんな、そんな嘘を……!」
「嘘ではありませんわ。マクシミリアン様を廃嫡した際、あなたが『ついでに』没収した彼の私物。……あれを換金した記録は、すべて私が握っておりますのよ。……さあ、ティア。次の場所へ参りましょう。ここは少々、偽善の臭いが鼻につきますわ」
私は、絶叫するクロエ様を背に、迷いのない足取りで地下道を戻った。
恥の多い生涯の、これが最も冷徹なる「真実」の提示。
偶像は壊されるためにあり、聖女は堕とされるためにある。
私たちは、地獄の底から這い上がった執筆者(ライター)として、彼女に最も相応しい「没落」を用意して差し上げるのです。
「……エレオノーラ。君の悪趣味には、時折寒気がするよ」
「あら、マクシミリアン様。お褒めに預かり光栄ですわ。……ついでに、明日の式のドレス、血の色よりも深い『真珠の黒』で用意させておりますから、期待していてくださいましね」
60
あなたにおすすめの小説
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
【完】隣国に売られるように渡った王女
まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。
「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。
リヴィアの不遇はいつまで続くのか。
Copyright©︎2024-まるねこ
酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる