王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

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「開門は午前六刻。荷車が詰まる前に着ければ、通行税を半分に抑えられる」

 

朝霧の街道で、リリエルが地図を折り畳みながら声を張った。銀の匙は帯の奥へ隠し、代わりに粗布の手甲を締める。

 

「計算ばかりしていた貴族が、今は税金にうるさいな」

 

テオが笑い、御者台で手綱を揺らす。大炉の資材契約を結ぶため、二人は帝都へ向かっていた。荷台には試作品の刃と羽根細工、それに村人の土産の胡椒パンが積まれている。

 

 

帝都の城門は巨大な鉄格子が上下に開閉し、朝日で鈍く光っていた。門番が長槍を横たえ、通行証を求める。

 

「クロイツ鍛冶合同工房、資材見本持参で参上ですわ」

 

リリエルが堂々と答えると、後列の商人が驚いた顔を向けた。

 

「お嬢さん、その口ぶり…まさか“毒薔薇”の令嬢?」

 

「違います。胡椒薔薇ですの」

 

茶化した一言に周囲が噴き出し、門番も笑って槍をどけた。通行税は“地元貢献割”で確かに半額となり、荷車は石畳に滑り込む。

 

 

最初の目的地は商人ギルド本部。白大理石の外壁に銅板の扉が付き、内部は香料と書類の混ざる重い匂い。受付には深緑の制服を着た若い係員が待つ。

 

「合同工房? 登記簿には存在しませんが」

 

「今朝付で仮登録申請を提出済みよ。書記局で確認を」

 

リリエルが写本番号を示すと、係員は目を丸くして奥へ走る。テオが小声で囁く。

 

「書記局への袖の下、いつ払ったんだ?」

 

「袖の中身は胡椒パン一点。甘じょっぱさは金貨より強いの」

 

「腹を掴む交渉術か」

 

二人のやり取りを耳にした袴姿の老人が近寄った。金細工の眼鏡に鋭い光が揺れる。

 

「君たちが羽根紋の鍛冶か。私はギルド副長マリウス。早速だが帝都軍需局が君らの鉄骨留め具に興味を示している」

 

「留め具はあくまで大炉用試作品です。量産には資材優先枠が必要ですわ」

 

リリエルの即答に、副長は眉を上げる。

 

「要求が早い。しかし筋は通っている。試作性能を実演で示せるかね」

 

「鍛冶場が要ります」

 

「中央試験炉を貸そう。午後一刻に来たまえ」

 

交渉が成立し、仮登録も即時承認。署名を交わしながら副長が感心したように呟く。

 

「噂ほど尖ってはいないな」

 

「尖りは刀身だけで充分ですわ」

 

 

昼下がり、中央試験炉は観覧席付きの半屋外施設だった。商工省の技官、兵装局の査定官、さらに好奇心旺盛な徒弟たちが列をなし、リリエルは緊張の汗を拭う。

 

「深呼吸しろ。火吹き役はここにいる」

 

テオが炉に炭を投じ、鞴を踏む。白い炎が立ち上がり、金床が応えるように震えた。

 

「一打、温度保持」

 

リリエルが合図し、鎚〈燈〉が赤鉄へ落ちる。火花が円を描き、観衆が息を呑んだ。

 

二打、三打。鉄骨留め具は僅かな歪みも許されない繊細な形状だが、彼女の鎚は安定して正確だった。仕上げに羽根紋の刻印を押すと、技官が駆け寄り硬度計を当てる。

 

「規格値を十分に上回る! この寸法で量産可能か?」

 

「大炉が完成すれば日に百個は」

 

「資材優先枠を付与します。軍需局にも推薦しましょう」

 

副長が手を叩き、観衆が歓声を上げた。だがリリエルは両手を軽く挙げて制した。

 

「量より質を守る契約を。安易な増産で刃こぼれを招けば、火は信頼を失います」

 

技官は少し驚き、やがて深く頷いた。

 

「契約条文に品質監査条項を入れよう。職人の矜持、確かに受け取った」

 

 

夕刻、ギルドからの契約証書と資材調達証が交付された。帳面と一緒に抱えたまま外へ出ると、広場の屋台から香ばしい匂いが漂う。

 

「記念に何か買うか?」

 

「学びの腹ごしらえが必要ね」

 

リリエルは焼き栗屋で小袋を二つ注文。受け取った紙袋は熱く、甘い煙が路地に残る。石畳の縁に腰を下ろし、並んで栗を割った。

 

「帝都の空気は王都と違う?」

 

「違うわ。王都は見られる場所、帝都は働く場所。視線の質が違うの」

 

「どっちが重い?」

 

「見られる視線は刃の背、働く視線は刃の峰。峰の重みを受け止めてこそ、背の鋭さが活きる」

 

テオは笑い、袋ごと栗を傾けた。

 

「文字より難しいが、味は栗より甘いらしい」

 

「胡椒パンも栗も、働く後なら何でも甘くなるのよ」

 

 

日が落ち、石畳に灯籠の光が点る。二人は街を歩きながら契約証を読み返した。資材納入第一便は十日後、支払いは半金前払い――条件は良好だ。

 

「大炉計画、本格的に動くわ」

 

「村に知らせたら徹夜で祭りだな」

 

「まずは基礎の養生を進めねば。宴は炉の火が落ち着いてから」

 

「やっぱりお前が現場監督だ」

 

リリエルは照れ笑いをこぼし、通りの鉄看板を指差した。真鍮の羽根が描かれた鍛冶屋の新店――見本市で評判を得た若手工房らしい。

 

「私たちだけじゃない。帝都には火花を求める若い刃が多いわ」

 

「競い合うほど炉は熱くなる。負けられねえな」

 

「負けないわ。クロイツ村の火は、見世物じゃなく生きる術だから」

 

 

夜の門前通りは人々の笑いとハンマー音が混ざり合い、星のように散る火花が屋根越しに見えた。リリエルは胸の前で契約証を折り畳み、そっと鎚〈燈〉に触れる。

 

「帝都デビュー、平民モード……意外と悪くないわね」

 

「俺にとっては最高だ。金も信用も、そして胡椒栗も手に入った」

 

「胡椒栗は新しい名物になりそう」

 

二人は肩を並べ、通りの灯籠に背を押されて歩み出した。帝都の夜は長く、鍛冶屋の明かりは遅くまで消えない。だが次の夜明けは、さらに大きな火を呼ぶ――リリエルはそう確信しながら、甘い煙を吸い込んだ。
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