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畑仕事に少しずつ慣れてきた頃、ディランは私に新しい仕事を言いつけた。
夕食の準備の手伝いだ。
「俺が狩りに行ってる間に、そこのカマドで火をおこしておいてくれ。やり方はわかるか?」
「ひ、火……ですか?」
もちろん、わかるはずもなかった。
火をおこすなど、侍女や料理人がやることで、私がすることではなかったからだ。
私の返事を聞く前に、ディランは察したようにまたため息をついた。
彼は火打ち石と火口を取り出すと、手本を見せてくれる。
数回、石を打ち付けると、乾いた火口に小さな火種が生まれた。
「あとは、この火種を乾いた小枝に移して、少しずつ大きくしていく。火が消えないように、息を吹きかけながらな。いいか、絶対に家を燃やすなよ」
念を押され、私はこくりと頷いた。
ディランが狩りに出かけていくのを見送った後、私は一人、カマドの前に座り込む。
(わたくしに、できるのかしら……)
不安だったが、ディランに「また役立たずだ」と思われるのだけは嫌だった。
教わった通りに、火打ち石を懸命に打ち付ける。
カチッ、カチッ、と硬い音が響くだけで、一向に火花は散らない。
何度も繰り返すうちに、指が痛くなってきた。
「くっ……!」
悔しくて、半ばやけくそになって石を叩きつけると、カチッという音と共に、小さなオレンジ色の火花が散った。
「あっ!」
慌てて火花を火口に移す。
煙が上がり、小さな火種が生まれた。
(消えちゃだめ……!)
教わった通り、ふーっ、ふーっと優しく息を吹きかける。
火種はか細く揺れながらも、消えずに燃え続け、やがて乾いた小枝に燃え移った。
炎が、ぱちぱちと音を立てて安定する。
「……できた」
ただ火をおこしただけ。
たったそれだけのことなのに、とてつもない達成感が胸に込み上げてきた。
生まれて初めて、自分の力だけで何かを成し遂げた瞬間だった。
その後も、ディランに言われた通り、鍋に水を汲み、野菜を切った。
もちろん、包丁を持つ手つきはおぼつかず、野菜の大きさはバラバラだったが、それでも必死だった。
ディランが獲物の兎をぶら下げて帰ってきた頃には、私はすっかり煤まみれになっていた。
「おお、ちゃんと火、おこせたんだな」
ディランは少し驚いたように言った後、鍋の中を覗き込んだ。
「野菜も切ってくれたのか。……ふはっ、見事に大きさがバラバラだな」
笑われて、顔がカッと熱くなる。
「う、うるさいですわね! 初めてなのですから、仕方ないでしょう!」
「わかってる、わかってる。冗談だ」
ディランは笑いながら、私が切った不格好な野菜を鍋に入れ、手際よく兎を捌いて加えていく。
やがて、部屋には香ばしいシチューの匂いが満ちた。
「ほら、できたぞ」
差し出されたシチューを、無言で口に運ぶ。
自分で準備を手伝ったからか、いつもより何倍も美味しく感じた。
「……ありがとう、リア。助かった」
ぽつり、とディランが言った。
「え?」
「火おこしと野菜の準備、やっててくれたから、いつもより早く飯にありつけた。ありがとうな」
その素朴な感謝の言葉に、私は何も言い返せなかった。
胸の奥が、きゅっと締め付けられるように温かくなる。
誰かの役に立つこと。
そして、「ありがとう」と言われること。
それが、こんなにも嬉しくて、心が満たされるものだなんて、知らなかった。
煤で汚れた顔のまま、私はただ、胸に広がっていく温かい感情を、静かに噛みしめていた。
夕食の準備の手伝いだ。
「俺が狩りに行ってる間に、そこのカマドで火をおこしておいてくれ。やり方はわかるか?」
「ひ、火……ですか?」
もちろん、わかるはずもなかった。
火をおこすなど、侍女や料理人がやることで、私がすることではなかったからだ。
私の返事を聞く前に、ディランは察したようにまたため息をついた。
彼は火打ち石と火口を取り出すと、手本を見せてくれる。
数回、石を打ち付けると、乾いた火口に小さな火種が生まれた。
「あとは、この火種を乾いた小枝に移して、少しずつ大きくしていく。火が消えないように、息を吹きかけながらな。いいか、絶対に家を燃やすなよ」
念を押され、私はこくりと頷いた。
ディランが狩りに出かけていくのを見送った後、私は一人、カマドの前に座り込む。
(わたくしに、できるのかしら……)
不安だったが、ディランに「また役立たずだ」と思われるのだけは嫌だった。
教わった通りに、火打ち石を懸命に打ち付ける。
カチッ、カチッ、と硬い音が響くだけで、一向に火花は散らない。
何度も繰り返すうちに、指が痛くなってきた。
「くっ……!」
悔しくて、半ばやけくそになって石を叩きつけると、カチッという音と共に、小さなオレンジ色の火花が散った。
「あっ!」
慌てて火花を火口に移す。
煙が上がり、小さな火種が生まれた。
(消えちゃだめ……!)
教わった通り、ふーっ、ふーっと優しく息を吹きかける。
火種はか細く揺れながらも、消えずに燃え続け、やがて乾いた小枝に燃え移った。
炎が、ぱちぱちと音を立てて安定する。
「……できた」
ただ火をおこしただけ。
たったそれだけのことなのに、とてつもない達成感が胸に込み上げてきた。
生まれて初めて、自分の力だけで何かを成し遂げた瞬間だった。
その後も、ディランに言われた通り、鍋に水を汲み、野菜を切った。
もちろん、包丁を持つ手つきはおぼつかず、野菜の大きさはバラバラだったが、それでも必死だった。
ディランが獲物の兎をぶら下げて帰ってきた頃には、私はすっかり煤まみれになっていた。
「おお、ちゃんと火、おこせたんだな」
ディランは少し驚いたように言った後、鍋の中を覗き込んだ。
「野菜も切ってくれたのか。……ふはっ、見事に大きさがバラバラだな」
笑われて、顔がカッと熱くなる。
「う、うるさいですわね! 初めてなのですから、仕方ないでしょう!」
「わかってる、わかってる。冗談だ」
ディランは笑いながら、私が切った不格好な野菜を鍋に入れ、手際よく兎を捌いて加えていく。
やがて、部屋には香ばしいシチューの匂いが満ちた。
「ほら、できたぞ」
差し出されたシチューを、無言で口に運ぶ。
自分で準備を手伝ったからか、いつもより何倍も美味しく感じた。
「……ありがとう、リア。助かった」
ぽつり、とディランが言った。
「え?」
「火おこしと野菜の準備、やっててくれたから、いつもより早く飯にありつけた。ありがとうな」
その素朴な感謝の言葉に、私は何も言い返せなかった。
胸の奥が、きゅっと締め付けられるように温かくなる。
誰かの役に立つこと。
そして、「ありがとう」と言われること。
それが、こんなにも嬉しくて、心が満たされるものだなんて、知らなかった。
煤で汚れた顔のまま、私はただ、胸に広がっていく温かい感情を、静かに噛みしめていた。
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