メサイア

渡邉 幻月

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小瓶とゲート

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「じゃ、コレ飲んで。」
合流するや否や、リリンはカインに小さな小瓶を差し出した。
「…。コレ、何?」
小瓶を受け取りつつも、得体の知れないそれをまじまじと見詰めながらカインはリリンに問う。
ターコイズブルーの小瓶は、繊細なカッティングで装飾されていた。どうやら中に液体が入っているらしい。微かに水の揺れる音がする。

「一時的に能力が上がるドリンク、霊力バージョン。これでゲートが見えるようになるよ。」
一時的にしか効果が無いけど今はとりあえずマルクトまで行ければ良いから、これでじゅーぶん! と、リリンが答えた。
「そんなのあるんだ。」
カインは素直に驚いた。飲むだけで、能力が上がるなんて便利だな、と。
と、同時に疑問が湧く。兄・ヨナタンは一言もコレについて発言しなかった。異界特有の物なのだろうか。

「結構貴重なんだよ。サトゥルヌスって言う、異教の神からもらうしかないアンブロシアって言う果物が原料なんだよ。」
カインの疑問に気付いたのか、リリンがドリンクについて説明を始めた。
「そのアンブロシアの果汁に、例えば霊力を上げるドリンクにしたければ… 確かウンディーネの涙と、えーと…」
「あ、うん、詳しく聞いてもオレ、分かんないからレシピは良いや。それより、コレってメサイアは…?」
そもそもアンブロシアもウンディーネも見たこと無いしな、とカインは思う。そんな事より、ヨナタンが話してくれなかった理由の方が気になっていた。

「メサイアは使ったこと無いと思うよ。てゆーか、存在も知らないと思う。」
「そうなんだ… あ、もしかして、メサイアが夢の中で貰った果物って、その、アンブロシアってやつ?」
リリンの答えに、カインは少しホッとした。秘密にされていたわけでは無いと分かったからだ。同時に、ずっと憧れていた果物の存在が頭を過る。
「違うよー。あれはルシフェル様の魔力の結晶だよ。」
「魔力の結晶?」
「そ。果物に見えたのは、ヒトには魔力を見る頃ができないから、かな。夢の中だし、本人の知っているものに勝手に変換されたんだよ。」
リリンの説明を聞いて、カインのようやく長年の疑問が解けた。
夢の中で貰う果物は、人によってリンゴだったりイチゴだったりザクロだったりして、赤い色をしている以外共通点はほとんどなかった。
なんで、それなのか。誰も分からなかった。が、知っている果物としてしか認識されないのだとしたら、納得できる。

「納得できた?」
「ああ。ありがとう。スッキリした。」
「じゃー、納得できたところで、それ、飲んで?」

カインは小瓶の蓋を取った。甘い香りが漂う。
匂いは、熟した果物のようで美味しそうだと感じる。が、見たこともない、名前もさっきまで知らなかったアンブロシア(これは果物だからまだ良い)だとか、ウンディーネの涙だとかが材料なんだよな? それに他に何が入ってるのか分かったもんじゃない。
と、思うとカインの手はそこから先に動かない。
そもそも涙って… それを飲むのかよ? と、不安を消せないカインだった。

「早く飲んで。」
リリンの表情が硬くなる。何度同じことを言わせるのか、と無言のうちにカインを責める。
さっきの説明は理解できないから遮ったけど、それはオレが悪いけど、得体がしれないコレを飲めと? と言う心の声は胸の奥にしまい込んで、カインは覚悟を決め一気に飲み干した。
一気に飲み込まなければ、途中でまた迷いが出て結局飲めない、なんてことになりそうだと判断したからだ。

「…案外美味しいね。」
小瓶を見つめ、カインが呟く。意外と言えば意外、匂いの通りと言えばその通りで、桃をベースに作ったミックスジュースみたいな感じだな、と言うのがカインの感想だった。
「だろーね。アンブロシアは異教の神の食べる果物だしね。」
「神様の食べ物なの?」
「そうそう。だから貴重なんだって。」
アタシだって飲んだこと無いもん、とリリンが言った。
「なんか… オレ一人でそんな貴重なのもらってゴメン?」
「気にしないで? 先に進めない方がモンダイだしね。で、アレ見える?」
リリンが指さす方向に、カインは視線を向けた。

ダアトの森の木々の向こう側、この森のすぐ東側に、簡素な造りの祠があった。
「!? あれ? あんな祠なんてあった?」
カインは瞼をこすり、何度も瞬きを繰り返す。
やはり、祠がある。不思議な光に包まれた祠。さっきまでは何も無かったはずの、地図にだって記されていない祠が。
「良かったー、見えるね? あの祠。」
リリンは素直に喜んでいる。
「あれが、ゲートってこと?」
震える声で、カインは尋ねた。自分の身に起こったことが理解できない。ただ、あの甘い匂いのした、よく分からない液体を飲んだだけだ。
何が変わった訳でも無い、はずだ。
なのに。さっきまで見えなかったものが見える。

「そうそう。ケテルと他の都市を結ぶゲート。」
メサイアの地図にしか載ってないヤツね、と、リリンがカインに説明する。
「ああ、だよね、地図には無かった…」
驚きがまだカインを支配している。
「ケテルには、メサイア支部の中にもゲートがあるんだけどね。」
「そうなの?」
「商人達を、別の都市に送るためだよ。ゲートが見えなくても使えるように、目眩ましの結界が張られてない特殊なヤツ。」
ああ、そう言えばそんな話を聞いたな、とカインは思う。
「特殊すぎて、さすがに今回は借りるの無理。だから、こっちのフツーのゲートを使うよ。」
借りるって言うか、無断で使うんだよな、それな。と、カインは心の中でこっそり考えていた。そしたら、確かに無理なのかも、とも。
じゃ、行こっか。リリンが祠に向かって歩き出す。カインもそのあとに続いた。

不思議な模様が刻まれた、祠の扉。
「あの模様が、目眩ましの結界を維持する装置になってるんだよ。」
と、リリンが指差しカインに説明する。
魔方陣、と言うらしい。カインが新たに覚えたことだ。

「この、不思議な光は何?」
祠全体を覆う、柔らかいサフラン色の光。カインはそれが気になっていた。

「それも見えるんだ? それは、転移の魔力って言えばいいのかな。その光が目的地に運んでくれるんだよ。」
少し驚いた表情を見せて、リリンはカインに答えた。
「てゆーか、それまで見えるようになるって、やっぱり勇者サマだね!」
「なんだよ、それ…」
「魔力の流れまで見えるようになるとは思わなかったんだよね。」
時間があったら、ドリンク無しでゲートが見えるようになってたかもね。
まじまじとカインを眺め、リリンが言った。

「そ、そんな事より、ゲートってどう使って移動すんの?」
誉められているんだか、貶されたんだか分かんないな、これ。カインはリリンの視線から逃げるように、話を進めようとする。
「あ。そうそう。まずは中に入って…」
と、リリンが祠の扉を開け、中に入る。話題が変わってホッとしたカインも、あとに続いて祠の中に足を踏み入れた。

小さな小さな祠、のはずだった。
中は、外見以上に広々としている。そうして、外と同じサフラン色の光に満ち満ちていた。
この光が、外に漏れていたのか。と、カインは思う。ずっと強い光が充満しているのに、眩しく無いのが不思議だった。

祠の奥まった場所に、祭壇のような物があった。
祭壇の回りに様々な色の丸い宝石のような物がそれぞれ台座に置かれている。
この祠の中の目立った物と言えばそれだけだ。
「カイン、こっち。」
リリンが遠慮も躊躇いも無く祭壇に近付く。
カインはこの不思議な空間をキョロキョロと見渡しながら、祭壇へ向かう。

「ここに丸い穴があるでしょ?」
祭壇の中央を指し、リリンが言った。そこには穴の空いた台座がある。
「回りに並んでる丸いヤツと同じくらいの大きさだね。」
「そうそう。話が早い! ここに、行きたい場所に対応したオーブを嵌め込むと、転移の魔法が発動する仕掛けなんだよ。」
カインの感想に、リリンが手を打って喜んだ。
「あれ、オーブって言うんだ。って言うか、どのオーブがどこって決まってるの?」
改めて、カインは陳列されたオーブを眺めた。

純白、灰色、黒、青、赤、黄色、エメラルドグリーン、オレンジ、紫、そしてレモン色・オリーブ色・小豆色と黒がマーブル状になっている物の十種類。
それらが淡い光を放ちながら、台座に鎮座している。
特に台座に名前が記されている訳でもない。

「覚えておくと便利かもよ? 十大都市にはそれぞれ色が割り当てられているんだよ。例えば、さっきまで居たケテルなら白。」
純白のオーブを指差して、リリンが言った。そして続けるには、
「第二の都市コクマーは灰色、第三の都市ビナーは黒、第四の都市ケセドは青、第五の都市ゲブラーは赤、第六の都市ティファレトは黄色。」
一つ一つ指差し、ゆっくりと説明していく。
「そして第七の都市ネツァクがエメラルドグリーン、第八の都市ホドがオレンジ、第九の都市イェソドが紫。」
メモするものも無く、カインは必死に頭に刻み込もうとオーブを射るように見詰める。
「最後が、これから向かう第十の都市、マルクト。あのマーブルになってるヤツね。何色って言えばいいのか、アタシには分かんないけど。」
最後のオーブを目の前に、リリンは肩を竦めた。
「確かにね… でも、逆に忘れないかもな。かなりドギツイ…」
「まーねー。じゃ、ゲート浸かってみよっか。マルクトのオーブを祭壇の台座に納めて。」
リリンに言われるまま、カインはマルクトに対応していると言う、マーブルのオーブを手に取った。
一瞬、罠でもあったらどうしよう、と言う不安が頭を掠めたが、優しい光を放つオーブに不思議と安心感を覚えてそっと触れてみる。
特に何も起こらないので、そのまま取り上げたのだった。

そうして、恐る恐る祭壇の台座にオーブを納める。
台座の穴にピタリと嵌め込まれたオーブが、急に光を放つ。
「うわっ!?」
突然の出来事に、カインは思わず叫んでいた。
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