メサイア

渡邉 幻月

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修行:イェソドエリア編【八日目~十日目】

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【八日目】
体が怠い。なんだか重くて仕方がない。
微睡まどろみの中で、カインは疲労に襲われていた。寝返りを打つのも面倒だ、瞼を開けるのも。だけど同時に身動みじろぎ一つしないこの状況も窮屈だ、カインは夢と現の狭間でそんなことを考えていた。

そもそも、なんでこんなに怠いんだろう?
結局、寝返り打つのも起きるのも諦めて再び眠りに就こうと決めたところで、ふとカインの意識にそんな疑問が浮かび上がった。

昨日は確か、ん? 昨日?
昨日だよな。
ぐるぐると取り留めも無く思考の海に沈む。

確か昨日は、ジョロウグモと再戦しに林に行って… そうして、一昨日のより若そうなジョロウグモと戦ったんだ。

結構苦戦して、でも何とか倒せたんだよな。

リリンに魔法が使えそうだった、って言われたんだよな。
ホントかな。
ホントだったらいいな。

それで、リリンに怪我を治してもらって…? 治して?
あれ、なんか違うな。

リリンはオレの怪我を治そうとして、
それで…
驚いてた?

何に?


… …
… … …

サーベルタイガー!!

肚の底に冷たいものが落ちてくる感覚に、カインは思わず飛び起きた。
怠いとか、そんなことを言っている場合じゃない。

――殺られる!
心臓が壊れるんじゃないか、と心配になるくらいに早鐘を打つ。息をするのも苦しいくらいに。
「カイン!」
遠くでリリンが叫んでいる。遠くで?
「良かった、起きたね。」
リリンの声が近付いてきて、同時に狭まっていた視界も広がりを取り戻していく。

「…リリン?」
「うん? 平気?」
リリンがすぐ隣で、心配そうに顔を覗き込んでいる。ずいぶん遠くから声が聞こえたと思ったのに、と、まだうまく働かない頭でカインは考えていた。

「肺に穴は開くし、心臓にも掠ってたしで、かなりの重傷だったから心配してたんだよ…。」
「え?」
「…覚えてない? サーベルタイガーの牙がカインの胸に、こう、ざっくりと…」
と、リリンが身振り手振りで説明する。
サーベルタイガーの牙が、ざっくりと。頭の中で復唱して、カインは身震いした。
それでも、その瞬間は思い出せない。
まるで記憶を削ぎ落されたみたいにバッサリと、途切れた先は真っ暗だ。

「ええと、あの、ありがとう。思い出せないけど、助けてくれたんだよな。」
戸惑い気味にカインはリリンに礼を言う。
「あ、ううん。サーベルタイガーはまあ、アタシが倒したんだけど、それはいいんだけど。怪我を治したのはママなんだよね…」
珍しくしょんぼりとした様子でリリンが答えた。
「ママ? え? どういうこと?」

「アタシの初動が一歩遅くて、サーベルタイガーは倒せたけどさっき言った通りの怪我を負わせちゃったわけよ。」
と、ぼそぼそとリリンが説明を始めた。
彼女の説明によると、肺の損傷が激しく、同時に心臓にも傷を負っていたカインは虫の息だったそうだ。
それはリリンには回復できないほどのダメージだったと言う。
リリンの母親ママ、地獄の女君主リリト。彼女はかつて人間だったとも言われる女悪魔なのだという。
「ママが来てくれなかったらもうダメだった。」
そう言って消えそうな声でごめんね、とのリリンの言葉を聞いて、改めてカインは死の恐怖に襲われた。
これ以上詳しく話を聞いたら、恐怖で死ねる。怪我の具合も、どうやって治ったのかも、もういい。心底そう思ったカインは、
「あのさ、結局こう… 無事? だったし、だから、もう気にしないで。」
オレが言うのも変だけど、元気出して? と、リリンを慰めた。

「…。とりあえず今日はゆっくり休んで。」
リリンが力無く言った。
「ママが治してくれたから怪我は完治してるから、寝てなくてもいいよ。好きに過ごして。」
「う、うん…?」
確かに怪我は跡形もない。自分の体を確認してカインは本当に死にかけたんだろうか、と疑問にも思う。が、同時に考えられないほどの怠さがあった。
疲労までは治らなかったんだろうか?
それとも怪我だけを治してくれたんだろうか。
「どっちでもいいか。」
「何?」
「ううん。ちょっと怠いから、今日は部屋に居ようと思う。」
まだいつもの調子に戻っていないリリンを気遣って、カインは笑顔で答えた。

【九日目】
晴れ間が広がる。
昨日、ゆっくり休んだカインの目覚めは爽やかなものだった。
なんだか調子が良い、一昨日死にかけたのが趣味の悪い冗談みたいだ。窓を開け放って、深呼吸をしたカインが空を見上げながら考える。
…今ならサーベルタイガーにも勝てるんじゃないか。
なんてことを。

「大丈夫なの?」
心配そうにリリンがカインの顔を覗き込んできた。
「もう平気。一昨日ホントに怪我したのかな? ってくらい。」
「…。もう一日くらい休もうかと思ってたんだけど…」
「うーん… 心配してくれるのは嬉しいけど、今日も休むと元気すぎて逆にどうしたらいいのか…」
カインは肩をすくめてリリンに答えた。
実際、こんなに体力が溢れているのに観光なんてしていられない。まして、昨日みたいに部屋でゴロゴロするなんて、無理な相談だ。

「じゃあ、修行再開でも問題ない?」
恐る恐るリリンが尋ねる。
その意外な様子に、自分以上にショックだったんだろうな、なんてことをどこか他人事のようにカインは考えていた。
「いいよ、なんか調子いいからさ、今日ならイケる気がする。」
変に気を使っても今のリリンには意味がなさそうだと判断したカインは、少しおどけた様子で答えた。
「今日も林に行くよね?」
ジョロウグモは討伐できるようになりたいしさ、カインは出来るだけ軽い感じでリリンに声をかける。
正直、死にかけたくらいだ。恐怖を感じないわけじゃない。だが、リリンの落ち込んだ顔を見るのもなんだか切ないし、何より、ここで立ち止まったら…
きっと、兄弟に劣等感と嫉妬を抱えたまま生きることになる。それだけは、嫌だとカインは思った。

カインの様子に、少しだけいつもの調子を取り戻したリリンが、
「じゃあ、今日は天気良さそうだしランチ用意してもらうね! 先に食堂に行ってて!」
そう言い残して部屋を出て行った。
「…着替えがないって楽でいいよな…」
そう呟いて、カインは身支度を整えると食堂に向かった。

朝食を終え、カインが装備を整えると二人は林へ向かう。
微妙な緊張感が漂う。やはり、サーベルタイガーに瀕死の重傷を負わされた事実は、そんなに簡単に消えるものではなかった。
カインも、リリンにも拭いようのない恐怖に襲われた。

サーベルタイガーを倒すしかない。
カインは密やかにそう決意した。
この、恐怖に克つにサーベルタイガーを倒す以外、きっと方法は無い。震える手を力強く握りしめ、カインは改めて林の中を睨んだ。

午前の一戦目はジョロウグモだ。
三戦目ということもあり、さすがに攻撃手段はカインの頭に入っている。飛んでくる糸を躱し、今度は後手に回らないように攻撃を仕掛ける。今日のジョロウグモもなかなかに好戦的だ。糸と爪のコンビネーション攻撃がカインにじわじわとダメージを与える。
狙いは口の中だ。もっと攻撃力があったらそんなバクチみたいな攻撃をしなくて済むのに、そう考えながらもカインはフェイントをかけながらジョロウグモの隙を伺うように攻撃を繰り返す。
「カイン!」
リリンが叫ぶ。散乱する糸を避けようとしたカインはバランスを崩したのだ。すかさずジョロウグモが飛び掛かってくる。…大きな口を開けて。
 今だ!!
怪我を覚悟で、カインはジョロウグモの口目掛けてレイピアを突き出す。恐怖と背中合わせの集中、火花が散るような感覚。そして体の中心からレイピアの切っ先に向けて何かが流れていくような感覚。
…知ってる。
この感覚は、一昨日もあった。その時は、リリンに言われたんだった。魔法が使えそうだった、って。

魔法の手ごたえは無かったが、レイピアがジョロウグモの中枢を捉えた手ごたえは感じた。カインはすぐさま手を引き抜く。
致命傷を与えられたジョロウグモはその場に倒れ落ちた。
「あのさ、リリン。結局魔法ってどう使うんだ?」
ジョロウグモの体液に塗れた手を見て、カインはリリンに尋ねた。
「もう、使えてるんじゃないの?」
答えになってない答えを返したリリンは、ジョロウグモの死骸を検分していた。
「え?」
「ほら、ここ見て? 焼け焦げてるでしょ?」
軽々とジョロウグモの上顎を持ち上げ、リリンはカインの攻撃跡を見せる。
「あ、ほんとだ。焦げてる。…オレがやったの? それ。」
「他に誰がいるのよ。」
リリンはそう言うとカインに説明を始める。

「初級の魔法は呪文の詠唱がいらないんだよね。魔力… キミは人間だから霊力だね、それの流れさえイメージ出来たら。」
「ふうん? じゃあ、イメージできないと?」
「霊力の流れを補助する呪文の詠唱が必要になるねぇ… 実践向きじゃなくなるけど。」
「実践向きじゃないって、なんで?」
「詠唱する間、身動き取れないでしょ? 無防備じゃない。まあ、メサイアみたいに何人かで討伐パーティー組むなら別だけど。あと、彼らの場合相手は所詮は怪物だしね?」
神を相手にする勇者が、そんなまどろっこしいことするわけにはいかないじゃない? と、リリンはさも当たり前のように言う。
「ああ… うん。それはそうな。」
本当はメサイアたちも神サマに一矢報いたいとは思っているんだろうけど。だけど、リリンの話を聞く限り、メサイアの力を以てしても神サマには及ばないのだろう。
「呪文詠唱になれちゃうと、逆に弱くなるから今までずっと霊力のトレーニングしてたんだよね。ようやく効果が出てきたって感じかな?」
リリンの言葉に、つまりはまた別の魔法の習得方法があるってことなんだな、とカインは考える。ただ、それは安易な方法であるが故に勇者オレ向きではないとリリンは判断したのだろう。
「つまり、霊力の流れがイメージ出来たら、オレは魔法が使えるってことでいい?」
「そうそう。この炎の攻撃魔法ならこの辺りから炎が発生して、手の方に流れていくイメージね、こんな感じ。」
そう言ってリリンはへその下の丹田を差し説明を始める。炎の流れをイメージするくだりで、炎を可視化して分かりやすくする。
「で、手のひらに炎が集まるイメージができたら、今度はそれが敵に向かっていくのをイメージする。と、炎が敵に向かって放たれるよ。ちなみに、武器も体の一部のような感じで刀身に炎が流れるようにイメージ出来たら魔法剣になるよ。キミがさっきジョロウグモを倒したのはこっちかな?」
「へえ…」
感心したようにカインが頷く。
「目標は流れるような動作で魔法が使えるようになることかな。そうじゃないと呪文の詠唱を省略する意味が無いしね。」
「分かった。今度からは魔法のことも意識してみるよ。」
「じゃあ、キリもいいし休憩にしよっか。初めての魔法攻撃で疲れてるでしょ?」
リリンに言われて、いつもと違った怠さにカインは気付く。体力を使った疲労というよりは、何か強力なストレスに襲われたような怠さだ。
「言われて気付いた、確かに疲れてる。」
だよねー、とリリンは答えると休憩にいい場所があっちに会ったよ、と言ってカインを引っ張っていく。
広げたレジャーシートの上に腰を下ろし、リリンに怪我を直してもらう。
ふと、リリンの手が止まった。
どうしたの? と、声をかける前に、カインも気が付く。

いる!

サーベルタイガーが息をひそめてこちらの様子を窺っている。
「逃げよう、カイン。」
リリンが囁いた。
「一つ聞きたいんだけど。」
リリンに答える前に、カインは質問を投げかけた。
「何?」
「サーベルタイガー、リリンは倒せるんだよね?」
「え? 何? …まあ、倒せるけど…」
「じゃあさ、リベンジしよう? 一昨日と違って、オレの怪我そんなでもないし、それに、魔法も使えるようになっただろ?」
「は? 何言ってんの?」
「リベンジしよう。じゃないと、オレも、リリンもきっと… この恐怖にずっと付き纏われる。」
サーベルタイガーが身を潜める先を睨みつけ、カインが言う。
「それは…」
「やろう、リリン。」
リリンはカインの持つレイピアに炎が宿っているのを見た。

カインの目覚めた能力が炎でよかった、とリリンは思っていた。獣系の怪物に相性がいい。それに、幸か不幸か能力が使えるようになったあとの遭遇だ。…尤も、魔法が使えるようになったばかりのカインのそれは、不安定なはず。
だけど、肝心のカインはやる気に満ちているし、前回のような不意打ちに近い状況でもない。
あたしが初めから参戦していれば、サーベルタイガーの一頭くらいカインにもどうにかできるかもしれない。
「分かった。あたしも最初から参戦する。そのまま魔法剣で戦って。」
まずはカインを全快させる。そうして体力を削ろう。
カインを攻撃の主体にしていることもあって、リリン単体で戦うよりも苦戦する。だが、確かに一昨日ほどの絶望感は無い。それがリリンの感想だった。

カインの魔法が目覚めたばかりで不安定なところが、リリンの肝を何度も潰した。肝心なタイミングで炎が消えかかること数回。ダメージを与えそびれる度に、逆にカインがサーベルタイガーの攻撃を喰らう。
「カイン! 魔法剣を使うなら霊力を意識して!」
リリンはサーベルタイガーの足元に炎を放ち、威嚇しつつカインにアドバイスを送る。
「魔法剣なら、普通の攻撃よりダメージが大きいから、的確に急所を狙わなくてもどうにかなる!」
我ながらめちゃくちゃだ、そう思いながらもリリンはなるべくカインが攻撃の主体になるように立ち回った。

カインのダメージが蓄積されていく。リリンの回復があと一歩追いつかないほど、サーベルタイガーのスピードと攻撃力は強力だった。だが、それでも。同じくらいのダメージをカインはサーベルタイガーに与えていた。こうなれば、回復手段のあるなしがモノを言う。
ついに、カインの魔法剣がサーベルタイガーを打ち倒した。からくも勝利、との表現が似合う結果だった。
「…や、った‼」
足元が覚束ないながらもカインはガッツポーズをする。さすがのリリンも今回ばかりは安堵して気が抜けたのだろう、その場に座り込んだ。
「なんとかだっだけど、勝てたね!」
二日ぶりに心から笑える、とリリンは思った。
痛みも疲労も、勝利が吹き飛ばした。それまで纏わりついていた不安と恐怖も一緒に。
「戦ってよかった。なんとか勝てたって感じだけど、確かにキミの言うとおりだったかも。」
「な!」
「今日はもう帰ろっか。サーベルタイガーに勝てたし、十分だよ。まぁアタシの魔力も底を突きそうってのもあるんだけど。」
「ああ、うん。帰って魔法の練習したいかな、オレ。」
ここじゃ逆に危険そうだしな、とカインが笑顔で言う。
「…そうだね、確かに部屋の中の方がいいかも。キミは霊力のコントロールをまず覚えなきゃだし。」
勝ってモチベーションが上がったのかな? と休むよりもトレーニングを選ぶカインに、ほんっっとにマジメだなと感心するリリンだった。

長居してサーベルタイガーと再戦は無理、とリリンはカインの傷を治すより先にメサイアの結界のある採取エリアまで撤退する。
そこで安全を確保してカインの怪我を完治させることにしたのだ。
「ランチ食べ損なっちゃったね、そういえば。宿に帰って食べよっか。」
「そうだね。」
傷を治しながらそんな会話をする。空腹がそんなに感じられないのは、サーベルタイガー戦で興奮しているからなんだろうな、とカインは塞がっていく傷を見ながら考えていた。

宿に戻った後は、二人で遅い昼食を取り、腹がこなれたところで魔法のトレーニングに入った。
普段の夜の瞑想より一段階上がったトレーニングだ。
「まずは、安定して炎を発現できるようにしないとね。」
リリンはそう言うと、カインに胸の前で物を持つようなポーズを取らせる。
「そこに炎を出してみて。いいって言うまで、ずっと同じ火力を保ってね。火力は強くなっても弱くなってもダメだよ。」
両の手のひらの間の空「ランチ食べ損なっちゃったね、そういえば。宿に帰って食べよっか。」
「そうだね。」間を差して、リリンが指示を出す。
「分かった。」
カインは、楽勝だなと高を括りながら指示通りに炎を出す。
…炎を出すところまでは良かった。カインはせいぜい五分や十分ほど炎を維持して次に行くのだと思っていた。だが、リリンは止めていいとも、次の動作の指示も言わない。ただ、炎の威力がブレると指摘してくるだけだった。
疲労が蓄積していくのが、自覚できるほどになるとそれに比例して炎の威力を維持するのが難しくなってくる。なのに、リリンのダメ出しは容赦なくなっていく。
なんだコレ、すげぇ難しい… 威力が落ちないように、と思うと逆に上がりすぎる。上がりすぎたのを下げようとすれば今度は弱くなりすぎる。カインは楽勝だと思っていた過去の自分にこのザマを見せてやりたいと毒づきたくなる。
「あっ、やば、」
そうこうしているうちに炎が消えてしまった。
「えぇと…」
もう一回炎を出せばいいんだろうか、恐る恐るカインはリリンの顔色を窺う。
「んー、四十分くらいか。とは言っても、威力安定してなかったし… 正味十から十五分ってとこかな?」
「何が?」
「炎を安定して発現できたのが。」
「…目標としては、どれくらいできるべきなんだ?」
「一時間くらい、安定出来たらいいなとは思ってる。今の段階でなら。」
今の段階で、ということは本当はもっとできないとダメなんだよな、とカインは自分の両手を見詰める。
「今、戦闘中じゃないから集中はしやすいじゃない? 一時間くらい維持出来るようになったら、戦闘中にピンポイントで魔法使うのに不安は無くなるかな? 常時魔法剣で戦うなら息をするのと同じくらい霊力をコントロール出来るようにならないとだけど。」
「…分かった。まずは、これが出来るようになるのが目標なんだな。」
「頑張って!」
一人黙々とトレーニングを始めるカイン。リリンは手がかからなくて楽だわー、と密かに思っていた。

【十日目】
朝起きて窓の外を見たカインは、嫌な空だな、と溜息を吐いた。雨雲が一面に広がっている。今はまだ曇っているだけだが、そう時間をおかずに雨が降り出しそうだった。既に空気も湿っている。いつ振り出してもおかしくない。
宿の食堂で朝食を取っている間に、カインの予想が的中したのが分かった。
「雨だねー。今日は面倒だけどお昼は街に戻ってこないとだねー。」
窓際のテーブルで食事をしていた二人は、外に視線を向けながら話し始めた。
「雨だけど、今日は何と戦うつもり?」
「林の樹木型トレントかな。まだ戦ってなかったし、ちょうど雨でステータスアップしてるじゃない?」
「ああ…」
相槌を打ちながらカインはマルクトのマン・イーターを思い出していた。雨の日にやたらと元気が良かったな、と。
「トレントにも炎は有効なんだけど… 今日は雨だからね、気を付けてね。」
リリンの含みのある言い方に、
「それって… トレントが雨で元気が良くなってる他にも何かあるってこと?」
カインは視線をリリンに移して質問を投げた。
「炎系の魔法には雨は相性悪いから。」
リリンの答えに、ああ、とカインは納得した。相性なんてもの考えたことは無かったが、言われてみればすんなりと受け入れられた。
「上級の魔法ならこれくらいの雨には影響されないけど、キミはまだ初級魔法も安定してないからね。」
「昨日のさ、」
「何?」
「一時間くらいっての、できるようになったらこのくらいの雨に影響されなくなる?」
「うぅん… 影響は受けるかな? まだ初級の魔法しか使えないしね。でも、今は影響受けるどころか消えちゃうけど、それは無くなるね。」
「そうか… 今日は魔法は使えないってことだね。」
残念そうにカインは呟いて、視線をまた窓の外に向けた。

気を取り直して、二人は林に向かう。採取エリアを過ぎてまず出会ったのはジョロウグモだった。
「魔法は使えないの分かったんだけどさ、前にやったみたいに攻撃をヒットさせた瞬間に魔法剣にすればダメージは増えるのかな?」
レイピアを構えて、ふとカインは前回の戦いを思い出す。
「そうだね、今日は炎の威力は落ちるだろうけど… レイピアだけの攻撃よりは攻撃力上がるね。」
「分かった。」
ジョロウグモ四戦目だ。雨で動きが鈍っているようでもあったが、カインに慣れもあったのだろう。雨で足場が悪いにもかかわらず、危なげなくジョロウグモ戦を終える。
さすがに一撃で仕留めることは出来なかったのだが、
「今日が雨じゃなかったら、魔法剣で仕留められただろーね。」
と、リリンが褒める。
「そうかな?」
「ジョロウグモはクリア、でもいいかもね? 明日晴れたらもう一戦だけしてみようか。」
「分かった。」
「じゃあ、次はトレント戦かな。探すからちょっと待ってね。」
リリンはそう言うと視線を林の奥に向ける。千里眼の指輪が光る。リリンがトレントを探す間、カインは不思議に思いながら千里眼の指輪を見ていた。メサイアも使えるんだろうか、こういうアイテムを。
「見つけた! 行くよ、カイン。」
リリンの声に我に返る。カインはリリンの後について林の中に分け入った。

「…あれが、トレント?」
そこには、動く樹木の姿があった。大柄な成人男子くらいの大きさの樹木の根が二股に分かれ、それが人間の足のように動いている。そして大ぶりの枝が二本、腕のように動いているのが見えた。天辺の方の枝は細く垂れ下がりまるで髪のようだ、とカインは思った。
「そう、樹木人トレント。炎系の攻撃が有効なんだよね、あいにくの雨なんだけど。」
「…さっきみたいにレイピアを突き刺した瞬間に魔法を使うのがいいのかな。」
「今日みたいな日はそうなるかな。刺さればだけど。」
「え?」
「ほら、見付かったよ。早く構えて。」
リリンの意味深な言葉の真意を確認する間もなく、トレント戦が開始された。
だが、カインはすぐにリリンの言葉の意味を理解した。樹皮が丈夫で、レイピアが刺さらないのだ。斬撃抜きの武器ではないので、トレントの樹皮は掠る程度のダメージしか与えられない。
「え? これ、どうすんだ?」
対してトレントの攻撃は厄介だった。蹴り、は根が伸び鞭のようにしなりうっかりしていると絡めとられてしまう。腕での攻撃も同様に面倒だった。こちらは葉がついていることもあり、攻撃範囲が広めだ。葉のダメージ自体は多くは無いが、水滴が飛び散りどちらかというと気を逸らされる。雨の日故の効果だろうが、こちらに決め手が無い分イラつかされる。
スピード自体は、それほどでもないのが今のカインにとっては救いだった。
「…どうやってダメージを与えりゃいいんだ?」
魔法が使えないのは、実はジョロウグモ戦で試していた。雨にかき消されてしまうのだ。炎を使うとしたら、やはり、突き刺したレイピアに炎を纏わせるくらいしかないのだろう。
それなのに、肝心のレイピアがトレントに突き刺さらない。
「かすり傷しか… かすり傷?」
呟いて、カインはレイピアに視線を向ける。なんとなくだが、魔法剣の方が炎を安定させやすいような気がしている。突き刺せないまでも、ヒットした瞬間魔法剣にしていたらどうなるんだろう? ふと、そんなことが頭を過った。
そもそもリリンが対戦させているということは、どこかに勝機があるはずだ。無ければ、サーベルタイガーのように逃げると言うはず。それなら、もしかしたら。
カインはレイピアを構えなおしてトレントに向き合った。ヒットする瞬間だけ魔法剣にする、なんて死ぬ気で集中しないと無理だ。カインは息を吐く。長く。ゆっくりと呼吸をして集中する。
トレントの攻撃を紙一重で躱して、攻撃を返す。
「今だ!」
カインの思惑は成功した。レイピアそのもののダメージは今までと同じかすり傷程度だったが、うまく炎が発動したおかげでトレントを少なからず損傷できた。
「やるじゃん!」
「あのね… まだちょっとダメージが増えたってだけでしょうが。倒せる気がしないんだけど。」
「あぁ…」
「あぁ、じゃないよ、うわ!」
リリンとの会話中も容赦なくトレントは攻撃してくる。カインは器用に攻撃を躱しつつカウンターで魔法剣を叩き込む。
「持久戦で頑張れ?」
無責任なリリンの言葉にイラっとしつつ、サーベルタイガー初戦のトラウマはもう綺麗に無くなったんだな… と安心していいのか微妙な気持ちになるカインだった。
ある意味通常運転のリリンか… カインは溜息を吐きつつ、トレントに切り込んだ。
今までの怪物たちと異なり、異形とは言え人型のトレントが相手だ。長引けば長引くほど、カインは居た堪れなくなってくる。こっちも精一杯戦ってはいるが、どうにもなぶり殺しにしているような感じがしてならない。
…ああ、本当に。一撃で倒すことの意味がさらに重くカインに圧し掛かってくる。

どうにかトレントを倒した頃には、昼時を随分と過ぎていた。
「…。」
「今日も遅い昼食になるねぇ。」
「あのさ、今日も昼の後は魔法の練習にしてもいい?」
リリンに傷を治してもらいながら、カインは言った。視線はトレントの死体に釘付けになったまま。
「いいよ。このままだと二戦目も泥仕合で進歩なさそうだし。」
「…ありがとう。」

一時間、炎を安定して発動出来たら、こんな雨の日でも魔法が使える。
カインは握った拳にさらに力を込めた。

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