メサイア

渡邉 幻月

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修行:ホドエリア編 【マナガルム戦】

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うっすらと雲が空を覆っている。よくよく見れば、上空は風が強いのだろう雲の流れが速いようだ。もしかしたら、午後にも晴れるのかもしれない。カインは空を見上げた。
 今日から、ホドでの実践が始まる。手始めにマナガルム戦だ。ステータスだけなら、実はホドエリア内では最強になる。ただ、猩々やホーネットが厄介な動きをすることもあり、後回しにするのだとリリンは言っていた。
 リリンの説明を聞く限りでは、マナガルムも厄介そうではあった。森に生息しているのだ。身を隠す術も、障害物のある場所での行動も、今までの怪物とは違うだろう。イェソドエリアでは林の中でサーベルタイガーと戦った。樹木が邪魔ではあったが、それでもこのホドエリアの森に比べれはまだ空間的には動きやすかった。
 それでも、どうにかできるかもしれない。カインがそう思えるのは彼がこのエリアの出身だからだろう。彼の生家のあるセフィラ:κも町の作りはホドの街と似ている。規模が小さいだけで。メサイアの結界の中の果樹園や木材用の森の中でアベルと一緒に遊びまわったのもいい思い出だ。…多分それが役に立つ。

 カインとリリンは、いつものように宿の食堂に作ってもらった昼食を受け取ると、さっそく結界外にある森に向かった。そうしてこれまたいつものように、リリンが目隠しの結界と千里眼の術を駆使して目的のマナガルムだけを探す。
 リリンの術のおかげで、ターゲットは容易く見付かった。アイテムの補助があるとはいえ、本当にすごいとカインは感心すると同時に恐ろしくも感じた。カイン自身の能力が上がるにつれ、リリンが味方でよかった、とこっそり安どのため息を漏らす。

 午前は群れからはぐれたマナガルム二頭と戦闘した。鬱蒼と茂る森の中、地形をうまく利用して襲い掛かってくるマナガルムに、こちらも土地勘のあるカインが魔法剣を駆使して戦う。
 とは言え、やはりマナガルムの方が上手うわてであった。土地勘があるとはいえ、森の中での戦闘経験は圧倒的にマナガルムの方が勝る。それでもカインは食らい付き、一頭目は左腕を犠牲にしつつも魔法剣で止めを刺した。
 二頭目との対戦前、リリンは怪我を治しながらアドバイスが必要かをカインに問うた。カインはリリンのその問いが耳に入っていない様子で、いつもの独り言を口にしながら、森の一点を見つめいていた。その様子に、リリンはもう暫く様子を見ることにし、
二頭目のはぐれマナガルムを探した。

 カインの成長スピードは日に日に上がっている、とリリンは感じていた。マルクトエリアでは、実は先が思いやられると感じていたのはカインには秘密にしようと考えている。手取り足取り教える必要があったのは、最初だけだ。あとは、ちゃんと自分で考えて、相手を攻略している。
「魔王の勇者って、伊達じゃなかったんだ。」
改めてリリンは感心していた。だってほら、二戦目の今となっては、片腕を犠牲にする必要も無ければ、攻撃を掠らせもしない。土地勘があるとはいえ、成長著しい。午後からは複数体相手に出来るだろうし、予定通り、明日にはマナガルムの群れを下すだろう。攻略の時間は問わないでおこう。明日一日使ったっていい。それでも、無傷で勝利するだろうから。
 リリンは背中にゾクゾクとした何かが走っていくのを感じた。興奮している。なんて光栄なんだろうか。ルシフェル様の勇者を育てる役目を仰せつかったとは。始めは人間の相手なんて、なんて面倒なんだろうと思ったのに。…今は、こんなにも楽しい。

「じゃ、お昼にしよっか。」
マナガルムの死体を埋めて、場所を少し移動してからリリンはランチセットを広げた。
「あぁ、疲れた…」
カインはそう呟いて、腰を下ろす。ホドエリアは森林地帯なこともあり、果物が豊富だ。あとは森に生息する獣たち。宿屋の養子してくれた弁当は、他のエリアよりフルーツがふんだんに詰められていた。
 カインは懐かしそうに目を細め、食べ始めた。母親に作ってもらっていた弁当によく似ている。食材が同じようなものだから、似ているのは当たり前なのかもしれない。それでも、次家に帰ることができるのがいつになるか分からない今、この宿屋の弁当一つに心が癒される。

 昼食を取り終え、少しの休憩の後に午後の実践修行の開始だ。休憩の際にしていた打ち合わせ通り、リリンの目くらましの能力も使用し、群れの中から二頭のマナガルムをはぐれさせる。まずは、その二頭との戦闘だ。
 午前の段階でマナガルム攻略のコツを掴んでいたカインは、むしろ有利に戦闘を進めていく。その動きを見て、このまま一体ずつ増やすようなやり方では結果に変わりが無いだろうことをリリンは察知する。かすり傷程度で午後の一戦目を終わらせたカインに、リリンは提案した。
「ねえ、カイン。今日はもうこれで終わりにして、宿で休みましょう?」
「…なんで?」
訝し気に眉間にしわを寄せたカインがリリンにその意図を尋ねる。
「最初は、この後マナガルム三頭と戦ってもらうつもりだったけど、あんまり効果的じゃなさそうなんだもん。だから、今日はもう休んで、明日普通にマナガルムの群れと戦った方がキミのためになりそうだなぁって。」
にっこりとカインに笑いかけるリリン。
「マナガルムは通常十頭くらいの群れだよね。一応標準クラスの群れを探すようにするから安心して! あと、明日一日の間で倒せたらいいかなって思ってる。まあ… お昼抜きになる可能性が高いけど頑張って!」
「また気軽に言うよね… …。分かったよ。どのみち明日でマナガルムクリアしないといけなかったもんな。」
半ば諦めモードでカインが答えた。嫌だと言ったところで、最終的にはマナガルムの群れと戦うのだ。それならさっさと街に返って明日に備えて休んだ方がいい。
「じゃ、それで決まりね!」
リリンの様子に軽く溜息を吐いて、カインは頷く。そうしてホドの街へと踵を返した。

 宿に戻ってからは、カインは明日に備え魔力を高めるために瞑想をする。夕食後とシャワーの後も瞑想に時間を割いていた。
「なんでそこまで瞑想するの? いつも一時間くらいじゃない?」
シャワーの前にリリンがカインに聞いた。
「うん? いや、まだ微妙なコントロールができてないからね。森の中だし… 変に燃え移っても大変だろ?」
「確かに。」
「だけど、魔法なしじゃ勝てそうにないし… 群れになると特にね。一夜漬けみたいでどこまで効果があるか分かんないけど、やらないよりはマシでしょ。」
「なるほど。じゃあ、頑張って。」
「うん。」
寝る前までの時間を瞑想に充て、カインは明日に備えるのだった。

 翌日。気持ちの良い青空が広がる。念のために、とリリンは宿屋に昼食を用意してもらっていた。
「…食べる暇、あるとでも?」
「無かったら、夜食にでもすればいいんじゃない?」
溜息と一緒にそうか、と呟いてカインは街の外に向かう。

 今日はマナガルムの群れとの戦闘だ。緊張しているか、と聞かれればカインはそうだ、と答えただろう。いつでも新しい挑戦をする時は緊張するな、とどこか冷静に自己分析をしていた。それが良い事なのか悪い事なのか、カインには判別できなかったが。
「準備はいい?」
マナガルムの生息する森の中、他の人々に迷惑のかからないよう随分と奥まったところまで分け入ったところでリリンが声をかけてきた。
「いつでもどうぞ。」
深呼吸をして、カインが答える。その答えを聞くと、リリンは目くらましの結界を一度解いた。マナガルムの群れとエンカウントするためだ。そうして目的の群れとカインが対峙すると、改めて結界を張る。別の群れが寄ってこないようにするためだ。

唸り声をあげ、じりじりとマナガルムが距離を詰めてくる。木々の影に身を潜め左右からも回り込んでいることに、カインも気付いていた。無傷で決着をつけようなんて、余計なことを考えちゃダメだ。カインは自分に言い聞かせた。それよりも、一頭ずつ確実に仕留めることを優先しよう。無傷かどうかは、その後だ。変な色気を出すと、だいたい裏目に出るんだ。
もう一度深呼吸すると、カインは先手必勝とばかりに目の前のマナガルム目掛けで突撃した。

 まずは、一頭。レイピアの刀身にぴったりと張り付くように鋭い炎を纏わせて、切れ味をあげる。貫通力が上がったそのレイピアで、真正面にいたマナガルムの眉間を突き刺し炎で焼く。返すレイピアで飛び掛かってきたうちの右側のマナガルムを切りつける。後ろに飛び退いて、立ち位置を確認して、少し離れた場所の一頭を狙う。
マナガルムも負けてはいない。カインの先制攻撃に一瞬ひるんだ個体がいたものの、すぐに立て直し連携攻撃を仕掛けてくる。さすがに攻撃を止め、カインは防戦一方になった。それでも隙を伺い、一頭ずつ確実に仕留めていく。カインが最初に立てた計画通りに。
 夢中だった。とても集中していたと言ってもいい。確実に、一頭ずつ。それだけを考え、それを忠実に実行していく。仕留めそこなったら、一度離れて立て直すことも忘れない。無理に深追いすれば他の個体にやられる。一頭ずつだ。カインは呟く。それは無意識だった。無意識に呟いては、自分に言い聞かせる。

 そうして。ずいぶん楽になったな、とカインは思った。集中がそこで途切れる。気が付けば、あと一頭となっていた。
「あれ?」
間抜けな声がカインからこぼれた。足元には倒れたマナガルムの骸が転がっている。
「あと一頭だよ!」
リリンの声に我に返って、カインはレイピアを構えなおす。これで最後か。
 一対一になってしまえば、これ以上簡単なことは無い。カインはマナガルム目掛けて突進した。

「お疲れー! 思ったより早かったね! まあ、もう夕方だけどね。」
最後の一頭に止めを刺すと、リリンが諸手を挙げてカインに駆け寄った。
「え? 夕方?」
カインは周囲を見回し、そして頭上を仰ぎ見る。光の玉が幾つか浮いていた。リリンが明るさを調整していたようだ。光の玉の奥、木々の合間からわずかに空が見える。いつの間にか夕闇が迫っているようであるのが、なんとなく確認できた。
「夜までかかるかな? って思ってたけどね! 怪我も無いみたいだし、マナガルムは完全クリアだね!」
「そういや、疲れてはいるけどどこも痛くないな…」
リリンに言われて改めて自分の体を確認するカイン。オレ、結構強くなったかな? と、独り言ちた。
「おなか減ってるよね? お弁当食べて帰ろっか。」
とリリンは言って、だいぶ遅いランチの準備をし始めた。もうちょっと待ったら、夕食でもおかしくない時間ではある、が、さすがに朝から戦闘続きで空腹だったカインは何も言わずリリンを手伝うのだった。

「明日は休もうね~。明後日から猩々戦ね。」
街へ向かう道すがらリリンが言う。ああ、明日一日休めるんだなぁと思った以外、特に異論もなかったカインはただ一言、分かった、と答えるだけだった。
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