ルナーリア大陸の五英雄 Ⅰ 十年越しの初恋〜荒み切った英雄が最愛に再び巡り合うまで〜 ※旧タイトル:Primo amore

渡邉 幻月

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いずれ運命と名付けるだろう

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 この瞬間に何が起こったのか、サプフィールにはすぐに理解できなかった。ただ彼の目の前には、幾分か年上の銀色の少しはねた髪が特徴的な少年が居た。彼が右手に構える剣は血糊が滴っている。それを慣れた手つきで払い、鞘に収めたあと少年は振り返った。
 深紅の瞳が印象的だった。切れ上がった目も眉も、多分髪の色がそうだからのかもしれないけれど、まるで鋭利な刃物みたいなヤツだなと、回転の遅くなった頭の中でサプフィールは思った。

「大丈夫か? あんた」
突然の出来事に反応する事を忘れたサプフィールを見て、怪訝そうに首を傾げながら少年は声をかけた。
『…。助けて貰ったの、か? この状況はどう考えてもそうだけど、コイツは信用できるのか?』
頭を過ぎる、不審と不安、それは瞬く間にサプフィールを包み込み、彼の言葉を奪った。

「…? あれ? 坊ちゃん? 嬢ちゃん?」
そんな彼を他所に、少年はそんな事を口走ってサプフィールを凝視する。
『何だって? おれが答えない事を不審に思うより何より、まさかおれの性別が見分けられないとか言うのか、コイツは。』
思わず呆れ、サプフィールはさらに二の句も失くす。

 確かに、確かにサプフィールは十に満たない。この年では、服を着込んでしまえば体形からでは男女を見分けられないのも頷ける、が。短く整えられた髪、まだあどけなく可愛らしいと言われることもあるがどちらかと言えば目つきは鋭い方だと自覚している。父の知己には凛々しい(飽く迄も子供としてはだが)と言われ育ってきたサプフィールは軽く眩暈を覚えた。着ているコートがユニセックスなデザインだったのが悪かったのか、なんてどうでも良い事を考えてしまうくらいには、ショックだった。
 ついでに言えば、坊ちゃんと呟かれたことも少しばかり腹立たしく感じていた。
『…失礼なヤツだ。』
サプフィールは口を尖らせた。

「なあ、話せないのか? まぁ… あんたけっこう良いトコの人みたいだしなぁ。怖くて声が出なくなったとか?」
こちらの心情などお構い無しに話しかけてくる少年に、なんだか会話をするのも面倒になり、ふと視線を逸らすサプフィール。もうこのままどこかに行ってくれないだろうか。なんて考えが彼の頭の中に芽生える。
「あんたどこまで行くつもりだったんだ? 一人旅は危険だぜぇ、ってさっきの今だし言うまでも無ぇな。もし、あんたが嫌じゃなかったら、次の街まで用心棒代わりに送ろうか? 町まで行きゃあ、あんたの親類に連絡もつけられるしな。」
『…。なんだ、コイツ。まるで自分のコトみてェに。頼んでもねぇのにべらべらと。
どうせ。どうせ、あいつらみてェに裏切るくせに。』
まだこの場を離れる気配の無い少年は、相変わらずサプフィールの事を心配しているような事を言っている。サプフィールと言えば、先ほど従者に裏切られたばかりで心は完全にやさぐれていた。この少年だってどこまで本心なのか分かったもんじゃない。

「そうじゃなかったら…」
まだブツブツと続ける少年の様子をサプフィールが窺っていると、
「なぁ、どうする? まぁ… オレ達初対面だしなぁ… あんたが女だったら、オレと二人で旅すんのはイヤか?」
サプフィールの目の前にしゃがみ込むとずいっと顔を近付けて、問いかけてくる。
距離感がおかしくないか、とサプフィールは戸惑う。初対面で自己紹介もまだのような状況でこんなに距離を詰めてくるような輩は、まともな教育を受けてきた貴族には存在しない。
『…てか、まだ女だと思ってんのか、このおれを。』
いい加減男だと気付かない少年に苛立ちを覚えるサプフィールの心の声は相当乱暴になっているのだが、彼は相変わらずの調子で、
「なぁ?」
と、首を傾げサプフィールの返事を待っている。

『…。信用なんか出来るかよ。失うものは、もうこの命しかないのに。死ぬのはゴメンだけど、それより裏切られるのはもっと嫌だ。』
ふるり、彼の意思とは関係なくサプフィールの身体が震えた。年に不相応なほど、冷静で頭の回転が速いが、やはり子供は子供。こんな人気の無い場所で、従者には裏切られ着の身着のままの状態で放り出されて、不安に襲われない筈が無いのだ。
 無意識に眉間に皺を寄せ、唇をかみ締める。特徴的な翠の瞳が、僅かに潤む。
「なっ? なっ、泣くなよ、なあ? オレさ、丁寧な言葉遣いとかって苦手なんだよな… 怖かったかぁ? 悪かったな、気を付ける、からよ。」
サプフィールが泣き出すのではないか、と少年は慌てた。自分の雑な言葉遣いに怯えたのでは、と、見当違いな事を思い付いて、必死に宥める。
「なぁ、悪かったって… な?」
そう言って最後に優しくサプフィールの頭を撫でる。

 ふと、サプフィールを呑み込み押し潰す勢いだった不安が洗い流されたように感じられた。安心する…? どうしてかは、サプフィールには分からなかったけれど、それはもう自然に手近に合った小石を掴んでいた。その仕草に、何事か、と、少年は視線で追う。
「ん? なんだぁ、あんた随分遠くまで行く予定だったんだなぁ。」
ネーヴェの町に行きたい。手にした小石で、サプフィールが地面に書いた言葉だ。

 サプフィールの心の中では、彼を信用したいと言う思いと自分が領主の息子だという事を知られ利用或いは裏切りを受けるのではという恐怖が綯い交ぜになっていた。そうして二つに分かれた意見がサプフィールを責め立てるのだ。『こんなに優しい手をしているなら大丈夫』と言う声が一つ。『一人では野たれ死ぬのがオチだ、逆に利用してしまえば良い』と言う声がもう一つ。その正反対の声が心まで引き千切るように、胸の内で蠢いている。

 結局サプフィールは、襲われたショックで話せなくなった事にし、本当の目的地の一歩手前の町に行きたいのだと伝え様子を見てみる事にしたのだ。
「よし、取り敢えず近くの町まで行こうぜ。ネーヴェまでなら相当長旅になるからな。」
にかっと笑って、少年は言う。
「あ、そうだ、オレはスピネルって言うんだ、宜しくな。」
少年はスピネルと名乗った。そこでサプフィールは迷う。名を名乗るべきか、と。その躊躇いを、違った意味で感じ取ったスピネルが、
「もしかして、さっきのショックで言葉だけじゃなくて名前も忘れちまったとか言うか?」
と、心配そうに顔を覗き込んできた。思わず、頷いてしまうサプフィール。
「そっかぁ…」
悲しそうな顔でそう言った後、
「なあ、あんた、って呼ぶのも悪ィからよ、オレが勝手に名前付けて良いか? あんたが名前を思い出すまで、の期間限定で。」
どこかでほっとするサプフィール。これで名前から正体がばれる事は無い、と。スピネルの申し出に、首を縦に振って答える。

「良し! じゃあ何がいいかな… …。あんたの目、すげえ綺麗な翠色してるよな。宝石みてえな。なんてったっけ? 翡翠ジャーダだっけな。ジャーダってのはどうだ? なあ?」
窺うように、尋ねてくるスピネルに、まあセンスは悪くないと思ったサプフィールは、それも肯定の返事で返した。
「おっ、良かったぜ。じゃあ、行こうかジャーダ。暗くなっちまう前に、町に着くと良いなっ。」
そうして二人は、近くの町に立ち寄ることにした。
 ジャーダが何も話せない(と、スピネルは思い込んでいる)分なのか、彼は一人でも良く喋った。
 いずれ剣の道で名を挙げるのが夢なのだとか、その為に傭兵として転々と旅をしているのだとか。たった一人の主を見つけられたら、もっと良い。そう言った時が、一番良い顔をしていると、ジャーダは思った。
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