ルナーリア大陸の五英雄 Ⅰ 十年越しの初恋〜荒み切った英雄が最愛に再び巡り合うまで〜 ※旧タイトル:Primo amore

渡邉 幻月

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スピネル、出張する

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 東の空が白み始める。目覚めの時間が二人の許に訪れる。気まずそうに、おはよう、と言うスピネル。ほんの悪戯心で、ジャーダはとびきり可愛らしい笑顔で返してやる。
「着替えて来いよ… 飯に行こうぜ…」
と、顔を赤らめたスピネルが俯きながら言う。
 あんまり苛めても可哀相か、と、おとなしくジャーダは本来自分に宛がわれていた部屋に戻る。がちゃり、と、鍵をしてひと息。思わず笑いがこみ上げてしまう。悪気は無い、悪意じゃないんだ。善意でもないけど… と、誰に対してか分からない言い訳を、ジャーダは呟く。そう、ちょっとだけ悪戯したかっただけなんだ。

 正直、話せないフリも女のフリも面倒だったけれど、スピネルを揶揄うのが楽しくなってしまったので、もうずっとこのままでも良いか、なんてジャーダは思い始めていた。そんなことを考えながら、昨日スピネルが買ってきてくれた服に袖を通す。
 着替えも、荷物の整理も粗方終えて、ジャーダは部屋を出る。スピネルはすでに準備を終えて自分の部屋のドアにもたれ掛かっていた。はた、と、二人の目が合った。ジャーダが、昨日自分の購入した服を着てくれている事を認めたスピネルが破顔する。着てくれて嬉しいぜぇ、そう呟いたようだった。

「じゃあ、メシにしようぜ。」
さりげなくジャーダの荷物を持つスピネルに、一見粗野に見える割に気が利くんだなとジャーダはこっそり感心する。
昨日のように食堂に向かう二人。昨日と違うのは、照れているのか、スピネルが微妙におとなしい事だ。見ていて飽きないヤツだな、と、それまで気の重くなるほど遠く感じていた旅路が楽しみになるジャーダだった。

 食事を終え、この町でする事も特に無い二人は、早速旅立つ事にした。
「馬車を借りられなくて悪かったなぁ、我慢してくれぇ。」
町を出る時に、スピネルが言った。
 それは仕方が無いとジャーダは思っている。子供二人で、こんなご時世に馬車を使った旅だなんてどんな贅沢だとも思う。戦争の影響で料金は馬鹿高くなっているだろうことは予想出来ていた。無駄金使うのも悪い、気がする。…それに、またあんな目に遭うのもゴメンだ。多少、面倒や負担があっても、スピネルと二人の方が安心だ。そんな事は言ってやらないが。

 それからネーヴェの町を目指して二人で旅をした。裏切られて身一つになってしまったことは、まだ両親にも叔父にも伝えていない。伝えた方が良いだろうことは分かっているけど、心配をかけたくない気持ちと、護衛の選任を間違えたと後悔させたくない気持ちと、あとはスピネルとの道中が思いの外気に入ってしまったことと、色々考えた挙句答えが出ないままになってしまった。次の町で、と思いながら結局ずるずると手紙の一つも出さずに、ジャーダは過ごしていた。
 幾つもの焼け跡と、戦場すれすれの町もいくつか通ってきた。もう何年続いたか分からないような戦にみんな疲れていた。未だ、この不毛な争いに終止符を打てる者が現われないで居るのだ。

ピオッジャ領は遠いが、これではあちらも戦禍に巻き込まれていてもおかしくないのかもしれない。そんな不安が時折ジャーダの心を掠める。

 町や人が疲弊している。戦禍はどこにでも渦巻いていた。その大小はその場所によって違ってはいるが。だからだろう。路銀に余裕がある時は、スピネルは危険と判断した場所には長居はしなかった。食料や一晩の宿を確保して、すぐに旅立つ。もちろん、ジャーダの体調を気にしながら。比較的安全な町では、ジャーダを休ませる為に二、三日の宿を取る事もあった。その間、路銀を確保する為にスピネルがギルドの仕事をこなす場合もあった。
 スピネルの状況判断に間違いは無かった。それまで特に何事も無く、ほぼ予定通りに旅程をこなしていた。ジャーダは、口調はともかくスピネルの有能さにそしてストイックさにも密かに感心していた。

 もうネーヴェまでの道程を七割ほど過ぎただろうか。路銀に心許無さを覚えたスピネルが、ジャーダに言った。
「次の町で、少し長めの仕事がしたいんだ。」
特に拒否する必要性も無く、ジャーダは頷く。そうこうしている内に、町は目前に迫っていた。スピネルは、まず宿を取った。荷物を整理したり、食事の手配をしたり、それからジャーダにギルドに行くから、と一言告げて出て行った。

『相変わらず忙しない…』
スピネルのその様子に、くすり、とジャーダは笑みを漏らした。スピネルも居なくなって、暇になったジャーダは途中で買って貰った本を開いた。
 実に何でもしてくれた。あまりに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるものだから、ジャーダは時々不安になったが、単純にスピネルが世話好きで、更にジャーダを女の子だと思い込んでいるだけの事だと思い至る。
 純粋な、厚意。それがひどく、とてもひどく嬉しかった。そして同時に、胸を締め付けられる。その正体にジャーダは気が付いていた。

『罪悪感、だ。』
眉間に皺がよった。
 溜息を漏らす。スピネルの厚意、は純粋に自分を心配しての事だ。野盗に襲われ、無一文どころか危うく殺されかけた。子供がたった一人で投げ出され、ショックで言葉も名前も失った。哀れな子供。本当の事だ。ただし約半分でしかない。本当は話せるし、名前だって、本来の目的地だって忘れた訳じゃない。ついでに本当は男だ。
『本当のことを言ったら…』
ジャーダは考える。この苦しさは、スピネルに嘘を吐いているからだ。それなら本当の事を話してしまえば、きっと楽になれる、と分かっている。分かってはいるけど。
『おれ、嫌われちまう、か、な。』
こんなにもたくさん、大切にして貰ったのに。今更、嫌われたくなんか無い。このまま、嘘を吐いたまま、それならスピネルと旅を続けられる。
『でも…』
ピオッジャに着いたら? ジャーダはこれ以上考える事を放棄した。ふ、と窓の外に視線を向ける。この町にはどれくらい滞在する事になるだろうか。現実から逃避するように、窓の外の曇天をただ見ていた。

 ぼんやりと空を眺めてどれくらい経ったのだろうか。すっかり日が暮れていることにさえ、ジャーダは気付いていなかった。
 スピネルが部屋に戻った時、明かりも点けずに、ただ本を手に視線を遠くに投げ出したままのジャーダを見付ける事になった。
「ジャーダ、どうしたんだ?」
スピネルの素っ頓狂な声に、我に返る。部屋が暗くなっている事に驚く。明かりを点け、気遣うようにスピネルが尋ねる。なんでもない、とだけジャーダが答える。帰ってきたスピネルと話している内に、そういえば夕食がまだだった事に気付く。それを伝えると、彼もまだ何も口にしていなかったらしく、二人して食堂に行く事になった。

 ああそうだ、と、注文を済ませた時、スピネルが言った。
「今回の仕事なんだけどな、二週間くらいかかりそうなんだよな。」
すまなそうに、スピネルが言う。『なんの仕事?』と、彼の手を取りジャーダは聞いてみる。
「ん? 護衛だよ。野盗とかが多いだろ。交易に付いてくんだよ。一応、一番短いルートの交易隊の護衛なんだけどよ、往復しなきゃなんねぇから…」
『いつ、行くの?』
「明日の昼に出発なんだよ。」
本当に急な話。バツが悪そうにスピネルの視線が沈む。ああ、心配してくれているんだな、と、ふとジャーダは感じる。もう一緒に寝るのが当たり前になっていたし、十日どころか五日だって離れていたことはない。
『だけど、おれは本当は男なんだから留守番くらい一人でも大丈夫なんだ。』
スピネルは知らないから心配しているだけだ。世話になってばかりなんだしこれくらい出来なくてどうするんだ、父上の子なのに、そう思い至ったジャーダはスピネルの手を取る。
『気を付けて。でも早く帰ってきて。』
そう、告げる。はっとスピネルの視線が上がって目が合うと、ニっと笑って、おう、と彼は答えた。

 その夜、他愛も無い会話を少しして、いつも通り、同じベッドで休んだ。二週間… 二週間も、独りなんだ、そう思ったらジャーダは無意識にスピネルのシャツを握り締めていた。
 大丈夫、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせジャーダは眠りに就く。

 いつものように起きて、いつものように朝食を済ませる。ふと、思い出したようにスピネルが言った。二週間も一人じゃ暇だよなぁ、と。
「まだちょっと出発まで時間があるし、また本でも買うかぁ?」
そんな風になんでもなく聞いてくるから、ジャーダは頷いた。二人で古本も扱っている雑貨屋を巡って本を探す。前は、フォークロアを買って貰った、それじゃあ今度は。手を繋いだまま、ジャーダの視線がタイトルを追っていく。
“ピオッジャ地方の歴史と神話”
目を惹いたタイトル。前のフォークロアの本は、ちょっと易し過ぎた。子供向けだ。これならきっと勉強になるくらいの事が書いてある。そんな事を考えながら本を探すジャーダは立派な子供であるが。頭の回転が少々良すぎた。
手に取りスピネルを見上げる。それにすんのかぁ、そう言って彼は会計を済ませる。

 宿屋までジャーダを送って、
「じゃあ、オレはそろそろ行って来るわ。おとなしく待っててくれよな。一応、宿屋の女将には話してあるから困ったことがあったら女将に相談するんだぞ。」
何かあった時に、と、少しの金を置いて、いつものようにジャーダの頭を柔らかく撫でて、スピネルはギルドで請け負った護衛の仕事に出て行った。

 少し、寂しく思う。でも大丈夫。スピネルが今更おれを見捨てるはずが無いんだ、ジャーダは買って貰ったばかりの本をぎゅっと抱きしめて窓の外を見詰めた。
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