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愛憎入り乱れたその先 ~スピネルサイド②~
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愛だの恋だの、何の意味があるんだ?
って長い間思っていたはずだった。あの日、ジャーダに逢うまでは。
師匠の本棚には、いろんなジャンルの本があって、恋愛ものも当たり前のように所蔵していた。似合わねぇなあ、師匠にもオレにもと思いつつも読んでみたことがある。やっぱり柄でもなくて、内容なんてさっぱりだった。何が良いのか全く分からねぇ。そう思っていたのに。それなのに。
ジャーダには笑っていて欲しいだなんて。このオレがそんなことを考えるようになるなんて、夢にも思わなかったのに。
「あなたにもいつか分かる時が来ますよ。」
ああ、そうだ。師匠の言う通りだったよ。こんなにも愛しくて、恋しくて、そうして…
テンペスタの町で、唐突な別れがやってきた。
分かっている。身分や財産があるなら、そうするだろうってことは。今のオレはただの傭兵で、誰かに誇れるほどの実績も何もない。子供じゃあないが、ジャーダの叔父からすればケツの青いガキと大差ないのだろう。そんなガキ、身元も保証できないような傭兵なんてしてるガキには、ジャーダを任せられないって考えても何もおかしくない。…分かっている。
多分、オレの本当の生家であればつり合うこともあるかもしれない。ふと、そんなことが頭を掠める。だけど、それは無理な話だ。本当は殺されるはずだったオレが、家の力を頼りにするために会いに行っていいはずがない。引き取ってくれた師匠にだって迷惑がかかるだろう。…何より、生家のことなんて名前すら知らないのに、どうしようもない。
…でも、心配なんだ。一人で泣いていないか、とか。火傷が痛むことは無いのか、とか。無事にネーヴェまで辿り着けたのか、とか。声は、出るようになるのか、とか。他にもたくさん。
「あー、まあ、あの叔父さん羽振りは良さそうだったもんなあ。」
ジャーダの叔父の服装や、乗っていた馬車を思い出してスピネルは呟いた。今の自分には、同じだけの財産は無い。
「無事にネーヴェまでは到着するか。」
その自分の言葉にスピネルは眉を潜めた。馬車の一つも融通できず、あまつさえあんな火傷を負わせてしまった、己の未熟さを痛感する。胸の痛みが、スピネルを引き裂くようだった。
「あ、そうだ。」
痛む胸の中で、それでももう一度ジャーダに逢いたいと思いめぐらせるスピネルは呟いた。
そうだ、名を上げればいいんだ。と、思い至ったのだ。傭兵だろうと戦果を挙げれば成り上がることができる。誰よりも戦功を立てれば、騎士爵を授かることもあるかもしれない。なんだっていい、叙爵すれば一目逢いに行くくらいなら許されるんじゃないだろうか。あれほどの傷を負わせてしまったオレでも。
そう考えたスピネルは激戦区の中でも最も戦禍の大きい前線に赴き、傭兵から正規軍へとその所属を変え、ひたすら剣を振るった。
スピネルの剣は彼の師匠から譲り受けた業物であったが、連日連戦の中ではさすがに耐えきれなかった。もうこれ以上はメンテナンスをしても使い物にはならないだろうというところまできたので、スピネルは剣を新調することにした。戦場に出ずっぱりだったことだし、それなりに資金はあるだろうとギルドの口座を確認した瞬間、スピネルは固まった。
残高がおかしい。見たことがないレベルの金額だった。スピネル一人なら、遊んで暮らしても十年は持つのではないだろうか。目をこすって見ても、何度か瞬いてみても、残高は変わらない。いったいいつこんな金が振り込まれたのかと、明細を遡ってみて、スピネルは再び固まった。
あの日、ジャーダと別れたあの日の、翌日にネーヴェのギルドから振り込まれていた。ぶわり、と肚の底から怒りが噴き出るのを抑えることも忘れていた。みるみるうちにスピネルの顔色が変わっていく。
「は。なんだこれ。」
絞り出すような声でスピネルは呟いた。腸が煮えくり返るってのは、こういうことか。と、どこか遠くで考えている自分が居る、と朧げにスピネルは考えていた。それとも、憎悪ってやつなんだろうか。
…金で、全て金で無かったことにしろと?
そう思い至って、冷静ではいられなかった。分かっている。これはジャーダがしたことではない。ジャーダの叔父がしたことなんだろう。だとしても、こんなバカげたことが許されるとでも思っているんだろうか。
これがもっと少なくて、常識的な金額だったらこんな気持ちにはならなかっただろうに。受け入れられただろうに。
叩き返してやろうと思っても、ネーヴェのギルドから振り込まれたこと以外は全く分からなかった。その事実がまた、スピネルの神経を逆撫でた。もう二度と会わない、会わせない、関わらせないという意思が読み取れたからだ。金を吐き返すことすらできないことを思い知らされる。
…肚の底から湧き上がってくる怒りに、オレは。
スピネルは燃え上がる感情をどうにか抑えようと深く息を吐いた。
行き場のない、憎悪と憤怒に憑りつかれ、暴れ狂う感情に支配されたスピネルは目の前の敵を殲滅することに集中することでどうにか己を保つようになっていった。それまでの人の好さは消え失せ、目に宿るのは狂気染みた怒りと憎しみの色だけ。黙々と敵を屠るその様に、やがて周囲は彼を狼に例えるようになった。
『銀狼』いつしか、人々はスピネルを銀狼と呼ぶようになっていく。
「何も感じない。」
あまたの屍を踏みしめ、スピネルは呟く。
全てが灰色に沈んでいく。見えているのに、何も見えない。
「…これが絶望か。」
だけど、それでもオレは。
いつか、なんて甘い言葉を夢見ている。
って長い間思っていたはずだった。あの日、ジャーダに逢うまでは。
師匠の本棚には、いろんなジャンルの本があって、恋愛ものも当たり前のように所蔵していた。似合わねぇなあ、師匠にもオレにもと思いつつも読んでみたことがある。やっぱり柄でもなくて、内容なんてさっぱりだった。何が良いのか全く分からねぇ。そう思っていたのに。それなのに。
ジャーダには笑っていて欲しいだなんて。このオレがそんなことを考えるようになるなんて、夢にも思わなかったのに。
「あなたにもいつか分かる時が来ますよ。」
ああ、そうだ。師匠の言う通りだったよ。こんなにも愛しくて、恋しくて、そうして…
テンペスタの町で、唐突な別れがやってきた。
分かっている。身分や財産があるなら、そうするだろうってことは。今のオレはただの傭兵で、誰かに誇れるほどの実績も何もない。子供じゃあないが、ジャーダの叔父からすればケツの青いガキと大差ないのだろう。そんなガキ、身元も保証できないような傭兵なんてしてるガキには、ジャーダを任せられないって考えても何もおかしくない。…分かっている。
多分、オレの本当の生家であればつり合うこともあるかもしれない。ふと、そんなことが頭を掠める。だけど、それは無理な話だ。本当は殺されるはずだったオレが、家の力を頼りにするために会いに行っていいはずがない。引き取ってくれた師匠にだって迷惑がかかるだろう。…何より、生家のことなんて名前すら知らないのに、どうしようもない。
…でも、心配なんだ。一人で泣いていないか、とか。火傷が痛むことは無いのか、とか。無事にネーヴェまで辿り着けたのか、とか。声は、出るようになるのか、とか。他にもたくさん。
「あー、まあ、あの叔父さん羽振りは良さそうだったもんなあ。」
ジャーダの叔父の服装や、乗っていた馬車を思い出してスピネルは呟いた。今の自分には、同じだけの財産は無い。
「無事にネーヴェまでは到着するか。」
その自分の言葉にスピネルは眉を潜めた。馬車の一つも融通できず、あまつさえあんな火傷を負わせてしまった、己の未熟さを痛感する。胸の痛みが、スピネルを引き裂くようだった。
「あ、そうだ。」
痛む胸の中で、それでももう一度ジャーダに逢いたいと思いめぐらせるスピネルは呟いた。
そうだ、名を上げればいいんだ。と、思い至ったのだ。傭兵だろうと戦果を挙げれば成り上がることができる。誰よりも戦功を立てれば、騎士爵を授かることもあるかもしれない。なんだっていい、叙爵すれば一目逢いに行くくらいなら許されるんじゃないだろうか。あれほどの傷を負わせてしまったオレでも。
そう考えたスピネルは激戦区の中でも最も戦禍の大きい前線に赴き、傭兵から正規軍へとその所属を変え、ひたすら剣を振るった。
スピネルの剣は彼の師匠から譲り受けた業物であったが、連日連戦の中ではさすがに耐えきれなかった。もうこれ以上はメンテナンスをしても使い物にはならないだろうというところまできたので、スピネルは剣を新調することにした。戦場に出ずっぱりだったことだし、それなりに資金はあるだろうとギルドの口座を確認した瞬間、スピネルは固まった。
残高がおかしい。見たことがないレベルの金額だった。スピネル一人なら、遊んで暮らしても十年は持つのではないだろうか。目をこすって見ても、何度か瞬いてみても、残高は変わらない。いったいいつこんな金が振り込まれたのかと、明細を遡ってみて、スピネルは再び固まった。
あの日、ジャーダと別れたあの日の、翌日にネーヴェのギルドから振り込まれていた。ぶわり、と肚の底から怒りが噴き出るのを抑えることも忘れていた。みるみるうちにスピネルの顔色が変わっていく。
「は。なんだこれ。」
絞り出すような声でスピネルは呟いた。腸が煮えくり返るってのは、こういうことか。と、どこか遠くで考えている自分が居る、と朧げにスピネルは考えていた。それとも、憎悪ってやつなんだろうか。
…金で、全て金で無かったことにしろと?
そう思い至って、冷静ではいられなかった。分かっている。これはジャーダがしたことではない。ジャーダの叔父がしたことなんだろう。だとしても、こんなバカげたことが許されるとでも思っているんだろうか。
これがもっと少なくて、常識的な金額だったらこんな気持ちにはならなかっただろうに。受け入れられただろうに。
叩き返してやろうと思っても、ネーヴェのギルドから振り込まれたこと以外は全く分からなかった。その事実がまた、スピネルの神経を逆撫でた。もう二度と会わない、会わせない、関わらせないという意思が読み取れたからだ。金を吐き返すことすらできないことを思い知らされる。
…肚の底から湧き上がってくる怒りに、オレは。
スピネルは燃え上がる感情をどうにか抑えようと深く息を吐いた。
行き場のない、憎悪と憤怒に憑りつかれ、暴れ狂う感情に支配されたスピネルは目の前の敵を殲滅することに集中することでどうにか己を保つようになっていった。それまでの人の好さは消え失せ、目に宿るのは狂気染みた怒りと憎しみの色だけ。黙々と敵を屠るその様に、やがて周囲は彼を狼に例えるようになった。
『銀狼』いつしか、人々はスピネルを銀狼と呼ぶようになっていく。
「何も感じない。」
あまたの屍を踏みしめ、スピネルは呟く。
全てが灰色に沈んでいく。見えているのに、何も見えない。
「…これが絶望か。」
だけど、それでもオレは。
いつか、なんて甘い言葉を夢見ている。
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