ルナーリア大陸の五英雄 Ⅰ 十年越しの初恋〜荒み切った英雄が最愛に再び巡り合うまで〜 ※旧タイトル:Primo amore

渡邉 幻月

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過去も今も変わらず苛んでくる、後朝の別れに似たこの胸の痛みは。

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 夜空が白む、少し前。静かに体を起こしたスピネルは穏やかな寝息を立てているサプフィールの顔をそっと見詰めていた。夜の闇に沈んだ室内だったが、夜戦もこなしたことのあるスピネルにはそれほど障害にはならなかった。
 そっと、サプフィールの黒髪に触れ、優しい手つきで梳く。再会して二晩が過ぎようとしている。離れ離れになっていた十年間が、不意に押し寄せてくる。
きっと、昼間に昔話をされたせいだ。とスピネルは緩く首を振った。人を切り殺すだけの毎日がようやく終わって三年か、と声に成らない声で呟く。

 鍛錬だけは欠かさない。この先何があるか分からないのだから、これだけは譲れないと思っている。
どうしても一目会いたくて、せめてジャーダの無事だけでも確認したくて、金銭以外の褒賞は全て振り切って一人旅に出た。ひとまずの目的地は決まっている。ピオッジャ領ネーヴェだ。ジャーダの無事を確認したら、後はどこか遠い所に行こう。そう単純に考えていた。

 王都から、一度テンペスタへ。そうしてあの日に通っただろう道程を辿るようにしてネーヴェへ向かう。
「嘘だろ?」
まさかネーヴェに到着してからも、一切の情報が得られないとは。思ってもみなかった事態にスピネルも流石に動揺した。道中はルートが違っている可能性もあるのでさほど気にもしていなかったが、目的地だったはずのネーヴェに至ってもジャーダの情報が得られないとは。
「いや、身なりも良かったしな…」
初めて出会った日を思い出して、スピネルは呟く。ジャーダと言うのは自分が仮で呼んでいた名前だから手掛かりにならないのはともかくとして。親戚が豪商なら親もそれに近しいのだろう。もしかしたらネーヴェは最終目的地ではなくて、ピオッジャの豪商と名乗ったあの叔父の下に居るのかもしれないと思い直し、スピネルは領都のピオッジャに向かった。

 足が棒になるほど、手当たり次第に歩き回り探し回った。あんな大金を出せるくらいの商人など数えるほどしかいないはずなのに、全く見当たらない。これだけ探して見付からないとなると、あの日別れてから何かあったのかもしれない。金があると悟られたのなら、野盗にか傭兵崩れにか、敗走兵なんかにも襲撃される可能性もあるだろう。何より、ジャーダは見目が良かった。奴隷にされてもおかしくないくらいに。同行していた護衛がどこまで役に立ったのか。
「…ピオッジャ領いるかも怪しいな。」
そう呟いて、軽い絶望に襲われる。手掛かりがなくては、どこを探せばいいのかも分からない。
 だけど。それでも。過去のことだと忘れることも、過ぎたことだと諦めることもできない。最悪の事態を頭の片隅に、スピネルはジャーダを探して回った。

 それは、いつの頃からだったか。領都に到着するより前からだったような気がする。と、宿の部屋に僅かばかりの荷物を放り投げて、スピネルは考えていた。ここしばらくの間、図と誰かに監視されている。とは言え、室内まで入り込んでいる様子が無いのでスピネルは放っておいている。
「酔狂なヤツもいるもんだ。」
ハッと一笑に付して、部屋を見渡す。この広さなら素振りくらいならできそうだ。と、スピネルは納得した様子で頷いて、体をほぐし始める。
 こうして、不測の事態に備えて鍛えているけれど、不安だけがいつも隣にいるのだとスピネルは感じていた。ジャーダを探し始めてどれくらい経ったか。長いのか短いのかも良く分からない。別れの日からを考えれば、それほどではないのかもしれないけれど。
 心が蝕まれ始めて、久しい。これでは、もう。だけどやっぱり。せめて一目でいいから、その姿を見たい。そうしたら、今生に未練はなくなるのに。
もう一度会えるなら、その場で命尽きても構わないのに。
「どこにいるんだ…」
綺麗な黒髪の女だけが、いつの間にか慰めになっていた。

 そうしたある日のことだった。ついに一文無しまでのカウントダウンが始まったことに気が付いて、あぁそろそろ適当に稼ぐかヒモになるかしねえとダメか、とスピネルが考え始めた頃に、どこの誰とも分からない相手から入金があった。
 それなりの金額で、さすがに何かの間違いか、それともルーグたちの内誰かが見るに見かねてのことだったのか、と確認をしてみるが結局誰でもなかった。にも拘らず、スピネルへの入金で間違いないと言う。
「じゃあ、誰だ?」
口座の残高を睨んで、スピネルは呟く。このやり方は、ジャーダの叔父に似ている。似ているが、今さら何だってんだ。

「そろえとも、ジャーダが…?」
呟いて、スピネルは雑念を払うように頭を振った。助けて欲しいような何かがあったんだろうか。それならせめて情報は欲しい。…それ以前に、ジャーダの叔父からと決まった訳でもない。じゃあそれなら、これは一体、誰が、何のために振り込んだ金なんだ。期待と、疑念と、不安が入り混じってスピネルの精神を苛むのだった。

「…まさか、本人からとは最後まで思わなかったな。」
まだ眠りの底に居る、サプフィールの頬をそっと撫でる。再会したらしたで、思いの外悩ましい状況にスピネルは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「最初に聞いた通り、どっかの豪商のお坊ちゃんくらいだったら良かったんだがなぁ。」
まさか、領主様とは。
「英雄ったってなあ…」
自分の存在は、サプフィールの枷になりはしないだろうか。いずれ、サプフィールは…

「探さない方が良かったんだろうか。」
そう呟いて、夜が明ける気配にスピネルはベッドから滑り出した。
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