水底の歌

渡邉 幻月

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裁き

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「咲さん、浦野さん!」
奥津は慌てて駆け寄った。
首を絞められていた浦野と、意識を失って倒れた咲の許へ。
 咲が見ていた弟姫は浦野だった。奥津が弟姫。そして黒い影だと思っていたのが、奥津だったのだ。
咲が聞いていた会話は咲の呪いについて。どうにかして呪いを解いて欲しいと、浦野が頼み込んでいたところだった。
それがどう拗れたのか、咲の中では呪いのせいで醜くなった姿を弟姫と奥津が嗤っているように聞こえたのだった。

「大丈夫ですか、浦野さん。」
「あ、ああ、何とか大丈夫です先生。それより咲が…」
呼吸を整えながら、奥津の問いに浦野は答えた。奥津も倒れた咲の状態を確認している。
「疲労もあるでしょうが… 一服盛られたのが大きいでしょうね。僕たちより小柄ですし、影響は大きいのかと。」
咲の様子を診ながら、奥津は浦野に答える。
「待ってください、先生。一服盛られたって… いつの間に?」
奥津の見立てに浦野は動揺した。彼の口ぶりでは、薬を盛られた状態で試練を受けていたことになる。確かにどうにも調子が悪かった。
 それは、果たして。試練を受けさせておきながら、それを乗り越えさせるつもりは無かったという事だろうか。浦野は兄姫、弟姫だけでなく竜宮全体にも不信感を抱き始めた。
「食事をいただいたでしょう。あの中に、幻覚を見せる魚が混ざっていたのです。頭痛や眩暈などの症状が出ませんでしたか?」
「ああ、ありました。ありましたよ、ひどいもんでした。」
洞窟の中でのことを思い出し、浦野は疲れた表情でその時の惨状を訴える。
「毒に中ったんですよ。幻覚の他にも、頭痛や吐き気などの症状も出るようです、体質によるところもあるそうですが。」
「そうですか… ところで、先生。その話はどこから?」
ふと、浦野は疑問に思う。随分詳しい説明だが、この竜宮と地上とで同じ知識が通用するものなのだろうか。そもそも幻覚を見せる魚なんて存在するのだろうか。
「あんまりにも体調がおかしかったので、先ほどおとひめさんに伺いました。」
「ちょ、ちょっと待ってください先生、その話を信じるんですか?」
さらりと言い切った奥津に、浦野は動揺した。寄りにもよって、情報源は一服盛った張本人ではないのか。
「僕の身に発症した症状と、先ほど受けた説明がほぼ同じでした。ああ、僕の症状は先に伝えてはいませんから、僕の話に合わせていることはないと思いますよ。」
「それにしたって… いや、毒のことなんて分かりませんから、その辺りは先生のご判断に従うとして… とても一服盛るような相手の言うことなんか信用できませんが。」
訝しげに弟姫を見て、浦野は奥津に反論した。

「酷い言われ様…」
弟姫が心外だとばかりに、非難めいた視線を浦野に向ける。
「そうは言うがな、毒を盛るなんて…」
「わたしたちが知りたかったのは、極限状態に追い詰められてなお、判断を誤らずにいるものなのかと。ともかく試練は終わりましたえ、お前さま方。姉上の許へ戻りましょうか。」
浦野の抗議をさらりと受け流し、弟姫は試練の終了を宣言する。そうして近侍に気を失った咲を運ぶように指示を出す。
「あとは、姉上が判断しますえ。それが最終決定。それはどう足掻いても覆ることはありませぬ。」
弟姫の言葉に、浦野と奥津は息を呑んだ。

その後、帰路の空気の重さと言ったら。それぞれの思惑が交錯する。
決して明るい未来が待っている、訳では無いが故のまるで死地に赴くような空気の重さだった。

 奥津は考える。
果たして、試練は兄姫・弟姫の意に沿うものだったのだろうかと。
兄姫には洞窟の奥にあるものを持ってくるように命じられた。が、実際はどうだろう。自分はもとより、おそらく浦野も咲も、それを手にしていない。それだけを見れば失格だ。
 あの時、思わず弟姫が鞭打つ手を止めてしまった。それも正解だったか分からない。そうして、その後の約束も。

 浦野は疑っていた。
弟姫はもとより、兄姫のことも。一服盛るとは、いったいどう言う了見なのだ。
確かに、弟姫は被害者だったのかもしれない。だが、それはあのバケモノ染みた先祖が相手だからであって、自分たちは関係がない。先生よりはあるかもしれないが、今も呪われるほどのことなんだろうか。
そもそも、本人がまだ生きているのだ。本人だけを呪い本人に償わせればいいのではないか。諫めることも止めることも、生まれてすらいない我々に何ができたというのか。
それで連帯責任だなんだと言われても理不尽だとしか思えない。

そんな理不尽を強制されれば憤りや憎しみは、弟姫にまで向かうのだと想像できないのだろか。
確かに弟姫の言葉に乗り、そもそもの原因であるあの女を鞭打ち傷付けはしたが。

だからと言って、毒を盛っただの、咲に自分の首を絞めさせるようなことをするような相手を信用したり哀れんだりすると思っているのか。
だとしたら、なんと自分本位な。

…もし、これで、咲の呪いが解けないと言うのなら、命を懸けて抗議しよう。浦野はそうひっそりと心に決めたのだった。

竜宮の謁見の間に戻る。
相変わらずの煌びやかさが、余計に気分を重くした。天地ほどの差が、突き落とされた先の絶望を否が応にも際立たせる。

「ふむ。消耗が激しいようじゃな。回復するまで裁きは無しじゃ。」
兄姫は三人の様子を見、特に咲の意識が無いことを確認するとそう言って、女官たちに部屋を宛がうように命じる。

それから。
一人一室ずつ部屋を用意されたのを、浦野は拒否した。竜宮の全てが信用できないうえ、咲の意識が無かったからだ。
手当が必要なら医師の奥津がいる。
そう言い張って、三人同室に変更させた。

「どちらかと言うと、精神的な疲労の方が深刻かもしれません。」
咲を診た奥津が浦野に言った。そして続ける。
「幻覚を見せる魚のせいで、浦野さんを誰かと間違えて首を絞めていたのだと思いますが… 最後に浦野さんだと気付いたとしたら。…どのみち悪夢を見続けているようなものです。相当の負担があったでしょう。」
「先生、果たしてここに来るのは正解だったのでしょうか。」
意識の無い娘の姿に、浦野はぽつりと呟くように言った。ここまで消耗させることになろうとは、思っていなかった。
「申し訳ありません。僕が人魚に会ってみたいと言ったばかりに…」
「ああ、いや、先生が悪いわけじゃありません。どのみち、ここに来なければ呪いは解けなかったでしょうから。」
変わり果てた娘を見る。老人のように白い髪、死人のように白い肌。呪いが解けるのなら、来た意味もあるだろう。毒を盛られようが、何だろうが。
…だが、もし。兄姫の気紛れで呪いがこのままだとしたら。

「咲が、報われませんや…」
そう呟いた浦野は、疲労のせいか毒のせいか、…絶望のせいか一気に老け込んで見えた。

 暫くして、咲が目覚める。
意識もはっきりしているようで、浦野は胸を撫で下ろした。
状況も状況であるし、咲の精神状態も心配だという事で、浦野は奥津に咲が首を絞めていたのは自分だったとは言わないように頼んでいた。奥津もそれに同意した。異論はなかった。
奥津は、それに触れないように咲を問診する。

「目覚めたと聞きました。」
女官の一人が部屋に入ってきた。
「疲労が残っていますので、もう少し休ませたいのですが。」
「然様でございますか。それではそのように上申いたしましょう。膳のご用意はいつごろにいたしましょうか。」
女官は眉一つ動かすことなく、そう答えた。
「膳の準備は結構です。体調が整ったら謁見の間に向かいますから。」
浦野がきっぱりと言い切った。顔には、また毒のある魚でも出されては困る、とはっきりと書いてある。
「然様でございますか。それも上申いたしましょう。それでは失礼いたします。」
浦野の表情を読めただろうに、女官は顔色一つ変えることなくそう言い残して部屋を出て行った。

「ああ、すいません。先生、つい膳を断ってしまいました。また毒のある魚でも仕込まれたらと思うと… 咲も腹を空かしているか? すまんな。勝手に。」
女官の足音が遠退いた後、浦野がすまなそうに言った。
「ああ、いえ、僕は大丈夫です。浦野さんの考えももっともですから。」
「私も平気。食べる気分じゃないし…」
それぞれ、浦野に答えた。
咲は、思う。こんな状況で、食欲が出ると思っているのだろうか。だとしたら、人の姿はしていても、中身は魚と変わらないのかもしれない。

沈黙が訪れた。
重苦しい沈黙だった。裁きといえども兄姫の一存で結果が決まり二度と覆せない。一服盛られていなければ、何か違った結果になっただろうか。

「でも、なんでそこまでして呪い続けたいんだろう…」
ぽつりと咲が呟いた。異常に感じられる執着に、疑問を抱かずにはいられない。
「二度の裏切りに人間に対して不信感を持っているようですよ。」
「二度、ですか? ああ、浦野の二人が、という事ですか。」
奥津の言葉に浦野は言う。浦野から二人も裏切っていればそりゃあ恨みも深くなるか、と。
「いえ、浦野さんのご先祖様とは別に、もう一人。太郎、浦島太郎が。」
「浦島太郎ですか!? お伽話の?」
余程驚いたのだろう浦野の声がひっくり返っている。
「ええ。実在したようですよ。再び竜宮に戻る約束を果たさなかったと、乙姫さんがおっしゃってました。」
「玉手箱のせいだよね?」
咲が浦島太郎の話を思い浮かべながら、首を傾げる。逆恨みも甚だしいのではないかと、眉を顰める。そういう性格なのだろうか。何代も呪い続けるくらいだし、そういうものなのだろうか。
「あの玉手箱は、本来竜宮に戻るための道具のだそうですよ。使い方を説明していたのに、誤った使い方をして太郎は竜宮に戻れなかったようです。」
「はあ… それは浦島太郎も間抜けな… しかし、ずいぶん昔の話ですな。」
呆れたように浦野が言った。玉手箱を間違って使った太郎へか、未だに恨みを抱える弟姫へか。
「人魚は不老不死のようですし… もしかすると浦島太郎の事も浦野さんのご先祖様のこともつい昨日のことと同じなのかもしれませんね。」
奥津のその言葉に、咲と浦野はハッとした。
時間の流れそのものも違うのかもしれない、と今さらながらに思う。浦島太郎は地上に戻ったら三百年経っていたのだ。
無事に呪いを解いてもらえたとして。地上に戻って三百年も経っていたとしたら、果たして意味はあるのだろうか。

再び沈黙が三人を支配した。

「謁見の間に向かえるか?」
翁が部屋に訪れた。気まずい沈黙が破られる。
「ええ、いつでも迎えますが。」
奥津の答えを聞いた翁が、ついてきなさい、そう言って部屋を出た。三人はそれに従い、翁の後について謁見の間に向かう。いよいよ裁きが下される。一歩一歩が重く感じられた。

逃げ出したい。
咲は密かにそう考えていた。悲観的なのは、本人も自覚していた。でも、もうあの暗闇に紛れ、たった一人朽ち果てたい。呪いは解かないと宣告されるのが何より恐ろしかった。それは、希望を根こそぎ断たれるという事だ。それなら、今すぐここから逃げ出して、兄姫の裁きを聞かずにいれば、いつか元に戻れる夢を見続けられる。
だけど、逃げ出すわけにはいかないのも分かっていた。
自分一人でここまで辿り着いたならいざ知らず。せめて試練を受けたのが自分だけなら。父親や奥津を巻き込んで、この期に及んで逃げ出すわけにはいかない。
咲は誰にも気付かれないよう小さくため息を吐く。  

「苦しゅうない、面を上げよ。」
兄姫が三人に向かって言った。恭し気に三人は上体を起こす。
最終通告を前に、三人の心はこれ以上にないほど緊張と不安に押しつぶされそうになっていた。二度と覆せないというのなら、その結果次第では自分たちはどうするのだろう。

「さて、裁きの申し渡す。」
兄姫のその言葉に、謁見の間全体に緊張が走った。当事者ではない女官や近侍たちにも関心のあることなのだろう。

「条件付きとはなるが、お前たちの主張を認めよう。弟姫、呪いを解くのじゃ。」
兄姫は高らかに宣言した。三人は、特に咲は安堵した。一気に脱力する。
「待ってください、呪いを解くなど…!」
納得いかぬと、弟姫が声を荒げた。
「妾の決定は覆らぬ。それはそなたも知っておろう。そもそも、此度の件はそなたの未練がましさが引き金じゃ。そなたを喰ろうた本人は捉えたのじゃ、ここが潮時であろう。たろの事は忘れよ、喰われた恨みは喰ろうた本人に報復せよ。」
兄姫は弟姫にきっぱりと言い切る。
曲がりなりにも竜宮の王だ。身内に流される、という事も無かったようだ。そこに妙に感心する浦野だった。

たろ、ああ、浦島太郎か。兄姫も知っているんだ。未練がましいって、思ってるだ。咲は表情の変わらぬ兄姫を見詰めた。
…でも、どうしてこの人は妹を止めなかったんだろう。今まで。
人形のような美しい顔は、その感情も思考も読ませてはくれない。咲はほんの少し恐怖し、弟姫に視線を移した。
本当に未練がましい。兄姫に比べると余程人間的な弟姫の表情に咲はうんざりした。この未練がましさがこの呪いに繋がるのかと思うと、いい加減にしてほしいとしか思えない。

「…。たろ様は…」
弟姫は力なく呟いた。

「さて、そなたたち。呪いは解こう。だが、聞こえていたと思うが条件付きじゃ。
一つは我ら竜宮の民を二度と謀ることはせぬこと。
二つは我ら竜宮の民を傷付けぬこと。売るなどもっての外じゃ。」
視線を弟姫から咲たちに移し、兄姫が言う。
「そんなことしない。それに、あなたたちにはそんなにめったに会わないでしょう?」
「そうか? まあ、そうかもしれぬな。ならば竜宮について他言は無用じゃ。」
咲の言葉に納得したのか兄姫は、条件を少し変える。何はともあれ、諍いは二度と起こさない、と言うのが条件なのだと咲は理解した。

細かい取りまとめをし、竜宮側と和解する。
先祖を引き渡し、好きにさせるのは少しばかり抵抗を感じたが、本来なら遥か昔に亡くなっているはずの存在だ。あまり愛着がないのも事実。それに罪も罪、竜宮では正当に裁きを下すように頼んで終わりにした。
渋々と言った体で、弟姫は咲にかかった呪いを解いた。肌や髪にじんわりと色が戻ってくる。本人が気付くより早く、浦野が喜んだ。奥津も安堵した表情を見せる。
二人の様子に、咲は呪いが解けたことを理解し、そうして逃げ出さずにいて良かったと心から思うのだった。

「そして一番大事な事じゃが、地上へ戻る時に振り返ってはならぬ。これは問答無用の事じゃ。ならぬものはならぬ。以上じゃ。」
喜びに包まれる三人に、兄姫が言った。安堵と喜びの中で、兄姫の言葉を深く理解することもなく、分かりました、と咲は答えた。
呪いが解け、地上に帰れる。ただそれだけが三人の思考を支配していた。

「決して振り返るでないぞ。」
念を押すように兄姫が言った。
 近侍たちが、三人を地上に戻す準備にかかる。弟姫は一人、不満気にしていた。
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