初恋の肖像

渡邉 幻月

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出会い

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 はらり、はらはら、はらはら、はらり…
春麗らかに今日も京の都に桜の雪が降る。はらはらと花びらが舞い散る様は真冬の北国に置き去りにされた様な錯覚さえ、時に与える。
はら はら はら …
…っ、 っ …っ、 っ
声を殺して泣くのは、今日も同じあの子。桜の花びらに埋れてしまいそうな位、体を小さく丸めて泣いている。どうして泣くの。君は笑っている方が、絶対に可愛い筈なのに。
「…どうしたの? 昨日も泣いていたけれど、何があったの?」
耐え切れず、声をかけた。ビクっと震えて振り返り、
「…あんたはんは、どなたさん?」
泣き腫らした目で、僕を見上げる。震える声が、僕に問いかけた。
「ん…? 絵描き、かな。」
思わずそう答えていた。僕は、やっぱり…
「絵描きはん?」
首を傾げる様が可愛らしくて。
「まあ… 此から成れたら良いな、って所かな。…君は、どうして泣いているの?」
「うちは、うちは、要らない子なんよ。行く所が無い… どうしたらいいんやろか。」
困り果てて、泣き疲れた声で呟く。
「要らない子… って、そんな事は無いと思うけど。」
「そんな事ある。うちの父様は、女は跡を継げんから、要らんて言わはるの。」
「…そうか、君の父様も、僕の父と同じ事を言うんだね。」
頭を過ぎるのは、聞き飽きた罵倒。
「なんやの? 絵描きはんも父様に要らないて言われてしまいはったん? でも、絵描きはんは、男の人でいはるでしょ?」
「はは… うん。そうなんだけどね。絵描きに成りたいって言ったら、跡を継がない奴に用は無いと言われてしまったよ。そして勘当されてしまったんだ。」
初めて言葉を交わした子に、僕は、なんてことを話しているんだろう。
「絵描きはんも、うちと一緒ね。」
と、うっすらと、悲しそうな笑みを漏らす。
「そうだね。」
「ねえ絵描きはん。絵描きはんは何で違う言葉で話しはるの? 京の人やあらへんの?」
「ああ… 東京の学校に行っていたからね。京言葉が抜けてしまったみたいだ。本当は、僕も京の人間なんだけどね。」
「フウン? 学校に行ってはったんね。凄いなあ、絵描きはん。」
何時の間にか、涙の止まっていた目がじっと見詰めている。
「そんな事も無いよ。…おや、あの人は?」
何も形に出来なかった僕には、その真っ直ぐな視線は少し重くて。思わず視線をそらせた先には、何かを探しているのだろう、辺りを見回す女性が居た。
「母様や。うち、帰らなあかん。また父様に、要らないて言われるだけやのに…」
俯いた顔は安堵と、苦悩に揺れている。
「でも、君の母様は君の事要らないなんて言わないだろう? ほら、とても心配しているみたいだから。」
気弱な性分なのだろうか。あちらも探していた娘の姿を見付けたのだろうが、心配そうにうろうろと様子を伺っている。僕を警戒でもしているんだろうか。
「そやけど… 絵描きはんは何時もどうしてはるの? うち、今日は帰らなあかんけど、うち、絵描きはんの描いた絵、見てみたいわ。」
「…明日も此処に来るよ。良かったら君も此処においで。」
思わず口をついた言葉。本当は、此処から何処か、誰も知らない場所に逃げてしまいたい気持ちで一杯だったのに。父の居るこの京から遠くに。
「うん。約束してくれはるの? 絵を見せてくれるて。」
…だけど。僕のその言葉に、この子の表情が明るく変わるのを見てしまったら…
「ああ、見せてあげるよ。だから、明日は泣かないで、此処においで。」
そう、約束するしかないじゃないか。
「うん。分かった。うち、明日は泣かない。それじゃ母様が待ってはるから、今日は、さよならね、絵描きはん。」
そう言って、僕に手を振り母親の元に駆けていく。
「さよなら。」
戸惑いながら、僕は答えた。
はらり、はらはら、桜が風に舞う。見上げる桜のざわつきが、何かを囁いた様に聞こえたのは… 僕の気のせいだろうか。

京の都が、薄紅色に包まれる。夜の波間に浮かんでは、夜桜が今宵一夜の為に風に舞う。

はらり。花びらがひとひら滑り込んできた。
「ああ、いややわ。うたた寝をしてしまったんね、うち。」
障子の向こう側に、幼い頃と同じ様に風に舞う桜が咲いている。其なのに昔と違って、手の届かない花になってしまった、そんな風に思えてならない。此の、己を切り売りしなければならない苦界に落ちた身では…
「ああ、駄目… もう、絵描きはんの顔が思い出せへん…」
何時から、あの優しかった絵描きの顔を思い出せなくなったのか。戦争の中生き抜くうちにか、戦後を生き抜く為に苦界に売られた瞬間にか、苦界に身を染められずいた自分が、そう、今夜も多分来る男に…
「絵描きはんは、どうして居はるのかしらね…」
何となく、似ていると初めて会った時に思った。けれど、それはすぐに間違いだったと、撤回した。冷たい目をしていた。あの男は。苦界の女が何を言う、と言わんばかりに。
「絵描きはんに会いたいわぁ… でも、もう会えへんかなあ…」
桜に手が届かなくなって、あの男に苦界に生きる女にされてしまっては、と。
絵描きの顔はもう思い出せない。それは自分が苦界に落ちたと、落とした相手を少しでも絵描きに似ていると思ってしまったからだろうか、そう、散り行く桜を眺め、あの日を思い出す。
 たった一つ、今も鮮明に覚えているのは、そう、絵描きの描いたあの絵…

 はらはらはら…
 今日も今日とて桜舞う。昨日の約束を胸に、少女は走る。絵描きが待っているだろう場所へ。
「あっ、絵描きはん、もう来てはったの。うち、遅かった?」
「やあこんにちは、今日は泣いていないね。僕は此の桜を描こうと思って、今日は少しだけ早く来ていたんだ。」
「うちが遅かったのと違うん? ねえ、絵描きはん、絵を見せてくれはる?」
胸を撫で下ろし、少女は絵描きに笑いかける。
「ああ、約束だったね。それじゃあ、此を。昨日完成した絵なんだけど。」
「うわあ、綺麗やわあ、いいなあ、絵描きはん、こんなに上手に絵を描きはるのね。」
淡い色使いの水彩画に無邪気に喜ぶ姿を見て、
「…ありがとう。ああでも、やっぱり、君は笑っている方が可愛いね。」
ふと口をついた言葉。
「なっ、何言うてはるの、絵描きはん。」
頬を染めて動揺する姿を見て、描き留めたいと思った。春を彩る桜とは違う、二度と同じ時と刻まないきれいな姿見を。
「そうだ、モデルを頼んでも良いかな。人物画を描いてみたいと思っていたんだ。」
「モデルってなんやの?」
絵画に疎いのだろう、そう首を傾げる様も可愛らしいと思う。…僕は、この純粋な子に、惹かれているんだろう。
少しでも傍に居たいんだと、その笑った顔を見せて欲しいと思っている。
「うーん、そうだね。なんて言ったら分かるかな。僕は、君の絵を描きたいと思ったんだ。君の絵を描いても良いかな?」
「うちの事を絵に描きはるの? なんや、恥ずかしいわぁ。でも、ちょっと、絵描きはんの描いたうちの事見てみたいな。」
照れながら、期待の篭った視線が返ってくる。
「ちょっと大変かもしれないけど… よろしくね。そうだ、それなら其の桜の木の下に立ってくれるかな。」
「ウン、分かった。」
桜の木に駆け寄り、はにかんだ笑みを僕に向ける。
白いカンバスに、木炭でデッサンを。あの笑顔を留める為に。
はらり、はらはら、桜の花びらが舞い、少女を彩る。
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