初恋の肖像

渡邉 幻月

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手紙

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 拝啓。桜花爛漫の候。
 もう何日も、同じ場所で泣いている君に、今日初めて声をかけました。どうしても、笑った顔が見てみたくて。僕が君に笑顔をあげる事が出来たらいいと、そんな事を思って。余計なお世話なのかもしれないけれど。
 君の泣いている理由を知って、僕は胸が締め付けられる思いがしました。君のお父さんも、僕の父と同じ様な人の様です。だからなのでしょうか。君に笑って欲しいと思ってしまうのは。
 明日、約束通り絵を持っていきます。僕の好きな場所を描いた絵を。

「絵描きになるて言わはって… 勘当されたて言ってはったなあ… でも、どうして家を継いではったんやろ。」

拝啓。麗春の候。
 僕の絵を見て、君は何の打算も無く褒めてくれた。僕の見たかった笑顔で。僕の方が救われてしまったみたいです。その笑顔を永遠にしたくて、僕は君を僕の絵に留めておきたいと思ったのです。モデルをしてくれて有難う。

 拝啓。春暖の候。
君の絵は、本当はもう完成しているのだけれど、どうしても君と一緒に居たくて、其を告げられずに居ます。絵が完成してしまったら、君にもう会えなくなってしまう様な気がして。もう一枚、別の君の絵を描き始めました。
 ずっと、そうして僕の前で笑っていて欲しいと思う、僕の我儘と嘘を君は許してくれるでしょうか。

 拝啓。花信相次ぐ候。
 君のお父さんがやってきて、君を連れて帰ってしまった。嫁入り前の娘に、と言い捨てて。君のお父さんが、僕の父と同じ種類の人なら、きっと権力か財力のある男の下に嫁がせるつもりなのでしょう。父が、僕の妹をそうした様に。
 妹も辛そうだった。きっと君の事だから、そんな事になったら又、声を殺して泣くに違いない。僕は君には何時も笑っていて欲しいんだ。だから、其なら…
 僕は絵描きの道を諦め様と思う。絵描きの僕では君のお父さんは納得しないだろうし、お金も無くて君を幸せにしてあげられないだろうから。家を継いで落ち着いたら、君を迎えに行こうと思います。

拝啓。薫風の候。
 家を継ぐ代わりに、仕事の合間に絵を描く事だけはなんとか許可を貰っていた僕は、人知れず画廊を作りました。其処で僕は絵を描きます。会えなくなってしまった君の絵を。
 何度か君に会いに行きました。君の姿を見付けては、声をかけられずに戻ってくる始末。唯、其の君の姿を胸に画廊に籠もっては、君の姿を描きとめる毎日です。

 拝啓。金風の候。
 最低の日です。画家の道を諦め家を継ぐと父に伝えてから、数ヶ月が経ちました。家を継ぐなら、と、父が連れてきたのはいい所の娘さんです。早い話が政略結婚です。見合いどころか、其を飛ばしての結納でした。
 此では僕は君を迎えに行けなくなってしまう。父はもう何も聞いてはくれない。僕はどうすればいいのだろう。

 拝啓 錦秋の候。
 結局、僕は結婚する事になってしまった。君の面影が胸を締め付け、祝い酒のなんと苦い事か。僕はもう、君の姿を遠くから見付けては、絵に描きとめる事しか出来ない様だ。此の手紙も出せず、前の手紙も出せずに居て、もう何通も溜まっていると言うのに。
 暫くは手紙さえ書けないかもしれません。

 拝啓。短夜の候。
父が隠居を言い出し、僕が本格的に店を仕切る様になってから数ヶ月。僕はすっかり、父と同じ色に染まってしまった様だ。あれ程嫌っていた父と、同じ人間に。なんて事だ。
 僕は、君を迎えに行かなくて正解だったのだろうか。父と同じ人間になってしまうのであれば、君を泣かせていたかもしれないから。其とも、君が隣に居てくれたなら、僕は僕のまま変わらずに居る事が出来たのだろうか。

 拝啓。霜気の候。
何度目の戦争になるのか。今度は独逸、伊太利亜と同盟を組んでの戦争の様だ。大東亜共栄圏、と言う大義名分を掲げての戦争だが、亜米利加が参戦した今、僕の見る限り戦況は思わしくないのでは無いだろうか。
 しかし、僕にとって心苦しいのはそんな事では無い。僕に来る筈の赤紙は、政界にすら顔の利く父の鶴の一声により何処かへ消えた様だ。僕と同じ、否、僕より年下の者迄戦場に駆り出されている昨今、僕が財力を傘に僕だけが逃れる等あっていいのだろうか。
 遣る瀬無い気持ちになる度に、画廊に籠もっては君の絵姿を眺める。絵筆を取り、君の姿を思い描く。君に会いたい。君の本当の笑顔が見たい。

拝啓。
 亜米利加の空爆が続き、帝都は戦争の混乱に塗れているそうだ。この京の都も少なからず戦争の煽りを受けている。そうしてもう君が何処に居るのかさえ分からなくなってしまった。無事で居るといい。無事で居て欲しい。僕は画廊にさえ居れば安全なのだけれど。
 僕の絵の中で、君は微笑んでいるけれど、本当の君は泣いていないのだろうか。苦しんでいないだろうか。早く戦争が終わればいい。君を探しに行きたい。君に会いたい。

 拝啓。残炎の候。
 日本の敗戦により、戦争は終わりを告げた。其を待つ事無く、妻は先立った。悪化する戦況の中、心労と過労で倒れ、其の儘。僕は妻を失った悲しみよりも、君も犠牲になってしまったのではないか、との不安が胸を支配し焦りを覚えている。
 画廊の中の君の絵だけが、僕に微笑みかけてくれる。どうか、無事で居てくれ。もう一度、会える其の日迄。

 拝啓。秋雨の候。
 僕の財産も被害は受けていたが、其でも商売は出来る。米兵相手に。誇りなんてあったものか。生き残る事が先決だ。商いが大事なのだ。…画家を目指していた頃の、高潔な迄の志等、もう微塵も無くなってしまった様だ。
 君に会いたい。何処に居るのだろう。許される最大限を歩き回り君の足跡を辿ってみるけれど、手がかりも無く何日が過ぎただろうか。嫌な考えだけが過ぎる。会えなくても良い、せめて無事で居てくれ。

 拝啓。梅花の候。
 得意先の米兵と苦界に足を運んだ。女性の君には聞きたくない話かもしれない、苦界の事は。
 其処で僕は、君に良く似た女を見つけた。陰のある女だ。君に似た女が、誰か他の男を客に取るのか、そう思うと矢も盾も堪らなくなり、僕は其処に足を踏み入れていた。女将の話では、今日店に出たばかりだと言う。まだ客を一人も取っていないのなら…
僕は金に物を言わせ、僕以外に客を取らせるなと女将に言いつけた。
 こんな事をするあたり、所詮僕もあの父の息子なのだと思い知る。金さえあれば、何でも出来るのだと。何と言う自惚れ。そして其を知りながらの、何と言う暴挙。僕はもう、昔の僕ではないのだろうか。
 苦界に身を入れたばかりだという、君に良く似た女は、僕の顔をじっと見ていた。途端に怒りともつかぬものに支配された。そんな目で俺を見るな。そう怒鳴っていた。父と同じ色に染まり、商売なのだと言っては他人を踏みにじってきた僕を見透かしている様で、君に、そんな僕を知られてしまった様で、堪らなくなったのだ。
所詮は苦界の女ではないか、君に似ているだけだ。君とは別人なのだ。そう自分に言い聞かせては、此の腕に抱けない君の変わりに、君には出来ない事も全て、君に似た此の女に全て吐き出してしまえと。
最低な話だ。そして最低な男だ。此の手紙は君には見せられない。軽蔑されて、嫌われてしまうだろうから。
 今、何処で如何しているのだろう。もっと早くに君に会えていたら良かったのだが。

 拝啓。春寒の候。
 今日もまた苦界に足を運ぶ。君に良く似た女を買いに。其の女と一晩明かすのが、日課となってしまった様だ。
 君に会えない焦燥と不安や、変わってしまった自分への苛立ちをぶつけては、其の女を泣かす毎日。其の泣き顔を見ては、君も又泣いているのではないかと思い、君を泣かせた様な錯覚に陥って、そして又泣かせてしまう。堂々巡りの悪循環、とは此の事か。最低の話だ。
 もうすぐ、雪が融け、春になる。君に会った頃の様に、桜が咲く筈だ。君は何処で如何しているのだろう。こんな僕が君に会いに行ったら、君に迷惑をかけるだろうか。其でも、今でも君に会いたい。

 拝啓。桜花爛漫の候。
 何て事だ。もっと早く、本当の名前を確認しておけば良かった。今夜も又苦界へ行った。僕の腕の中で、彼女が見ていたのは… 昔の僕だった。僕に誰かを重ねているのは知っていた。僕もそうだから。だけど、まさか、其が僕だったなんて。君が、苦界に身を落としていたなんて。
 そして、僕が、僕は毎晩君を泣かせていたなんて。何て事だろう。笑って欲しいと思っていたのに。泣かせたくないと思っていたのに。其なのに、僕が、此の手で君を泣かせていたなんて。どうすれば、君に償う事が出来るだろうか。
 とても一晩明かすなんて出来る気分じゃなくなった。此の儘一緒に居たら、又泣かせてしまいそうだ。其に、懺悔したくて仕方がないんだ。君を泣かせ続けていたから。

 拝啓。陽春の候。
 矢も盾も堪らない。僕は今日君を身請けすると決めた。そして、今更なのかもしれない、君は拒絶するかもしれないけれど、僕の下に来て欲しい。僕の持てる全てで、君を幸せにしたいと願う。
 身請けされると聞いた君は、不思議そうな顔をしていた。そうして、今夜は何時もとは違う夜になった。君を泣かせずに済んで、僕の心はどれだけ安堵した事か。
 そうして珍しく君が微笑んだ。昔の様な笑顔ではなく、儚い微笑だったけれど、其でも其の笑みを僕の腕の中で見せてくれるのか。

 拝啓。新緑の候。
 桜が散り、青々と茂る桜の木の下で。君は初恋にさよならすると言った。複雑な気分だ。僕が君の初恋だったなんて。そして、今の僕の為に、其の初恋にさよならを言いたいと思ったなんて。そして、君の中の思い出の僕は、僕が捨ててきたものを持っている、僕とは違う僕。
 僕は、死ぬまで名乗れないと思った。君の中の、絵描きを目指していた頃の自分と、此の僕とが同一人物だと知ったら、君に僕もあの頃の僕も軽蔑されてしまう様な気がしたから。嫌われてしまうのではないだろうかと、不安になるんだ。
 嫌われたくないんだ。此の嘘は、墓場まで持って行こう。こんな今の僕でさえ、好きだと言ってくれている君に、嫌われたくないのだ。
 笑っていて欲しいんだ。ずっと僕の隣に居て欲しいんだ。

 拝啓。灼熱の候。
 如何すれば君は喜んでくれるのだろう。綺麗な着物も、簪も、何も要らないと言う。なんて欲が無いのだろう。そして其の度に僕はなんて浅ましくなったのかと思い知る。金で、物で、人の心迄如何にか出来ると思い込んでいる自分。昔、其を嫌い、勘当されてでも絵描きになろうと思っていたのが、夢の様だ。
 そして、其の度に僕は君に喜んで貰える事を、何一つ出来ないのだと知る。情けない話だ。君を幸せにしたくて家を継いだと言うのに。
 今になって思う。君が贅沢を好まないのなら、あの日、あの時、君を連れて逃げてしまえば良かったのではないかと。そうしたら、君は苦界に落ちる事も、僕は苦界で君を泣かす事も無かったんじゃないだろうか。
 今更の話か。

 拝啓。霜気の候。
 どうも、僕の体に巣食った病魔は、僕が死ぬまで居座るつもりの様だ。困ったな。此では僕は君よりかなり早く逝く事になる。あの家の連中の事だ。僕が居なくなれは、これ幸いと君をあの屋敷から追い出そうとするだろう。そして、欲のない君の事だ、着の身着のまま、行く当ても無く屋敷を出る事を選ぶだろう。
 遺言を残した所で、そんな物はなにもかけぬ筈。其ならば、家族も知らない此の画廊を君に残そう。此処で生活をしていた事があるから、贅沢を好まぬ君になら不自由なく暮らせるだろう。少しだけ着物と君が受け取ってくれそうなだけの財産を此処に置いて逝く。そして、僕の本当の心を此の手紙とあの絵に残していく。
 嘘を吐き続けた僕を許してくれるのなら、どうか此の僕の画廊を受け取って欲しい。僕を許してくれないのなら、僕の心を、此の手紙と僕の描いた君の絵を、どうか君の手で燃やして欲しい。
 此の画廊には、僕の全てが在る。僕の心が在る。嘘を吐き続け、君を泣かせた僕を許し、其でも好きだと言ってくれるのなら、此の画廊で、僕の心と共に生き続けて欲しい。
 そうして、僕の最後の我儘を聞いてくれないだろうか。笑っていて欲しいんだ。幸せになって欲しいんだ。泣かせてしまった分も、苦しめてしまった分も、そして、嘘を吐き続けてきた分迄も。
 愛しているよ。愛していたよ、ずっと。此の命果てても、此の思いは変わらない。僕の心を置いて逝くから。泣かないで。

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