千年ぼっちの異星人、ハイドロ・マーメリックは今日も人の感情がわからない

村上しんご

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第11話:本気の怒りに、加減はいらない

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「準備はできたの?」

 薄曇りの朝、静香は病院裏の搬入口で声をかけた。
 その視線の先で、静香が揃えた物資や機材を、良子が淡々とワゴン車の荷台へ積み込んでいた。
 車のエンジンはかすかに低く唸り、吐き出される白い排気が朝の冷たい空気に溶けていく。

 教団幹部たちはすでに瞑想部屋に閉じ込められ、伊藤静香が事実上この場所のリーダーとなっていた。
 ──いつの間に信者たちの心を掴んでいたのか。「静香をリーダーに立てろ」という良子の一声に、逆らう者は一人もいなかった。
 その現実が、いまだに静香の胸をざわつかせる。良子の何もかもが、やはり規格外だった。
 それは外科医としての腕だけではない。戦略的な頭脳を持ち、人々の心まで掌握する術は、常人のものとは思えなかった。

 ──いったい、この女は何者なのだろう。
 この女には、まだ何か隠していることがあるような気がする。最初に会った時から、惹きつけられるものを感じていたのは気のせいでは無かったのだ。

「ああ……お前にはいろいろと世話になったなぁ」

 良子はワゴン車の荷台に最後の箱を押し込み、手を払って小さく息をついた。その横顔は、不思議なほどすっきりしていて、後腐れなど一切ない。
 むしろこれから先に進む者だけが持つ、妙な解放感さえ漂わせていた。

「もう行くの?」

 心細げにそう問いかける静香の方が名残惜しんでいる。
 これからの未来への不安と、心強い存在が離れていくことへの恐れが、どうしても隠せなかった。

「大事な子供が待っているんでなぁ。だが、もし私の力が必要ならば、これで連絡しろ」

 良子は胸ポケットから小さな短波無線機を取り出し、静香の手にそっと握らせた。ひんやりした金属の感触が、静香の手のひらにずしりと重くのしかかる。
 その重さが、これから自分が背負うものの大きさを物語っているようだった。
 そんな気落ちした静香の肩に、良子はポンと手を置く。

「心配するな。お前ならここの避難所を守っていける」

「何から何まで、ありがとう……」

 静香はそう言って、また良子の前で深く頭を下げた。敬意を込めたその姿に、良子の顔が一瞬綻ぶ。

「ワクチンが完成したら連絡する。じゃあな」

 そう言って車に乗り込む良子は浮かれていた。一週間と経たないが、久しぶりに満里奈に会えるのが待ち遠しくて仕方なかった。
 エンジンが低く唸りを上げ、白いワゴン車がゆっくりと動き出す。静香は搬入口に立ったまま、その背中を見送っていた。
 車のテールランプが遠ざかるたびに、胸の奥に残ったものが形を変えていく。不安と恐怖と、そして──かすかな決意。

「……私が、この場所を守らなくちゃ」

 無線機を握る手に、力がこもった。良子ならワクチンを完成させ、必ず元の世界に戻してくれるだろう。
 それを成し遂げるだけの力が彼女にはある。いまだに得体は知れないが、これまで生きてきた経験値が違うと、本能が語っている。
 静香は見えなくなっていくワゴン車に、これからの未来への希望を見出していた。

 そのころ良子は猛スピードで車を飛ばし、襲い掛かるゾンビの群れを、まるで舞うようなハンドルさばきでかわし続けていた。
 病院での緊張感はもう彼女の中になく、視線の先にはただ一人、心を許した満里奈の顔が浮かんでいた。
 荷台には静香から託された物資と一緒に、譲ってもらった子供用の小さなおもちゃを乗せている。それを満里奈に渡すことを想像するだけで、何故だか嬉しくて仕方ない。

 ワクチンを完成させ、母親を元に戻すには、まだ時間がかかる。別れ際の、あのぎこちないやり取りが少し気掛かりだが、これで機嫌を直してくれるだろう。
 良子は不思議な気分だった。地球に来て千年経つが、人に会えることをこれほど待ち遠しいと思ったことがあっただろうか。
 満里奈に出会ってから何故だか自分が少し変わった気がする。何をするにも面倒だったのに、あの子のためなら、どんなことでも叶えてあげたいと思えるようになった。
 人の感情になど無関心だったのに、いつから変わってしまったのだろうか。ただ、あの子との触れ合いは、乾ききった心の中で、失っていた温かい感情を芽生えさせてくれた。

「ふふふ……」

 良子は車を飛ばしながら、あの時のことを思い出していた。自分が異星人だと明かした時、満里奈が「……た、タコじゃないよね……?」と言って、目を丸くしたあの表情だ。
 あの時の動じた様子が今も微笑ましくて忘れられない。

「……ああ、早く顔が見たい」  

 そんなことを考えていると、ショッピングモールの巨大な外壁が視界に入ってきた。しかし車を飛ばして入り口に差し掛かった瞬間、良子は目の前の光景に息を飲んだ。  
 ゲートは半壊し、バリケードとして積まれていた車や資材が散乱している。  
 見張りの姿はなく、ショッピングモールの入り口に漂っているのは焦げたような匂いと沈黙だけ。中ではゾンビがあちこちを徘徊し、不気味な呻き声を上げ続けている。

「ま、満里奈は!?」

 良子は急ブレーキを踏み、咄嗟に車から飛び出した。今まで感じたことのない不安が、背筋を撫でるように駆け抜けていく。  
 助手席からリュックを掴んで、すぐさま背負い、サイドポケットから包丁を取り出す。  
 それに気付いたゾンビたちが一斉に襲い掛かってくるが、良子は目にも止まらぬ速さで次々となぎ倒し、建物に向かって駆けていった。
 俊敏な動きでゾンビを倒しながらも、頭の中は満里奈のことでいっぱいだった。無事であることを切実に願ってはいるが、嫌な予感がどうしても拭えない。
 建物のロビーに差し掛かると、大勢の靴跡と血痕が無数に散っている。更なる不安が襲い掛かり、良子は思わず満里奈の名前を大声で叫んでいた。

「……満里奈! どこだ!」  

 しかし、声は虚しくロビーに反響するだけだった。  
 中にまで入り込んでいたゾンビが、一斉に良子に向かって襲い掛かってくる。良子はそれを軽く蹴散らしながら、必死になって満里奈を探す。
 しばらくすると食品売り場に辿り着き、半開きになったバックヤードの扉の隙間から、人の気配がするのを良子は見逃さなかった。
 良子はすぐに包丁を握り直し、足音を消して静かに近づいた。不穏な空気の中、背筋にぞわりと冷たいものが走る。  

「……満里奈?」

 そう言って扉を開くと、門の見張りをしていた若者の一人、“青木“が血まみれになって倒れていた。

「青木……!」  

 良子は慌ててしゃがみ込み、青木の首筋に指を当てた。かすかに脈があり、まだ息がある──だが、何故か銃で撃たれた跡があり、そこから大量の出血がある。  
 血だまりは床一面に広がり、このままでは長くは持たないだろう。

「何があった? 満里奈はどこだ!」  

 良子は問い詰めるが、青木は言葉をつなぐのもやっとの様子だった。  

「……連れて……いかれ……た……」

 振り絞られたその言葉に、良子の全身から血の気が一気に引いた。

「何があった!? 他の奴らはどうした!?」

「武装した……やつらが……急に……入ってきて……子どもや……女を……連れて……」  

 言葉は途中で途切れ、呼吸が荒くなる。良子は彼の肩を押さえ、必死に問いかける。  

「どこへ連れていった!? 満里奈は無事なのか!?」  

「………………」

 良子の問いかけに青木はもう答える術を失っていた。何かを伝えようと口を動かしているが、言葉にならない。  
 良子は静かに最期を迎える青木を、ただ見守ることしかできなかった。静かに力尽きる青木の瞳を閉じさせ、その身体をそっと床に横たえた。  
 血の匂いが鼻に付き、胸の奥に鈍い怒りが込み上げてくる。  

 ──誰が、満里奈を……。

 包丁を握る手に、ギリっと力がこもった。ゾンビとは違う、人間の手で命が奪われたのだ。  その事実が、良子の千年の中でほとんど感じたことのない「怒り」を呼び覚ます。  

「……許さない」  

 良子は低く呟き、立ち上がった。そして、 バックヤードを飛び出し、連れ去られた者たちの行方を追おうとする。 

「良子さん……?」

 その時、聴き慣れた声が背後から聞こえ、咄嗟に振り返る。すると、青木と一緒に門の見張りをしていた若者の一人、“富岡“が救急箱を持って呆然と立ち尽くしていた。

「富岡……無事だったのか!」

 良子がそう言うと富岡は何かを感じ取ったかのように、顔面蒼白になる。

「……青木は……?」

 その言葉に良子は、ゆっくりと瞳を閉じ、静かに首を横に振った。それに落胆する富岡を気の毒に思いながらも、良子は意を決して口を開く。

「何があったんだ? 満里奈はどうした?」

「……二日前、武装した集団がここの物資や食料を狙って攻め込んできたんです。奴らは何故か銃を持っていて、暴徒化した連中に我々は成す術がありませんでした」

 富岡の声は震え、救急箱を握る手にも力が入っている。

「彼らは……物資や食料と一緒に子供や若い女性を選んでトラックに押し込み……そのまま連れていったんです。満里奈さんも……」

 そう言いかけた瞬間、良子の顔つきが一気に険しくなった。まるで鬼のような殺気を放つ様子に、富岡は「ひぃっ!」と悲鳴を上げて、良子から視線を逸らし身体を小刻みに震わせた。
 今にもそいつらを皆殺しにしそうなほどの尋常でない殺意は、この世のものとは思えない。ゾンビたちを蹴散らした時でさえあれほど冷静だったのに、そこまでの怒りを抱えていることに、富岡は改めて満里奈との深い絆を感じた。

「ここにいた前島や他の奴らは?」

 怒りを抑えつつも、良子の言葉には冷たく鋭い響きがある。怯む富岡は言葉を選びながら、慎重に口を開いていった。

「ほとんどの者が銃弾の襲撃に倒れました。外に逃れた者も何人かいますが、残った者はこの建物のどこかで身を潜めてると思います」

「お前ら、連れ去られていく仲間たちを見捨て、何もしなかったのか?」

「や、奴ら銃を持っているんですよ!」

 富岡は言い訳するように叫んだ。救急箱を握る指先は白くなり、全身が震えている。良子は冷たい視線を向けたまま、ゆっくりと一歩近づいた。  

「銃が怖いから、仲間を見捨てたのか?」  

「ち、違います! 俺たちだって……!」  

 富岡は必死に声を張り上げるが、その声は震え、言葉の先は消えていく。  
 それを見て良子は、呆れるように息を吐いた。  

「……いい。お前を責めているわけじゃない。だが──私には時間がない」  

 その声音に、富岡はハッとする。鬼気迫る迫力の奥に、微かに押し殺された焦燥が見えた。  

「奴らの拠点を知っているか?」  

「ひっ……」 

 富岡は記憶を辿るように目を泳がせる。  

「し、白いトラック二台……南側の高速に乗って行ったのを見ました。荷台には……満里奈さんや他の女の人が……」  

「高速……」良子は呟き、包丁を握る手にさらに力を込める。その目の奥で、冷たい光が鋭く閃いた。  

「ここに残っている人間を集めろ。すぐに奥の部屋に移動させてバリケードを築け。もう一度襲われたら、今度こそ全滅する」  

「り、良子さん……実は……奴らの中に満里奈さんの父親が居たみたいです。満里奈さん、『お父さん……』と言ったまま、顔を真っ青にして酷く怯えていました」

「……父親?」  

 富岡の話を聞いて良子の目が細まり、瞳孔がギラリと光る。唇がゆっくりと吊り上がり、笑みとも嗤いともつかない形に歪んだ。  
 悪魔のような笑みを見て、富岡は話したことを後悔した。この人はもう何をするかわからない。襲撃した連中に哀れみはないが、もう無事では済まないだろう。

「ちょうどいい……あの腐った親父も始末してやる」

 良子の声は低く、氷の刃のように鋭い。満里奈の父親──かつて満里奈と母親に暴力を振るい、二人を路頭に迷わせた張本人だ。  
 その名前を聞くだけで、胸の奥底に押し込めていた怒りが一気に噴き上がってくる。トラウマを抱える満里奈は抵抗することも出来ず、付いていくしかなかっただろう。  

「……あいつだけは絶対に許せない」  

 良子は吐き捨てるように呟き、包丁の柄を握りしめた指先が白くなる。  

 富岡は身をすくめ、一歩後ずさる。この女は本当に行く。殺す気で行く。  
 しかし、恐怖の奥に奇妙な安心感もあった──それはこの人なら、満里奈さんを必ず連れ戻すだろう、という根拠のない確信だった。  

「富岡」 

 良子が唐突に名を呼んだ。 

「言った通りだ。ここに残ってる連中をすぐ集めろ。バリケードを築いて死守しろ。私が戻るまで絶対に動くな」  

「は、はい……!」  

「満里奈は必ず取り返す」  

 良子はそう言い残し、踵を返す。  
 その背中は、もう人間というより、冷酷な狩人そのものだった。 背後で富岡は祈るように呟く。 

「……満里奈さん……良子さん……無事で……」

 しかし、その言葉は良子の耳には届いていなかった。氷のように冷たい形相を浮かべるその瞳には、彼らを誰一人として生かしてはおかないという決意が滲んでいた。





              ~to be continued~
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