【完結済】夜空のプラネタリウム

廻野 久彩

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第18話 君への褒め言葉

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流星群の夜が明けた翌日、校舎の空気は少しだけ水っぽかった。  
廊下を歩くたび、床のワックスがきしむ。  

理科棟の一番奥——「天文部」。  
扇風機は首を止め、机の上には昨夜の観測カードが小さな塔になって積まれていた。  
柏木先輩が「集計は任せて」と言って出ていった後、部屋には二人だけが残る。

望月先輩は、赤いセロファンをかけたライトを机の端に置き、白板の隅に細く書く。

 反省:暗順応15分厳守/“0も記録”の徹底◎

紙の束を二等分にして、互いに読み上げる。  
「“長い尾”多数」「“同時”は01:42」「“痕あり”は計五回」  
昨夜の空が、言葉の形でまた目の前に立ち上がる。  
二人分の“ひとこと”が、並んで光った。

 待つと、同時に見えるものがある  
 見えない線は、二人だと濃くなる

読み終えて、静けさが少し降りた。  
赤い光が、机の角をやわらかく縁取る。  
昼間なのに、夜の余韻だけがちゃんと残っているみたいだ。

「……あの」

自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。  
望月先輩が顔を上げる。

「言わせてください。——私の、褒め言葉」

頷きが、合図みたいに軽い。

「最初、従姉妹さんに向けて言ったやつ。……ほんとうは、先輩に重なってました」

目を伏せずに言えた。  
赤い光が、言葉の眩しさをちょうどよく落としてくれている。

「まつげが長くて綺麗——屋上で横を向くと、光の縁が影になって落ちます。  
目の形が綺麗——ベガみたいに鋭いのに、にじまないで、ちゃんと芯が見える。  
笑うと可愛い——明るさが一段増す感じがして、見つけやすくなる。……星を探すときと、同じ感覚で、先輩を見てました」

言い切ると、胸の中の小石が音もなくほどけた。  
望月先輩は、少しだけ目を瞬いて、息を置き、笑うでも照れるでもない表情で、静かに言った。

「——君はずっと僕を見てくれていたんだね」

耳の奥で、昨夜の風鈴が遅れて鳴る。  
言葉は短いのに、胸の真ん中の起点に、すとんと触れた。

「ありがとう。……たぶん、僕のほうが先に、君を目印にしてた」

「目印?」

「流星群の準備、チェックリスト、観測カードの“ひとこと”。  
最初に君が“東は、はじまり”って書いた日から、僕の“はじまり”の位置が、ちょっと君寄りになった」

赤い光が、言葉にぴたりと合う。  
笑いたくなるのに、笑うと崩れそうで、口の中の微笑みだけで受け止める。

「屋上、行く?」

望月先輩が立ち上がる。  

「後片付け、残ってるから。……それと、もう少しだけ、空の下で話したい」



鉄扉の向こう、昼の熱が薄く残る。  
昨夜の名残りの赤ライトが二つ、まだ手すりの近くに置いてあった。  
シートは丸めて束ねられ、空気枕が三つ、風にころりと転がる。  
北東の空には、薄い白さの上にWのカシオペヤ。  
ピークは過ぎても、ペルセウス座流星群はしばらく“残り火”を落とす——望月先輩の言葉が頭の中で続く。

「散在もいるしね。——“待つ”のはやめない」

段差にテープを貼り直し、ライトの電池を外し、空気枕の空気を抜く。  
単純な作業に、細い会話が挟まる。  
紙の束が軽くなり、胸の重さも自然に落ちていく。

片付けがひと段落したところで、望月先輩がポケットから透明テープを取り出した。  
ビニール袋の中の早見盤。  
昨夜、角に足されたマスキングテープの上に、もう少し丁寧に透明の帯を重ねていく。

「補強、二重にしてある」

「……ありがとうございます」

「紙は歪んでも、起点は変わらない。  
——何度でも東に合わせ直せるように」

テープを切る音が、風の糸と重なる。  
言葉よりも静かに届く手つき。  
気づけば、胸の奥に置きっぱなしだった言葉が自分から出ていた。

「好きです」

驚くほどすんなりだった。  

赤い光の明度が、最後の背中を押してくれたような気がした。  
望月先輩は、テープの端を押さえた指を少しだけ止めて、息をひとつ置き、それから顔を上げる。

「僕も君が好きだよ。——君が来ると、空が整う」

告白、という言葉を使わなくても十分伝わる形が、ちゃんとある。  
それを知っているのは、天文部で“ひとこと”を練習してきたからかもしれない。

「続きは、ゆっくり。待つのも、行くのも、両方やる」

「はい」

返事は短くて、でも中身は大きい。  
ふたりして笑うと、同時に風が一段やわらいだ。  
遠くで、昼の名残の蝉が遅れて鳴く。

「——一分だけ、空を見ようか」

「0でも、記録?」

「もちろん」

寝転ぶほどではない距離で、手すりに寄りかからずに、首だけを上げる。  
視界をなんとなく四等分。  
0。  
0。  
最後の十秒で、細い一条が、こと座とわし座の間をすべる。  
誰も合図を出していないのに、二人で同時に息を吸って笑ってしまう。

「同時」

ほとんど反射で、同じ言葉が重なる。  
観測カードはもう手元にないのに、胸の中で“ひとこと”の欄が埋まっていく感覚があった。



部室に戻ると、投影機の黒い布が柔らかく光を吸った。  
望月先輩は白板の端に小さく書く。

 今日の“ひとこと”  
 起点は変わらない/東に合わせ直せる

その下に、ペンを借りて、もう一行だけ足す。

 見えない線は、君で濃くなる

声に出して読むと恥ずかしすぎるので、二人とも読まない。  
でも、書かれた文字はちゃんと残る。  
橋の材料みたいに。

荷物をまとめながら、望月先輩がふと真顔になる。

「ひとつ、先に言っておくね。近いうちに、遠い話をする」

「遠い話?」

「進学先の準備が現実的になってきた。——願書、見学、下宿のこと。  
時間の話と距離の話。  
今日みたいに、赤い光で、順番を選んで話す」

胸のどこかがきゅっとなる。  
でも、逃げる感じではなかった。  
あの白板の太字みたいに、最初に置くべき見出し、というかたち。

「……はい。待ちも行きも、両方で聞きます」

「心強いな」

言葉の量は多くないのに、何度も救われる。  
“ひとこと”の練習は、こういうときのためにあったのかもしれない。

昇降口へ向かう廊下。  
窓の外、校庭のやぐらは骨組みだけで、提灯はまだ灯っていない。  
遠くの道路の音が薄まり、かわりに午後の風の層が増える。  
階段を下りる前に、望月先輩が小さな声で言う。

「君の名前、やっぱり星にぴったりだと思う。  
満ち欠けしても、月は月のまま。僕の名前も、望むって字がつくけど——望むだけじゃ足りないって、やっとわかった」

「行く、も、ですね」

「うん。行くも、伝えるも」

二人で笑った。  
赤い光を消すと、白い蛍光灯が少しまぶしい。  
でももう、目は簡単には痛まない。  
暗さに慣れる方法を覚えたみたいに、眩しさに慣れる方法も、少しだけ覚えたから。

外へ出ると、風鈴が一度だけ鳴った。  
商店街の角では、朝片づけ忘れたラムネの空き瓶が光を返す。  
夏はまだ続く。  
東は、今日もはじまりだ。

——美月はもう知っている。  
自分が向けた褒め言葉の行き先も、目印の意味も。  

ただ、まだ知らない。  
この「遠い話」に、卒業と距離が重なる重さを、  
どう受け止めて、どんな“ひとこと”で残すのかを。

それでも今は、起点は変わらないという合言葉を胸の真ん中に置き、  
見えない線の濃さを確かめながら、夏の午後を、ゆっくりと歩いていった。
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