【完結・R18】弱ってる時に優しくされたから好きになっただけでしょう?

堀川ぼり

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フラッシュバック

 通勤ラッシュと呼ばれる時間も終わり、少しだけ人の少なくなった駅のホーム。
 四つ折りにされたA5サイズの紙を私に差し出す男の手は、よく見るとわずかに震えていた。

「っあの、これを……」

 ――持っていてください、と副音声のように聞こえてきた声は、目の前の男が発したものではない。
 あまりにも似た状況に、つい姿を重ねてしまっただけ。あの時私にそれを言ったのは、疲れた顔をしたスーツの中年男性だった。
 半年前、駅のホームで知らない男性に呼び止められ、これを持っていてくださいと白い封筒を押し付けられた。咄嗟に受け取ってしまった私をその場に残して、紙を渡してきた男は駆け出し、そのまま線路に飛び込んだのである。
 一瞬の出来事に理解が追いつかないまま、数人の悲鳴と急ブレーキの音が耳を劈いた。
 バクバクと心臓が騒ぎ出し、嫌な予感に呼吸が浅くなる。
 ゆっくりと首を動かし、改めて自分の手元に目をやると、封筒の表面に「遺書」とボールペンで記してあるのが見えた。

「すみません。あの……」
「……っあ」

 再び声をかけられたことで現実に引き戻され、引き攣った声が私の口から漏れた。
 嫌な記憶のフラッシュバックに襲われた私の正面で、紙を差し出してきた男は、真剣な面持ちできゅっと唇を引き結ぶ。

(この人は、あの時とは違う人だ)

 歳も私と近いように見えるし、黒いパーカーに細身のダークネイビーのデニムというカジュアルな服装をしている。
 しかし、どこか怯えるような表情は、あの時線路に飛び込んだ男を彷彿とさせた。
 長い前髪で隠れているけれど、彼の瞳が不安げに揺れている。私から目を合わせようとすると、気まずそうに逸らされた。

(これを受け取った瞬間に、線路のほうに走り出すのかな)

 線路に人が吸い込まれて一瞬で姿が見えなくなり、金属の擦れるような振動音とたくさんの悲鳴が混じった、当時の光景を思い出す。
 ギリギリの急ブレーキは間に合ったらしく、飛び込んだ男はどうにか轢かれずにすんだらしい。
 それでもあの数秒間は生きた心地がしなくて、何も考えずに封筒を受け取ってしまったことを酷く後悔した。
 あんな光景は、もう、二度と見たくない。

「い、一旦、それをしまってもらえないですか?」
「あ……。えっと、受け取ってもらえない……?」

 どこか必死に聞こえる、不安の滲む声。
 彼の決死の勇気を拒絶してしまったみたいで胸が痛む。
 彼の人生に何があったのかを私は知らないし、初対面である私が心配する義理はないのだろう。けれど、別に見捨ててもいいと思ったわけではない。
 あの時と同じ現場に居合わせたくないと思ったのは私のエゴだ。
 揺れた瞳とようやく目が合い、その瞬間におかしな提案が思わず口をついていた。

「あの、私! つ、付き合えるので、今日……! なにか、その、どこか楽しいところとか! どこでも、行ってみません、か……?」
「へ?」

 どんどん尻すぼみになっていく私の言葉に、彼が不思議そうに顔を上げた。
 一日楽しんだところで、彼の悩みが解決するわけではないだろう。
 しかし意外にも、私の発言を聞いた瞬間に、強張っていた彼の表情がわずかに解ける。その反応に、まだ救いはあるのかもしれないな、と思った。

「その、私……今日は休みで、特に予定もないのでどこでも付き合えるし、嫌じゃなければ一緒に何かできないかなって……」
「行きたい。あ、じゃなくて……ありがとうございます。行きたいです」

 食い気味に返事をもらい、私のおかしな提案を受け入れてくれたことに一先ず安心した。
 なんでも受け入れなければならないほどの苦しい環境にいたのか、今はただ一人でいたくないだけなのか。返事をくれた理由は分からないけれど、私と一緒に過ごすことを嫌がっている表情ではないように見える。

(とにかく、行く場所を考えないと)

 とりあえず誘ってはみたものの、自殺を考えるほどに苦しんでいる人を楽しませるプランなんて分からない。それでも何か、少しでも目の前の人の抱えている不安がなくなるような時間にしたい。
 楽しんでもらえる行き先を考えてみるが、テーマパークでは安直だろうか。アトラクションが苦手な可能性もあるし、そうなると水族館や美術館などの方がいいのかもしれない。
 一人で数秒考えてみるが、こればっかりは聞いてみないと分からないという結論に至った。少しでも興味があって、彼が楽しめる場所に行かないと意味がないのだ。

「あ……あの、もし行ってみたいところがあったら教えてもらえませんか? してみたいこととか、なんでも大丈夫なので」
「え……? いや、ゆっくり話ができるならどこでも」
「え、あ、話……? あ、じゃあ、何か食べに行くとかどうですかね……?」

 ゆっくり座って話すならと思って出した提案に、彼は安心したように頬を緩ませて一度頷く。
 もしかしたら、何か人に聞いてもらいたい話があるのかもしれない。誰かに話を聞いてもらうだけでも、気持ちは楽になるものだ。
 親身になって話を聞いてくれる友人はいないのだろうかという疑問は、とりあえず胸の奥にしまっておく。
 食事する店を探すためにスマートフォンを取り出し、いくつか候補を考えることにした。
 ただの食事ではなく、少しでも楽しい要素があった方がいいだろう。そう考えて店を探し、当日でも予約が取れそうな二つを彼に提案する。

「あの、予約を取れそうなところが二つあって、ホテルのランチビュッフェと、手ぶらで行ける屋内バーベキュー。どっちがいいですか?」
「えっ?」

 意外な二択に反応したのか、素直に驚いた表情を向けられて、私まで少しびっくりしてしまった。

「えっと……それじゃあ、ホテルのビュッフェかな」

 しばし考えてから返された声は、どこか私の真意を探っているように感じる。
 人に合わせることや気を遣うことが、彼の中で当たり前になっているのだろうか。自ら命を絶とうとした彼の背景を思うと、胸が苦しくなってしまう。
 それでも、ビュッフェに行きたいとしっかり選んでくれたことにどこか安心もした。
 食欲がないわけじゃない。行きたい店を選択する元気もある。
 それなら、たくさん食べて、少しでも元気になってくれたらいいのに。

「分かりました、いっぱい食べましょう」
「ふっ」

 私がそう言った瞬間に緊張した面持ちが崩れ、片手で口元を押さえて彼が吹き出す。
 小さく揺れる肩を戸惑いながら見つめていると、柔らかく緩んだ瞳が私に向けられた。

「あ……はは、ごめん。いきなりわんぱくなこと言い出すから、なんか……はは、可愛くて……」

 ウケを狙ったつもりではなかったけれど、彼が面白がってくれているなら別に構わない。
 笑う元気があるのなら、きっとまだ大丈夫だ。
 ふわりと緩んだその表情は、私よりずっとわんぱくで可愛いかった。
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