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ブレックファースト
「……ん、んぅ」
目が覚めると、窓の外はすでに明るくなっていた。
すでに起きていた葉山さんがベッドの横で腰を屈め、私の身体を優しく揺らしている。
「おはよう」
「……おはようございます……?」
「まだ寝惚けてるね。起きなくていいの?」
何度か声をかけられて、ゆっくりと意識が覚醒していく。話している相手が葉山さんだということに気づき、昨夜の自分が葉山さんの部屋に泊まったことを、ぼんやりと思い出した。
「……あ、葉山さん……」
「もう九時だけど時間は平気? 今日も仕事があるって言ってたよね」
「ん……えっと、九時なら全然、仕事間に合う。葉山さんの家のほうが職場まで近いし、まだもう少しゆっくりできそう……」
半分寝惚けたままで返すと、葉山さんが片膝をマットレスに乗せる。
急に近くなった距離に、起き抜けの身体がびくりと震えた。
「もう少しって、どのくらい大丈夫?」
「え……」
「時間があるなら、まだ少しだけ触っていてもいい?」
そう言われた瞬間に昨日の行為を鮮明に思い出し、思わず身体を後ろに引いてしまう。
確かにぐっすり眠らせてもらったけれど、朝からあんなことをする体力、私には無い。
「あ……あの、シャワー借りたりとか、ご飯とか、仕事行く前にいろいろしたいから……。き、昨日みたいなことする時間はなくて……」
言い訳するようにもごもごと声を出すと、面白いものを見たかのように葉山さんがふっと笑みを溢す。
恋人同士のような甘い雰囲気に、朝からすごくドキドキした。
私の記憶違いでなければ、昨日から本当に恋人になったのだけれど。
「ベッドの中でちょっとイチャイチャしたいなぁって意味だけど、真衣は違うこと考えた?」
「う……だって、昨日のだけじゃ葉山さんは足りなかったのかなって……」
「足りないなんて思ってないよ。……ちゃんと覚えていてくれて、よかった」
安心したように言われるが、「ちゃんと覚えている」とは、とても言い難い状況だ。
行為が終わったあと、私はどのタイミングで眠ってしまったのだろうか。
ピロートークなどした記憶がなく、ただ恥ずかしい最中の記憶だけが私の頭の中に残っている。
上も下も下着を着けていないけれど、葉山さんに借りたTシャツだけは着ている。これは葉山さんが着せてくれたのだろうか。
(昨日、本当にどうやって終わったんだっけ……?)
二回目をする空気ではなくなり、葉山さんがいろいろと後処理をしてくれたことをぼんやりと思い出す。
並んでベッドで横になると緩く抱きしめられ、そのまま頭を撫でられ、それだけですごく気持ち良く感じて……? そこからの記憶が一切無い。
「わ、私……もしかして昨日、寝落ちしちゃったんですか……?」
「もう寝ようかって言って横になってから、三秒くらいで寝てたかな。次からはもう少し加減できるようにするよ。たくさん無理させちゃってごめんね」
「……っ、なんで、葉山さんが謝るんですか?」
無理を強いられたなんて思っていないし、私だって昨夜は葉山さんに抱かれたくて部屋まで来たのだ。悪いことをしたなんて、少しも思わないで欲しい。
「なんでって……」
「葉山さんは優しくしてくれたし、ただ私がイッ……、その、イッた回数が、思っていたより多くなっちゃって、だから少し疲れただけで……。その、最後までしてくれて、嬉しかったのに……」
なんだかとんでもなく恥ずかしいことを言っている気がして、どんどん声の勢いがしぼんでいく。
そんな弱々しい声でも、葉山さんの耳には最後まで届いたらしい。
安心したように瞳を細め、「ありがとう」と優しい声で言ってくれた。
「ああ、そうだ。先に起きたから朝食作っておいたんだけど、お腹は空いてる?」
「え? あ、いいんですか?」
「うん、もちろん。食事できる時間があるみたいでよかった。先に行って真衣の分も用意しておくから、顔だけ洗っておいで」
まだ寝起きのままで話していたことを思い出し、恥ずかしく思いながらも「ありがとうございます」と返事をする。
寝室から出て行った葉山さんに続き、私も部屋を出て洗面所を使わせてもらった。
顔を洗って歯を磨いたあと、ふと、フロストガラスの向こうに影が映っていることに気づく。気になって浴室の扉を開けると、洗濯済みの私の下着とワンピースが干されていた。
葉山さんは朝食の準備だけでなく、洗濯までしてくれていたらしい。
(昨日ぐちゃぐちゃに濡らしちゃったからありがたいけど、葉山さんが洗ってくれたのかと思うと少し恥ずかしいな……)
干されている下着に触れ、すでに乾いていることを確認する。いったい、いつ洗ってくれたのだろうか。
私が寝落ちしたあとにもいろいろ世話をしてくれていたのかと思うと申し訳ない。
冷静になってみると、Tシャツ一枚でリビングに入るのはさすがに駄目だ。
洗ってくれたことに関してもお礼を言わなければ。そう思いながら下着を身につけて、急いでランドリーを出た。
リビングの扉を開けると、すでにテーブルの上には二人分の朝食が用意されている。
葉山さんはちょうどコーヒーを淹れてくれたところらしい。カップを卓上に置きながら、「そっちの椅子に座って」と窓に近い方の席を指した。
パタパタとテーブルに近付き、用意してくれた食事を見ると、思わず「わぁ……」と声が出る。
プロが用意してくれたのだから当然なのかもしれないが、私が普段作っている朝食とは比べものにならない豪華さである。
ガラスの器に盛られたトマトの冷製スープと、アボカドとサーモンのサラダ。プレートには完璧な形のオムレツとクロワッサン、綺麗にカットされたオレンジが載っていて、白いカップに入ったコーヒーからは良い香りが漂ってくる。
葉山さんはいつも、こういう朝食を食べているのだろうか。
(まるで、ホテルで出てくる朝食みたい)
洗濯のお礼のことが頭から抜け落ち、目の前の食事のことで頭がいっぱいになった。
食べるのが楽しみという気持ちより、朝からこんなに用意させてしまったなんて……という、申し訳なさのほうが大きい。
「……凄い、ありがとうございます。あの、朝起きてから、こんなにたくさん準備してくれたんですか……?」
「はは、朝から少し張り切りすぎたかな? 量が多かったら無理しなくていいから、食べられる分だけ食べてね」
「え? ちが、そうじゃなくて……あの、葉山さんはちゃんと眠れましたか? 洗濯までしてくれてたのに、朝早く起きてご飯まで……。私は全然気づかずにずっと寝てただけだから、本当に申し訳なくて……」
「ちゃんと寝たよ。真衣のこと抱いて寝たおかげか、いつもよりぐっすり。服、夜のうちに洗っておいたんだけど、乾いたみたいでよかった」
嬉しそうに話されると、喉の下辺りがきゅうっと苦しくなる。
葉山さんは、付き合った相手に甲斐甲斐しく世話を焼くタイプなのだろうか。
ゆるく細められた瞳からも好意を伝えられているみたいで、空気が甘くて胸が詰まりそうだ。
昨日の行為よりもずっと、葉山さんの恋人になれたのだと実感できている気がする。
気恥ずかしさを誤魔化すように、改めてお礼を伝える。向かい合って席に座り、いただきますと手を合わせた。
もう知っていることだけど、何を食べても美味しい。
朝食にしては少し多めだったけれど、美味しくて最後まで綺麗に食べてしまった。
「後片付けくらいは私がします」と押し切って食器を洗ったあと、シャワーを借りて昨日と同じワンピースに着替える。
仕事に行くような気分ではないけれど、休むわけにもいかない。時間を確認すると、あと十五分くらいならゆっくりしていても大丈夫そうだ。
(出かける前に、もう少しだけ今の空気を堪能してもいいかな)
次に約束している日まで半月以上空いてしまう。昨日あれだけいろいろしたのだから、少し触るくらいなら許されるだろうか。
身支度を終えてリビングに戻ると、葉山さんはソファに座ってタブレットを眺めていた。
自分を奮い立たせるように息を吐き、ゆっくりと近付いて後ろから葉山さんに抱きつく。
大きな肩が微かに跳ねて、葉山さんが頭だけを私のほうに向けた。
「びっ……くりした。どうしたの?」
「もう少しで仕事行かないといけないので、その前に少しだけ恋人っぽいことさせてもらいたくて……」
「空いてるから隣おいで。後ろからじゃ真衣の顔が見えなくてもったいない」
葉山さんの言うことが、いちいち甘くて胸がくすぐったくなる。
にやけそうになる口元を必死に押さえ、葉山さんの隣に移動してソファに腰掛けた。今度は葉山さんのほうから抱きしめてくれて、私からも葉山さんの背中に腕を回す。
大きくて硬い。私より少しだけ体温が高いのか、温かくて気持ち良かった。
昨日もこの心地よさの中で、すぐに眠ってしまったのだろうか。
いい匂いがして、ずっとこうしていたくなるから困る。
「……真衣からこういうことしてくれると、安心する」
「そうなんですか?」
「今日、お酒のせいにして振られるのかと思って、本当は少し身構えてた」
「え……? どうしてそんな……あっ!」
――こんなはずじゃなかった。
――お酒のせいでこうなってしまった。
昨夜の自分が言ったことを思い出し、背中にぶわりと冷や汗が吹き出す。
顔を上げて視線を合わせると、困ったような笑みを向けられ、罪悪感で胸が潰れそうになった。
まともに話せる状態じゃなかったとはいえ、あの言い方はさすがに酷い。葉山さんが勘違いするのも仕方のない言い方を、昨日の私はしてしまったのだ。
ちゃんと説明しないと駄目だと思い、どう言えばいいのかを考えることもせずに慌てて口を開く。
「あのっ、本当に違うんです! 私……エッチしてあんなふうになったの、昨日が初めてで……」
「うん?」
「イッたこともほとんどないのに、昨日はあんなに……その、おかしかったじゃないですか。アルコール入ってるからこんなに気持ち良いのかな、とか。すごく濡れちゃったのは水分たくさん摂ったせいなのかなって思って……。だけど、葉山さんはそんなの知らないから、身体が変になってるの恥ずかしくて、本当は私、あんなにベッド汚したりしないのに……」
「……もしかして、シてる時ずっと恥ずかしいって思ってたの?」
「あんなふうになったんだから、恥ずかしいの当たり前じゃないですか。葉山さんに引かれて、もうしてくれなくなったら嫌だから、身体がおかしいのをお酒のせいにしようと思っただけなんです。……葉山さんと付き合うことを無かったことにはしたくないから、そういう説明しようとしたのに上手く言えなくて……。ごめんなさい。だから、そういう誤解、しないで……」
説明しているうちにどんどん恥ずかしくなり、泣きそうになりながら視線を下に向ける。
思い出すと、昨日からずっと葉山さんに与えてもらうことばっかりだ。逆に私は、葉山さんに迷惑をかけたり、不安にさせるような言動ばかりしているような気がする。
昨日からこんな言い訳ばかり聞かされて、葉山さんは嫌にならないだろうか。
「……はぁ、よかった。嫌われてたらどうしようかと思ってた」
「えっと……? そんな心配するようなこと、葉山さんは何もしてないのに?」
「そう? 全然余裕なくて、僕のほうがずっと恥ずかしいこと言ってたと思うけど」
「……余裕、なかったんですか? なんだか全然そんな風には見えなくて……。ずっと落ち着いていてかっこいいし、葉山さんこういうこと慣れてそうだったから、恥ずかしくてドキドキしてるの、私だけだと思ってた……」
しっかりと話ができたことで、ようやく少しだけ安心できた。
へらりと笑ってもう一度葉山さんに身体を預けると、葉山さんが抑えきれないように、はぁ……と深い息を吐く。
「あの……」
「はぁ、可愛すぎてびっくりした」
「え……?」
「あーあ、なんで今日も仕事なんだろうね。帰したくないなぁ」
甘えるように言われた瞬間、胸の奥がきゅうっと狭くなる。
葉山さんが私と同じように思ってくれていることが、ただただ純粋に嬉しい。
「私も、今日このまま一緒に過ごせないの残念です。次のデートの時はいっぱい時間があるので、一緒にいられるの今から楽しみにしてます」
そろそろ家を出なくてはいけない時間なのに、顔が自然と笑ってしまい、表情を引き締めることができない。
伝え終わると同時にソファから立ちあがろうとすると、手首を掴まれ葉山さんに引き止められる。
「次、会えるのはいつ?」
「……? えっと、約束したのは再来週の……」
「出かける約束をした日はまだ先だけど、泊まってくれたらこうやって朝一緒に過ごすことはできるよね? 遅い時間になってもいいよ。今度はいつ?」
翌日遅番になる日を聞かれているのだろうか。
スケジュールの確認をしないと答えられないけれど、スマートフォンは鞄に入れたままで手元にない。
「えっと、葉山さんがいいって言ってくれるなら、夜大丈夫そうな日調べてまた連絡します」
「うん。調整するから早めに教えて」
掴まれていた腕が離され、葉山さんも立ち上がる。
「送っていくよ。駅までで大丈夫?」
「あ……はい。ありがとうございます」
荷物を持って玄関に向かい、家を出る前に軽くキスをされた。
その一瞬で気持ちが浮き立つ自分の単純さに、我ながら呆れてしまう。
恋人ができたのは学生の時以来だろうか。随分と久しぶりに恋をしている気がして、付き合いたての距離感がたまらなく楽しい。
その日の仕事があまり忙しくなくて、本当に助かったと思う。ことあるごとに葉山さんのことばかり思い出してしまって、あまり集中できなかった。
目が覚めると、窓の外はすでに明るくなっていた。
すでに起きていた葉山さんがベッドの横で腰を屈め、私の身体を優しく揺らしている。
「おはよう」
「……おはようございます……?」
「まだ寝惚けてるね。起きなくていいの?」
何度か声をかけられて、ゆっくりと意識が覚醒していく。話している相手が葉山さんだということに気づき、昨夜の自分が葉山さんの部屋に泊まったことを、ぼんやりと思い出した。
「……あ、葉山さん……」
「もう九時だけど時間は平気? 今日も仕事があるって言ってたよね」
「ん……えっと、九時なら全然、仕事間に合う。葉山さんの家のほうが職場まで近いし、まだもう少しゆっくりできそう……」
半分寝惚けたままで返すと、葉山さんが片膝をマットレスに乗せる。
急に近くなった距離に、起き抜けの身体がびくりと震えた。
「もう少しって、どのくらい大丈夫?」
「え……」
「時間があるなら、まだ少しだけ触っていてもいい?」
そう言われた瞬間に昨日の行為を鮮明に思い出し、思わず身体を後ろに引いてしまう。
確かにぐっすり眠らせてもらったけれど、朝からあんなことをする体力、私には無い。
「あ……あの、シャワー借りたりとか、ご飯とか、仕事行く前にいろいろしたいから……。き、昨日みたいなことする時間はなくて……」
言い訳するようにもごもごと声を出すと、面白いものを見たかのように葉山さんがふっと笑みを溢す。
恋人同士のような甘い雰囲気に、朝からすごくドキドキした。
私の記憶違いでなければ、昨日から本当に恋人になったのだけれど。
「ベッドの中でちょっとイチャイチャしたいなぁって意味だけど、真衣は違うこと考えた?」
「う……だって、昨日のだけじゃ葉山さんは足りなかったのかなって……」
「足りないなんて思ってないよ。……ちゃんと覚えていてくれて、よかった」
安心したように言われるが、「ちゃんと覚えている」とは、とても言い難い状況だ。
行為が終わったあと、私はどのタイミングで眠ってしまったのだろうか。
ピロートークなどした記憶がなく、ただ恥ずかしい最中の記憶だけが私の頭の中に残っている。
上も下も下着を着けていないけれど、葉山さんに借りたTシャツだけは着ている。これは葉山さんが着せてくれたのだろうか。
(昨日、本当にどうやって終わったんだっけ……?)
二回目をする空気ではなくなり、葉山さんがいろいろと後処理をしてくれたことをぼんやりと思い出す。
並んでベッドで横になると緩く抱きしめられ、そのまま頭を撫でられ、それだけですごく気持ち良く感じて……? そこからの記憶が一切無い。
「わ、私……もしかして昨日、寝落ちしちゃったんですか……?」
「もう寝ようかって言って横になってから、三秒くらいで寝てたかな。次からはもう少し加減できるようにするよ。たくさん無理させちゃってごめんね」
「……っ、なんで、葉山さんが謝るんですか?」
無理を強いられたなんて思っていないし、私だって昨夜は葉山さんに抱かれたくて部屋まで来たのだ。悪いことをしたなんて、少しも思わないで欲しい。
「なんでって……」
「葉山さんは優しくしてくれたし、ただ私がイッ……、その、イッた回数が、思っていたより多くなっちゃって、だから少し疲れただけで……。その、最後までしてくれて、嬉しかったのに……」
なんだかとんでもなく恥ずかしいことを言っている気がして、どんどん声の勢いがしぼんでいく。
そんな弱々しい声でも、葉山さんの耳には最後まで届いたらしい。
安心したように瞳を細め、「ありがとう」と優しい声で言ってくれた。
「ああ、そうだ。先に起きたから朝食作っておいたんだけど、お腹は空いてる?」
「え? あ、いいんですか?」
「うん、もちろん。食事できる時間があるみたいでよかった。先に行って真衣の分も用意しておくから、顔だけ洗っておいで」
まだ寝起きのままで話していたことを思い出し、恥ずかしく思いながらも「ありがとうございます」と返事をする。
寝室から出て行った葉山さんに続き、私も部屋を出て洗面所を使わせてもらった。
顔を洗って歯を磨いたあと、ふと、フロストガラスの向こうに影が映っていることに気づく。気になって浴室の扉を開けると、洗濯済みの私の下着とワンピースが干されていた。
葉山さんは朝食の準備だけでなく、洗濯までしてくれていたらしい。
(昨日ぐちゃぐちゃに濡らしちゃったからありがたいけど、葉山さんが洗ってくれたのかと思うと少し恥ずかしいな……)
干されている下着に触れ、すでに乾いていることを確認する。いったい、いつ洗ってくれたのだろうか。
私が寝落ちしたあとにもいろいろ世話をしてくれていたのかと思うと申し訳ない。
冷静になってみると、Tシャツ一枚でリビングに入るのはさすがに駄目だ。
洗ってくれたことに関してもお礼を言わなければ。そう思いながら下着を身につけて、急いでランドリーを出た。
リビングの扉を開けると、すでにテーブルの上には二人分の朝食が用意されている。
葉山さんはちょうどコーヒーを淹れてくれたところらしい。カップを卓上に置きながら、「そっちの椅子に座って」と窓に近い方の席を指した。
パタパタとテーブルに近付き、用意してくれた食事を見ると、思わず「わぁ……」と声が出る。
プロが用意してくれたのだから当然なのかもしれないが、私が普段作っている朝食とは比べものにならない豪華さである。
ガラスの器に盛られたトマトの冷製スープと、アボカドとサーモンのサラダ。プレートには完璧な形のオムレツとクロワッサン、綺麗にカットされたオレンジが載っていて、白いカップに入ったコーヒーからは良い香りが漂ってくる。
葉山さんはいつも、こういう朝食を食べているのだろうか。
(まるで、ホテルで出てくる朝食みたい)
洗濯のお礼のことが頭から抜け落ち、目の前の食事のことで頭がいっぱいになった。
食べるのが楽しみという気持ちより、朝からこんなに用意させてしまったなんて……という、申し訳なさのほうが大きい。
「……凄い、ありがとうございます。あの、朝起きてから、こんなにたくさん準備してくれたんですか……?」
「はは、朝から少し張り切りすぎたかな? 量が多かったら無理しなくていいから、食べられる分だけ食べてね」
「え? ちが、そうじゃなくて……あの、葉山さんはちゃんと眠れましたか? 洗濯までしてくれてたのに、朝早く起きてご飯まで……。私は全然気づかずにずっと寝てただけだから、本当に申し訳なくて……」
「ちゃんと寝たよ。真衣のこと抱いて寝たおかげか、いつもよりぐっすり。服、夜のうちに洗っておいたんだけど、乾いたみたいでよかった」
嬉しそうに話されると、喉の下辺りがきゅうっと苦しくなる。
葉山さんは、付き合った相手に甲斐甲斐しく世話を焼くタイプなのだろうか。
ゆるく細められた瞳からも好意を伝えられているみたいで、空気が甘くて胸が詰まりそうだ。
昨日の行為よりもずっと、葉山さんの恋人になれたのだと実感できている気がする。
気恥ずかしさを誤魔化すように、改めてお礼を伝える。向かい合って席に座り、いただきますと手を合わせた。
もう知っていることだけど、何を食べても美味しい。
朝食にしては少し多めだったけれど、美味しくて最後まで綺麗に食べてしまった。
「後片付けくらいは私がします」と押し切って食器を洗ったあと、シャワーを借りて昨日と同じワンピースに着替える。
仕事に行くような気分ではないけれど、休むわけにもいかない。時間を確認すると、あと十五分くらいならゆっくりしていても大丈夫そうだ。
(出かける前に、もう少しだけ今の空気を堪能してもいいかな)
次に約束している日まで半月以上空いてしまう。昨日あれだけいろいろしたのだから、少し触るくらいなら許されるだろうか。
身支度を終えてリビングに戻ると、葉山さんはソファに座ってタブレットを眺めていた。
自分を奮い立たせるように息を吐き、ゆっくりと近付いて後ろから葉山さんに抱きつく。
大きな肩が微かに跳ねて、葉山さんが頭だけを私のほうに向けた。
「びっ……くりした。どうしたの?」
「もう少しで仕事行かないといけないので、その前に少しだけ恋人っぽいことさせてもらいたくて……」
「空いてるから隣おいで。後ろからじゃ真衣の顔が見えなくてもったいない」
葉山さんの言うことが、いちいち甘くて胸がくすぐったくなる。
にやけそうになる口元を必死に押さえ、葉山さんの隣に移動してソファに腰掛けた。今度は葉山さんのほうから抱きしめてくれて、私からも葉山さんの背中に腕を回す。
大きくて硬い。私より少しだけ体温が高いのか、温かくて気持ち良かった。
昨日もこの心地よさの中で、すぐに眠ってしまったのだろうか。
いい匂いがして、ずっとこうしていたくなるから困る。
「……真衣からこういうことしてくれると、安心する」
「そうなんですか?」
「今日、お酒のせいにして振られるのかと思って、本当は少し身構えてた」
「え……? どうしてそんな……あっ!」
――こんなはずじゃなかった。
――お酒のせいでこうなってしまった。
昨夜の自分が言ったことを思い出し、背中にぶわりと冷や汗が吹き出す。
顔を上げて視線を合わせると、困ったような笑みを向けられ、罪悪感で胸が潰れそうになった。
まともに話せる状態じゃなかったとはいえ、あの言い方はさすがに酷い。葉山さんが勘違いするのも仕方のない言い方を、昨日の私はしてしまったのだ。
ちゃんと説明しないと駄目だと思い、どう言えばいいのかを考えることもせずに慌てて口を開く。
「あのっ、本当に違うんです! 私……エッチしてあんなふうになったの、昨日が初めてで……」
「うん?」
「イッたこともほとんどないのに、昨日はあんなに……その、おかしかったじゃないですか。アルコール入ってるからこんなに気持ち良いのかな、とか。すごく濡れちゃったのは水分たくさん摂ったせいなのかなって思って……。だけど、葉山さんはそんなの知らないから、身体が変になってるの恥ずかしくて、本当は私、あんなにベッド汚したりしないのに……」
「……もしかして、シてる時ずっと恥ずかしいって思ってたの?」
「あんなふうになったんだから、恥ずかしいの当たり前じゃないですか。葉山さんに引かれて、もうしてくれなくなったら嫌だから、身体がおかしいのをお酒のせいにしようと思っただけなんです。……葉山さんと付き合うことを無かったことにはしたくないから、そういう説明しようとしたのに上手く言えなくて……。ごめんなさい。だから、そういう誤解、しないで……」
説明しているうちにどんどん恥ずかしくなり、泣きそうになりながら視線を下に向ける。
思い出すと、昨日からずっと葉山さんに与えてもらうことばっかりだ。逆に私は、葉山さんに迷惑をかけたり、不安にさせるような言動ばかりしているような気がする。
昨日からこんな言い訳ばかり聞かされて、葉山さんは嫌にならないだろうか。
「……はぁ、よかった。嫌われてたらどうしようかと思ってた」
「えっと……? そんな心配するようなこと、葉山さんは何もしてないのに?」
「そう? 全然余裕なくて、僕のほうがずっと恥ずかしいこと言ってたと思うけど」
「……余裕、なかったんですか? なんだか全然そんな風には見えなくて……。ずっと落ち着いていてかっこいいし、葉山さんこういうこと慣れてそうだったから、恥ずかしくてドキドキしてるの、私だけだと思ってた……」
しっかりと話ができたことで、ようやく少しだけ安心できた。
へらりと笑ってもう一度葉山さんに身体を預けると、葉山さんが抑えきれないように、はぁ……と深い息を吐く。
「あの……」
「はぁ、可愛すぎてびっくりした」
「え……?」
「あーあ、なんで今日も仕事なんだろうね。帰したくないなぁ」
甘えるように言われた瞬間、胸の奥がきゅうっと狭くなる。
葉山さんが私と同じように思ってくれていることが、ただただ純粋に嬉しい。
「私も、今日このまま一緒に過ごせないの残念です。次のデートの時はいっぱい時間があるので、一緒にいられるの今から楽しみにしてます」
そろそろ家を出なくてはいけない時間なのに、顔が自然と笑ってしまい、表情を引き締めることができない。
伝え終わると同時にソファから立ちあがろうとすると、手首を掴まれ葉山さんに引き止められる。
「次、会えるのはいつ?」
「……? えっと、約束したのは再来週の……」
「出かける約束をした日はまだ先だけど、泊まってくれたらこうやって朝一緒に過ごすことはできるよね? 遅い時間になってもいいよ。今度はいつ?」
翌日遅番になる日を聞かれているのだろうか。
スケジュールの確認をしないと答えられないけれど、スマートフォンは鞄に入れたままで手元にない。
「えっと、葉山さんがいいって言ってくれるなら、夜大丈夫そうな日調べてまた連絡します」
「うん。調整するから早めに教えて」
掴まれていた腕が離され、葉山さんも立ち上がる。
「送っていくよ。駅までで大丈夫?」
「あ……はい。ありがとうございます」
荷物を持って玄関に向かい、家を出る前に軽くキスをされた。
その一瞬で気持ちが浮き立つ自分の単純さに、我ながら呆れてしまう。
恋人ができたのは学生の時以来だろうか。随分と久しぶりに恋をしている気がして、付き合いたての距離感がたまらなく楽しい。
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