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遠隔
朝起きると、葉山さんはいつも通りに笑っていた。
私のほうが先に家を出るのに、起きるのは葉山さんのほうが早い。
「ご飯の用意できてるから一緒に食べよう」と声をかけられ、また葉山さん一人にやらせてしまったと後悔する朝は、今日で何回目だろうか。
美味しくて理想的な朝食を食べ、急いで身支度をしてから、いってきますのキスをして家を出た。
満員の通勤電車の中。昨日から今日までのやり取りを思い出し、はぁ……と小さく息を吐いた。
(なんかもう、いつ振られるか分からないからなんて余計な予防線を張るのはやめて、正式に同棲しちゃってもいい気がするなぁ……)
今の生活だって、ほとんど同棲しているようなものなのだ。それなのに同棲は無理ですと言い続けるのは、葉山さんを困惑させるだけだろう。
(多分、葉山さんは一緒に住むことを望んでくれていると思うし)
合鍵をもらって通うようになって、曖昧な状態のまま一緒にいて、しばらくはそれでもいいと思っていた。
だけど昨日いろいろと話をして、お互いに不安を抱えていることが分かった。
――ただでさえ釣り合わないのに、葉山さんにいろいろと負担させているという私の不安。
――情けないと思われているんじゃないかという、完璧主義の葉山さんが抱える不安。
私のほうが深刻な悩みだと思うし、釣り合わない現状が変わったわけではない。しかし、今のところ葉山さんはまったく私に愛想を尽かしていないようで、別れを恐れるくらいに好きだと思ってくれている。
それならばきちんと同棲を始めたほうが、お互いの不安は解決に近付くように思うのだ。
私が葉山さんの家にお邪魔する形になっているから、いろんなルールが曖昧になっている。一緒に暮らすことになったら、家事の分担や金銭的な負担を決める必要があるし、葉山さんも今より気負わずに済むだろう。
こうやって考えてみると、私は今まで完全に葉山さんの生活に乗っかる形で甘えていたのだ。
(次に行く時、葉山さんに相談してみようかな)
引っ越しのことも考えなくてはいけないし、すぐに生活のすべてを変えることは出来ないかもしれない。それでも私から同棲の話を持ち出したら、葉山さんは安心してくれるだろうか。
結婚するわけではないけれど、疑似的な新婚生活のようなものだ。具体的な生活を想像すると少し気恥ずかしいけれど、同じだけ楽しみでもあった。
考え事をしていると時間はあっという間に過ぎ、いつの間にか会社の最寄り駅に到着している。
(今日か明日の夜、一緒に住みたいって話してみよう)
浮かれたことを考えながら電車を降り、真っ直ぐに会社へ向かう。
今日の職場が荒れに荒れているということを、この時の私はまだ知らなかった。
「おはようございまーす」
言いながらフロアに入ると、まだ電話受付の対応時間前だというのに、なぜかフロアがバタバタしていた。
普段はあまりデスクにいない部長までこの時間から出勤していて、なんだか嫌な予感がする。
トラブルがあったような慌ただしさだ。きっと、今日は忙しくなるのだろう。
そう思いつつ自分のデスクに向かうと、椅子に座るより先に、手招きで部長に呼ばれる。話を聞きにいくと、持ち出し用のノートパソコンと書類の束を手渡された。
「香月さんごめん! 来て早々に悪いんだけど、今から大阪まで行ってもらえないか?」
「あ……、やっぱり何かトラブルがあった感じですか? 大体のことなら遠隔で対応できると思うので、状況を教えてもらえたら一度私のほうでも試しますけど……」
「状況がなぁ……。関西の大手不動産から大阪の営業所に至急の連絡があったばかりなんだが、メインで使ってる複合機が完全に止まっていて、業務が全部ストップしているそうだ。向こうは今日中に何とかしてくれってかなり強く言ってきてる。連絡をもらってからすぐに、斎藤さんに遠隔でどうにか出来ないか見てもらったが、もう現地で対応するしかない状態らしくてな」
「ああ、なるほど……。斎藤さんがそう判断したなら、もうそれしかないんでしょうね……」
遠隔でのトラブルシューティングに関しては、私より二年先輩の斎藤さんが、この事務所内で一番頼りになる。その彼女が現地で対応すべきと判断したのなら、本当にそれ以外に方法がないのだろう。
「現場には、もうどなたか向かってるんですよね?」
「ああ、もちろん。担当者が現物の確認をしてると連絡をもらってる。まだ詳細の報告は届いてないが、状況から考えて修理に必要な部品の目星はいくつかつけている。ただ、その中にいくつかこっちにしか在庫がない部品があって、発送すると最短でも届くのが明日になるだろう? 持って行ったほうが早いし、どうせ修理レポートは報告をもらってこっちで作成するんだ。香月さんに直接出向いてもらったほうが、抜けがないし無駄もない」
「そう……ですね。分かりました。部品を届けて現場の状況確認して、そのまま報告書も作りますね」
「ちなみに、そのまま数日向こうに滞在してもらうことは可能かい? もちろんその分の出張手当てはつく」
「え……? 数日ですか?」
たった一件のトラブルに? と首を傾げると、部長は疲れた顔をして、手にしていた業務連絡用の携帯を指差した。
「今回エラーになったのと型番が同じ機種、他社にも入れてるから不具合が出てないか至急確認しろって現場から連絡がきてる。だけど大阪の営業所、先週から発熱症状で休んでる人が何人か出てるんだと。今日も病欠が四人いるから人手が全然足りてないって人事から電話があった」
「そんなに休みの人が……。それだと確かに、こっちからも向かわないと厳しいですよね……」
「香月さんなら結構現場にも行ってるし、任せられるから」
基本的には事務作業ばかりの仕事だが、たまにこういうことがある。
トラブルが起きた時に現地で業者と一緒に立ち会って、原因の確認と解決をしたあと報告書の作成。
他社への挨拶がてらメンテナンスについて行ったことも何度かあり、おそらく事務所内で一番現場の雰囲気に慣れているのは私だろう。
さすがに県外に出張するのは初めてだが、こういう状況だからこそ、一番行き慣れている私が派遣されるのは仕方のないことだ。
頼りになる斎藤さんを含め、子供がいる社員も多い。自由に動ける人間は限られてくる。
「あー……長くても三日くらいですよね。まあ、そのくらいなら大丈夫です」
「いやー、助かるよ。向こうには十三時に着けば修理に間に合うって言われてるんだけど、急いで帰って荷物をまとめる時間はありそうかい?」
スキンケア用品くらいならどこかで買えばいいけれど、最低でも着替えと化粧品は取りに行きたい。それなら自分の家に帰るより、葉山さんの家に寄ったほうが時間に余裕がありそうだ。
「まあ……ギリギリ大丈夫だと思います」
取り急ぎいくつかの業務を同僚に引き継ぎ、来たばかりのオフィスを出て葉山さんの家に向かう。
電車の中で、「少しだけ荷物の回収がしたいので今からお部屋に寄らせてください」と葉山さんにメッセージを送った。しばらく待つが返事はこない。
(そういえば今日、何かの取材があるって葉山さん言ってたっけ……?)
仕事のスケジュールを共有しているわけではないから、詳しいことは分からない。
しかし自分の荷物を取りに行くだけならば、返信がなくても特に問題はないだろう。
誰もいない葉山さんの家。二日分の服と下着、使っている化粧品類をポーチに入れ、大きめのトートバッグを肩にかける。
荷物の重さに眉を顰めながら家を出て、来たばかりの道をまた戻った。
(出来るだけ早く終わるように頑張ろう)
新幹線の中で渡された資料を読み、本来の自分の仕事も出来る限りで進めていく。
大阪に着いてからは迎えの車で現場に向かい、メンテナンスの担当者と一緒に作業にあたった。そこから休む間もなく他の営業所まで点検に行き、ビジネスホテルの前で解散したのは十九時を少し過ぎた頃だった。
解放された瞬間に、抑えていた疲労が一気に身体に回った気がする。
(本当は、もう少し早く終わる予定だったんだけどなぁ……)
一人になったところでスマートフォンを取り出し、深く溜息を吐いてからメッセージをしたためる。
――今ようやく仕事が終わったので、このあといつでも電話できます。
それだけを送ってから、葉山さんとのメッセージのやり取りを見返した。
一番最初に送られてきたメッセージは十四時頃。
「出ていくつもり?」という冷ややかなメッセージを、私は送られてきた一時間後に気付いた。
――違います。ごめんなさい。ただ急な出張になっただけです。三日ほどで帰れます。
慌ててそう返信したけれど、これだけでは完全に誤解が解けていないのだろう。
「分かった。仕事が終わったあとでいいから電話できる? 声聞かせて」と返信がきたのはその数分後のこと。そこから電話ができるようになるまで、数時間待たせていた状態だ。
葉山さんとのトーク履歴は、「まだ終わらないの?」という、一時間前に送られてきたメッセージが最後になっている。
もう電話ができると送ったけれど、おそらく今はディナーが始まったばかりで一番忙しい時間帯だ。
閉店後の遅い時間に通話することになっても私は構わないけれど、なんだかすれ違っているようでもどかしい。
(急に荷物を回収したいなんて言われたら、そりゃあ葉山さんも驚くよね)
急いでいたとはいえ、言葉足らずで誤解を招くメッセージを送ってしまったのは私だ。申し訳ないことをしたし、不安にさせたことを早く口頭で謝りたい。
――葉山さんから電話があったのは、そこからさらに三時間後。
お店の閉店時間すぐの、二十二時過ぎのことだった。
「あ、真衣――」
「準備する時間がなくて急いでいて、誤解させるようなメッセージ送っちゃって本当にごめんなさい!」
電話が繋がってまず一番に、今回の発端となった自分の行動を謝った。
必死な私の声に驚いたのか、電話越しで葉山さんが一瞬固まった気配を感じる。
「……あ。いや、僕もごめんね。直接話すまで安心できなくて、昨日からずっと……はは。余裕なくて恥ずかしいな」
聞き慣れた優しい声が届き、私もようやく安心した。今、どんな顔をして葉山さんが話しているのか、声を聞くだけでなんとなく分かる。
ちゃんと誤解が解けたことが分かって、ほっと息をついた。
「私のほうこそ、本当にごめんなさい。出張が終わったら、またすぐに葉山さんのお家に行ってもいいですか?」
「うん、待ってる。三日だっけ?」
「はい。予定通りに終わりそうなので、大きなトラブルがなければ明後日の夜に帰ります。それと……あの、電話で伝えることじゃないかもしれないんですけど、ちゃんと同棲できたらいいなって考えてて……。葉山さんが嫌じゃなかったら、帰ってからいろいろと相談してもいいですか……?」
「は……」
電話の向こう側で、また葉山さんが一瞬固まった気配を感じた。
数秒待ってから、ようやく返事が返ってくる。
「相談って、どういうことを?」
「えっと……結構荷物があるので置く場所とか、あと家賃の負担とかいろいろと……。あの、すぐに引っ越すのは難しいかもしれないんですけど……」
「ああ、うん。ゆっくり運んでくれていいし、ちゃんと場所は作るよ。家賃は別に受け取るつもりなかったけど、そのあたりはまた家で話したほうがいいかな」
「はい、お願いします」
「そっか、分かった。それじゃあ明後日、ゆっくり話す時間を作ろうか。引っ越してきてくれるなら、その前に真衣の家に挨拶にも行きたいし」
「え……挨拶って、私の親にですか?」
「同棲するなら当たり前だよ。今後のことを考えたら悪い印象を持って欲しくはないし、中途半端なことをするつもりはないから、ちゃんと話しておきたい」
葉山さんって本当に完璧主義なんだな。
そう思うのと同時に、それなら葉山さんのご両親にも挨拶に行かなくては……と考えて、少しだけ声が強張った。
「あの……それなら私も、葉山さんのご実家に行くべきですよね?」
「来てくれるのは嬉しいけど、真衣の家に行くほうが先だよ。僕の親には話しておくから、挨拶はもう少し落ち着いてからでも大丈夫」
落ち着くタイミングがいつなのかは分からないけれど、そのあたりのことも含めて次に会った時に話せばいい。
また家で話そうと約束をし、他愛もない会話をしてから電話を切った。
ちゃんと誤解が解けたことに安心して、ビジネスホテル特有の硬いベッドに倒れ込む。
「……同棲したいって話、今日してよかった」
それを伝えてから、葉山さんの声が嬉しそうだった。
受け入れてくれたことに安心できたし、私まで嬉しくなる。
会えるのは明後日の夜。その翌日はシャルメランジュの定休日だから、時間を気にせずゆっくりと過ごせるだろう。
「ふふっ。お土産、何にしようかなぁ」
買いにいくのは仕事終わりの楽しみに取っておく。
とりあえず今は、予定通りに仕事が終わるように頑張ろうと意気込み、いつもより少しだけ早い時間に眠りについた。
私のほうが先に家を出るのに、起きるのは葉山さんのほうが早い。
「ご飯の用意できてるから一緒に食べよう」と声をかけられ、また葉山さん一人にやらせてしまったと後悔する朝は、今日で何回目だろうか。
美味しくて理想的な朝食を食べ、急いで身支度をしてから、いってきますのキスをして家を出た。
満員の通勤電車の中。昨日から今日までのやり取りを思い出し、はぁ……と小さく息を吐いた。
(なんかもう、いつ振られるか分からないからなんて余計な予防線を張るのはやめて、正式に同棲しちゃってもいい気がするなぁ……)
今の生活だって、ほとんど同棲しているようなものなのだ。それなのに同棲は無理ですと言い続けるのは、葉山さんを困惑させるだけだろう。
(多分、葉山さんは一緒に住むことを望んでくれていると思うし)
合鍵をもらって通うようになって、曖昧な状態のまま一緒にいて、しばらくはそれでもいいと思っていた。
だけど昨日いろいろと話をして、お互いに不安を抱えていることが分かった。
――ただでさえ釣り合わないのに、葉山さんにいろいろと負担させているという私の不安。
――情けないと思われているんじゃないかという、完璧主義の葉山さんが抱える不安。
私のほうが深刻な悩みだと思うし、釣り合わない現状が変わったわけではない。しかし、今のところ葉山さんはまったく私に愛想を尽かしていないようで、別れを恐れるくらいに好きだと思ってくれている。
それならばきちんと同棲を始めたほうが、お互いの不安は解決に近付くように思うのだ。
私が葉山さんの家にお邪魔する形になっているから、いろんなルールが曖昧になっている。一緒に暮らすことになったら、家事の分担や金銭的な負担を決める必要があるし、葉山さんも今より気負わずに済むだろう。
こうやって考えてみると、私は今まで完全に葉山さんの生活に乗っかる形で甘えていたのだ。
(次に行く時、葉山さんに相談してみようかな)
引っ越しのことも考えなくてはいけないし、すぐに生活のすべてを変えることは出来ないかもしれない。それでも私から同棲の話を持ち出したら、葉山さんは安心してくれるだろうか。
結婚するわけではないけれど、疑似的な新婚生活のようなものだ。具体的な生活を想像すると少し気恥ずかしいけれど、同じだけ楽しみでもあった。
考え事をしていると時間はあっという間に過ぎ、いつの間にか会社の最寄り駅に到着している。
(今日か明日の夜、一緒に住みたいって話してみよう)
浮かれたことを考えながら電車を降り、真っ直ぐに会社へ向かう。
今日の職場が荒れに荒れているということを、この時の私はまだ知らなかった。
「おはようございまーす」
言いながらフロアに入ると、まだ電話受付の対応時間前だというのに、なぜかフロアがバタバタしていた。
普段はあまりデスクにいない部長までこの時間から出勤していて、なんだか嫌な予感がする。
トラブルがあったような慌ただしさだ。きっと、今日は忙しくなるのだろう。
そう思いつつ自分のデスクに向かうと、椅子に座るより先に、手招きで部長に呼ばれる。話を聞きにいくと、持ち出し用のノートパソコンと書類の束を手渡された。
「香月さんごめん! 来て早々に悪いんだけど、今から大阪まで行ってもらえないか?」
「あ……、やっぱり何かトラブルがあった感じですか? 大体のことなら遠隔で対応できると思うので、状況を教えてもらえたら一度私のほうでも試しますけど……」
「状況がなぁ……。関西の大手不動産から大阪の営業所に至急の連絡があったばかりなんだが、メインで使ってる複合機が完全に止まっていて、業務が全部ストップしているそうだ。向こうは今日中に何とかしてくれってかなり強く言ってきてる。連絡をもらってからすぐに、斎藤さんに遠隔でどうにか出来ないか見てもらったが、もう現地で対応するしかない状態らしくてな」
「ああ、なるほど……。斎藤さんがそう判断したなら、もうそれしかないんでしょうね……」
遠隔でのトラブルシューティングに関しては、私より二年先輩の斎藤さんが、この事務所内で一番頼りになる。その彼女が現地で対応すべきと判断したのなら、本当にそれ以外に方法がないのだろう。
「現場には、もうどなたか向かってるんですよね?」
「ああ、もちろん。担当者が現物の確認をしてると連絡をもらってる。まだ詳細の報告は届いてないが、状況から考えて修理に必要な部品の目星はいくつかつけている。ただ、その中にいくつかこっちにしか在庫がない部品があって、発送すると最短でも届くのが明日になるだろう? 持って行ったほうが早いし、どうせ修理レポートは報告をもらってこっちで作成するんだ。香月さんに直接出向いてもらったほうが、抜けがないし無駄もない」
「そう……ですね。分かりました。部品を届けて現場の状況確認して、そのまま報告書も作りますね」
「ちなみに、そのまま数日向こうに滞在してもらうことは可能かい? もちろんその分の出張手当てはつく」
「え……? 数日ですか?」
たった一件のトラブルに? と首を傾げると、部長は疲れた顔をして、手にしていた業務連絡用の携帯を指差した。
「今回エラーになったのと型番が同じ機種、他社にも入れてるから不具合が出てないか至急確認しろって現場から連絡がきてる。だけど大阪の営業所、先週から発熱症状で休んでる人が何人か出てるんだと。今日も病欠が四人いるから人手が全然足りてないって人事から電話があった」
「そんなに休みの人が……。それだと確かに、こっちからも向かわないと厳しいですよね……」
「香月さんなら結構現場にも行ってるし、任せられるから」
基本的には事務作業ばかりの仕事だが、たまにこういうことがある。
トラブルが起きた時に現地で業者と一緒に立ち会って、原因の確認と解決をしたあと報告書の作成。
他社への挨拶がてらメンテナンスについて行ったことも何度かあり、おそらく事務所内で一番現場の雰囲気に慣れているのは私だろう。
さすがに県外に出張するのは初めてだが、こういう状況だからこそ、一番行き慣れている私が派遣されるのは仕方のないことだ。
頼りになる斎藤さんを含め、子供がいる社員も多い。自由に動ける人間は限られてくる。
「あー……長くても三日くらいですよね。まあ、そのくらいなら大丈夫です」
「いやー、助かるよ。向こうには十三時に着けば修理に間に合うって言われてるんだけど、急いで帰って荷物をまとめる時間はありそうかい?」
スキンケア用品くらいならどこかで買えばいいけれど、最低でも着替えと化粧品は取りに行きたい。それなら自分の家に帰るより、葉山さんの家に寄ったほうが時間に余裕がありそうだ。
「まあ……ギリギリ大丈夫だと思います」
取り急ぎいくつかの業務を同僚に引き継ぎ、来たばかりのオフィスを出て葉山さんの家に向かう。
電車の中で、「少しだけ荷物の回収がしたいので今からお部屋に寄らせてください」と葉山さんにメッセージを送った。しばらく待つが返事はこない。
(そういえば今日、何かの取材があるって葉山さん言ってたっけ……?)
仕事のスケジュールを共有しているわけではないから、詳しいことは分からない。
しかし自分の荷物を取りに行くだけならば、返信がなくても特に問題はないだろう。
誰もいない葉山さんの家。二日分の服と下着、使っている化粧品類をポーチに入れ、大きめのトートバッグを肩にかける。
荷物の重さに眉を顰めながら家を出て、来たばかりの道をまた戻った。
(出来るだけ早く終わるように頑張ろう)
新幹線の中で渡された資料を読み、本来の自分の仕事も出来る限りで進めていく。
大阪に着いてからは迎えの車で現場に向かい、メンテナンスの担当者と一緒に作業にあたった。そこから休む間もなく他の営業所まで点検に行き、ビジネスホテルの前で解散したのは十九時を少し過ぎた頃だった。
解放された瞬間に、抑えていた疲労が一気に身体に回った気がする。
(本当は、もう少し早く終わる予定だったんだけどなぁ……)
一人になったところでスマートフォンを取り出し、深く溜息を吐いてからメッセージをしたためる。
――今ようやく仕事が終わったので、このあといつでも電話できます。
それだけを送ってから、葉山さんとのメッセージのやり取りを見返した。
一番最初に送られてきたメッセージは十四時頃。
「出ていくつもり?」という冷ややかなメッセージを、私は送られてきた一時間後に気付いた。
――違います。ごめんなさい。ただ急な出張になっただけです。三日ほどで帰れます。
慌ててそう返信したけれど、これだけでは完全に誤解が解けていないのだろう。
「分かった。仕事が終わったあとでいいから電話できる? 声聞かせて」と返信がきたのはその数分後のこと。そこから電話ができるようになるまで、数時間待たせていた状態だ。
葉山さんとのトーク履歴は、「まだ終わらないの?」という、一時間前に送られてきたメッセージが最後になっている。
もう電話ができると送ったけれど、おそらく今はディナーが始まったばかりで一番忙しい時間帯だ。
閉店後の遅い時間に通話することになっても私は構わないけれど、なんだかすれ違っているようでもどかしい。
(急に荷物を回収したいなんて言われたら、そりゃあ葉山さんも驚くよね)
急いでいたとはいえ、言葉足らずで誤解を招くメッセージを送ってしまったのは私だ。申し訳ないことをしたし、不安にさせたことを早く口頭で謝りたい。
――葉山さんから電話があったのは、そこからさらに三時間後。
お店の閉店時間すぐの、二十二時過ぎのことだった。
「あ、真衣――」
「準備する時間がなくて急いでいて、誤解させるようなメッセージ送っちゃって本当にごめんなさい!」
電話が繋がってまず一番に、今回の発端となった自分の行動を謝った。
必死な私の声に驚いたのか、電話越しで葉山さんが一瞬固まった気配を感じる。
「……あ。いや、僕もごめんね。直接話すまで安心できなくて、昨日からずっと……はは。余裕なくて恥ずかしいな」
聞き慣れた優しい声が届き、私もようやく安心した。今、どんな顔をして葉山さんが話しているのか、声を聞くだけでなんとなく分かる。
ちゃんと誤解が解けたことが分かって、ほっと息をついた。
「私のほうこそ、本当にごめんなさい。出張が終わったら、またすぐに葉山さんのお家に行ってもいいですか?」
「うん、待ってる。三日だっけ?」
「はい。予定通りに終わりそうなので、大きなトラブルがなければ明後日の夜に帰ります。それと……あの、電話で伝えることじゃないかもしれないんですけど、ちゃんと同棲できたらいいなって考えてて……。葉山さんが嫌じゃなかったら、帰ってからいろいろと相談してもいいですか……?」
「は……」
電話の向こう側で、また葉山さんが一瞬固まった気配を感じた。
数秒待ってから、ようやく返事が返ってくる。
「相談って、どういうことを?」
「えっと……結構荷物があるので置く場所とか、あと家賃の負担とかいろいろと……。あの、すぐに引っ越すのは難しいかもしれないんですけど……」
「ああ、うん。ゆっくり運んでくれていいし、ちゃんと場所は作るよ。家賃は別に受け取るつもりなかったけど、そのあたりはまた家で話したほうがいいかな」
「はい、お願いします」
「そっか、分かった。それじゃあ明後日、ゆっくり話す時間を作ろうか。引っ越してきてくれるなら、その前に真衣の家に挨拶にも行きたいし」
「え……挨拶って、私の親にですか?」
「同棲するなら当たり前だよ。今後のことを考えたら悪い印象を持って欲しくはないし、中途半端なことをするつもりはないから、ちゃんと話しておきたい」
葉山さんって本当に完璧主義なんだな。
そう思うのと同時に、それなら葉山さんのご両親にも挨拶に行かなくては……と考えて、少しだけ声が強張った。
「あの……それなら私も、葉山さんのご実家に行くべきですよね?」
「来てくれるのは嬉しいけど、真衣の家に行くほうが先だよ。僕の親には話しておくから、挨拶はもう少し落ち着いてからでも大丈夫」
落ち着くタイミングがいつなのかは分からないけれど、そのあたりのことも含めて次に会った時に話せばいい。
また家で話そうと約束をし、他愛もない会話をしてから電話を切った。
ちゃんと誤解が解けたことに安心して、ビジネスホテル特有の硬いベッドに倒れ込む。
「……同棲したいって話、今日してよかった」
それを伝えてから、葉山さんの声が嬉しそうだった。
受け入れてくれたことに安心できたし、私まで嬉しくなる。
会えるのは明後日の夜。その翌日はシャルメランジュの定休日だから、時間を気にせずゆっくりと過ごせるだろう。
「ふふっ。お土産、何にしようかなぁ」
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