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千手 二
しおりを挟むながい夏の夕暮れどきもようやく終わりかけ、辺りはうす暗くなっていました。そろそろ吊灯篭に火をともさねばならないかもしれません。
わたくしは背に一陣の冷たい風を感じて訊きかえしました。
「千手といったかしら? 意味がよくわからないのだけれど、生きている人はいてはいけないとは、どういうことなのかしら? それなら、山吹や尼君、ほかの女房の方々はどうなるの? なにより姫様はどうなるの?」
もしかして千手は新参者のわたくしをからかっているのかもしれません。わたくしは笑顔でおもしろがるように訊いてみました。
「姫様はべつ。姫様は、ここで生れたから、いてもいいお方なの。他の人たちは皆、こっちの人だからいいけれど、でも、おねえさんはちがうでしょう? むこうへ帰りたいのでしょう?」
千手の顔は真剣そのもので、わたくしをからかって遊んでいるようには見えませんが、どうも言っていることがよくわかりません。
美しい黒い勾玉のような千手の瞳を見ているうちに、もしかして千手は頭がすこし弱いのかと思うようになりました。
「千手! こんなところでなにをしているの」
用事を終えたらしい山吹が簀子にふたたび出てきて、千手を見とがめてひくい怒声を響かせるや、千手は毛をさかだてた野良猫のように身をすくめて山吹を睨みつけました。
つい先ほどまでの可憐な少女の面影が一瞬にして消え、わたくしはおどろいて目を見張りました。ちっ、とかるく舌打ちする音すら聞こえます。
「さっさと出てお行き! ここはおまえの来るところではないのよ!」
いつも気のいい山吹を見ているわたくしには、これも驚くようなきびしい態度でございます。
「まったく、油断も隙もない! 阿古屋、あんなのと口を聞いてはだめよ。見つかったら尼君やお年寄りの女房方にしかられるわよ」
「悪い娘ではないと思うけれど……わたくしを最初に助けてくれた子なのよ」
走りさっていった千手の背を目で追いかけながら、わたくしはとりなすように言いました。山吹の剣幕がすこし怖ろしくもありました。
「そんなことより、もう暗いから中へ入りなさい。ほら、こっちへ。……阿古屋、今夜は殿様がいらっしゃるのよ」
言われるがままに廂の内にはいると、山吹が声をひそめて囁きました。
「え? 殿様って、このお邸の殿様なの?」
「きまっているじゃないの。ああ、あなたはまだ知らなかったわよね」
山吹はつりあがっていた眉をさげ、いつものように優しく話してくれました。
「つい先ほど尼君とも話したのだけれど、あなたもここへ来て三ヶ月。もうそろそろ姫様のことについて話しておいた方がいいかと思うの」
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