阿古屋

平坂 静音

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千手 三

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 ひとつ息をつくと、山吹は瞳を思慮ぶかげにふせました。
「姫様はあるご事情があってこんな田舎に仮住まいしていらっしゃるけれど、都ではさるやんごとなきお方の血をひく、非常に高貴な家柄の姫君なのよ」
 わたくしは黙って聞いておりました。わたくしの方からよけいな詮索はいっさいしまいときめて。
「お父上さまはときの右大臣。お母上さまは、もうお亡くなりになられたけれども、先帝の皇女。降嫁なされて右大臣家へ入られ、姫様を生んですぐお亡くなりになられたのよ」
 どうりで女房たちの十六夜姫様への態度が仰々しいわけです。都で一、二という権力者と皇女の血をひかれる姫君だったのでございますから。
 同時に、そういうお血筋のお方が、なぜこのような田舎で隠れ住むようになさっていらっしゃるのか疑問がふかまります。
 本来ならば、都でたいせつにされて、ゆくゆくは後宮にはいって、帝か、つぎの東宮の女御となられるか、もしくは将来有望な殿方か血筋ただしい宮家のお方なりを婿としてとられるかして、いずれにせよ栄華と名誉につつまれていられるべきはずの方だというのに……。
 わたくしの疑問を読みとった山吹は言葉をかさねました。  
「どうしてそんな高貴な家柄の姫君が、こんな田舎に隠れるようにして住んでいるのかというと、これにはややこしい事情があってね。……姫様は、お生まれになったとき、悪霊に目をつけられて、命を狙われているのよ」
 川音がわたくしたちの背後で響きました。
「姫様がまだ赤ん坊のころ、ひどい夜泣きがなかなかおさまらなかったの。心配なされた殿様が薬師をよんだり、霊験あらたかだといわれる僧侶に経を読ませたりされて、いろいろ手を尽くしたのだけれど、どうしても姫様の夜泣きはおさまらず、姫様は寝つきが悪くなる一方で、このままでは身体が弱って死んでしまうのでは、と危ぶまれたとき、さる高名な陰陽師がたずねてきて、恐るべき悪霊が姫君の命をねらっている、と告げたそうよ」
「まぁ……恐ろしい」
 悪霊や物の怪という異世ことよからしのびよってくる異形の魔は、けっして迷信や世迷いごととして片付けられるものではございません。
 わたくしどもは、それらのおぞましい災いとともに、おなじこの時に生きているのでございますから。わたくしは首の後ろが肌寒くなるのを感じました。
「陰陽師の助言にしたがって、殿様は姫様をこの山のなかの邸に隠されたの。世間には、姫は赤ん坊のときに病で亡くなったというふうに伝えて。この事はここにいる者以外は世間の人は知らないわ。そしてもうすぐ姫様は十六におなりになるの」
 山吹は川面を舞う蛍の明かりに目をむけました。
「陰陽師が言うには、十六まで生きのびることができれば、もう悪霊は姫様に仇なすことはできないそうよ。もう一月足らずで姫様は十六におなりになるの」
 その十六の日を待ちのぞんで、右大臣様さは姫様に十六夜という名をおつけになられたのかもしれません。
「日がせまってくれば、それこそ悪霊はなんとしても姫様をつれていこうするのでは、と殿様……、右大臣様はご心配されて、都のお邸でも加持祈祷に念をいれられ、近在のお寺にも寄進をされて、姫様のご加護を神仏に必死に祈っていらっしゃるわ。あと一月まで目ははなせぬと、こちらへ来られて姫様のお側にいらっしゃるそうよ」
「親心とは、そういうものなのですね」
 右大臣様の子を思う優しい心に感動しつつも、わたくしは一抹の羨望を感じずにはいられませんでした。わたくしには親がいるかどうかもわらかないのですから。
「もう一月、あなたもいっしょになって姫様をお守りしてちょうだい」
「はい」
 やっと姫様のご身分や生い立ち、こんな鄙びた所に隠れている事情をうちあけてくれたことで、わたくしは自分が認められたように思え、胸が熱くなりました。なにがなんでも姫様をお守りせねば、という忠義にたかぶってさえきました。
 後になってよく考えてみれば陰陽師でも祈祷師でもないわたくしに、悪霊の手から姫様を守るなど無理な話なのに、そのときのわたくしは、我が身を犠牲にしてでも姫様をお守りするつもりでございました。

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