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海神異聞 二
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つい荒げてしまった自分の声に紫苑はおびえた。叔父は紫苑が夜の甲板を出歩くことを好まない。一族の長である兄からの預かり者である紫苑が、使用人と交わることにもあまりいい顔できないのだろう。
「海は好きさ。旅をするのも好きだ」
カイダスは鳶色の瞳で空を見上げた。
今夜の空はほとんど星の光に占められ、闇の方がひっそりと消えてしまったようだ。さらに月もまた無数の星々にすっかり玉座をうばわれてしまっている。紫苑が十三年間の人生で一度も見たこともないほどに、おそろしいほどに星のかがやく晩だった。
だが星に照らされたカイダスの横顔は、どこか寂しげで、それはちょうど紫苑が旅の終わりをはかなんで感じた一抹のさびしさと似ている。
「だが、どんなに好きでもつねに旅をしているのは……疲れてくるときもある。ときどき思うのだ」
カイダスの横顔はすねているようだ。
「他の船乗りたちのように、どこかの港に待っていてくれる家族がいればなぁ……と」
そこではじめて紫苑はカイダスが天涯孤独の身のうえだと言っていたのを思い出した。
(俺には異国人の血がまじっているのだ)
最初に会ったとき、そのことを告げられた。
港町では異国風の名もよく聞くので気にはしなかったが、言われてみれば、カイダスという名前も異国のひびきが強い。どういう字を書くのだと訊いたら、苦く笑われた。カイダスは龍蘭の名をもたない。
カイダスの肌は帝国の人々にくらべると色が濃く、顔立ちもどこかちがって見える。
また、だからこそ叔父は紫苑が船男たちのだれよりもカイダスになつくのを厭うのだろう。大陸の人間、とくに龍蘭帝国人の、異種の人間にたいする差別意識はふかい。
「俺のような人間は大陸では生きていけない。だから俺は船乗りの仕事をえらんだのだ。船の上はどこの国でもない、言ってみれば、神の世界にちかい場所だからな」
「そうなの……」
「船の上では仲間たちは俺を人並みにあつかってくれる。お偉い人はべつだが」
お偉い人とは船長や叔父のことであり、紫苑は言外に、おまえもそういった連中の同類だと皮肉られた気がして切なくなった。
さらに風が吹いて、カイダスの馬のたてがみのような黒髪をなぶり、紫苑の水色の衣の裾をみだしていく。
「これは、やはり出るかもしれんな」
「だ、だから出るって、なにが?」
気になったことを思いだして紫苑がさらにたずねた。
「海神だ」
「へ?」
「海神だよ。海の神。だが、あまりありがたくない」
「海は好きさ。旅をするのも好きだ」
カイダスは鳶色の瞳で空を見上げた。
今夜の空はほとんど星の光に占められ、闇の方がひっそりと消えてしまったようだ。さらに月もまた無数の星々にすっかり玉座をうばわれてしまっている。紫苑が十三年間の人生で一度も見たこともないほどに、おそろしいほどに星のかがやく晩だった。
だが星に照らされたカイダスの横顔は、どこか寂しげで、それはちょうど紫苑が旅の終わりをはかなんで感じた一抹のさびしさと似ている。
「だが、どんなに好きでもつねに旅をしているのは……疲れてくるときもある。ときどき思うのだ」
カイダスの横顔はすねているようだ。
「他の船乗りたちのように、どこかの港に待っていてくれる家族がいればなぁ……と」
そこではじめて紫苑はカイダスが天涯孤独の身のうえだと言っていたのを思い出した。
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