双珠楼秘話

平坂 静音

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夜香 一

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 その同じ夜、同じ敷地内で、女中たちの室とはまったく違う豪奢な寝室で、その日式を終えた新郎新婦は初夜を迎えようとしていた。
「少々お待ち下さい」
 という花嫁付きの老女の声にしたがい、新郎の英風は緊張しながら待っていた。一人寝台に腰かけ相手を待つ自分がひどく滑稽に思えてくるが、そういうものなのだろう。ただ待っていると、嗅ぎ慣れない香が鼻をつく。
(なんだか、疲れてきたな)
 もうこのまま眠ってしまいたくなる。両手を頭の上で組んで、身体を伸ばしてみた。
(噂どおりの美人、いや、美少女だったな)
 今日会ったばかりの花嫁の麗姿が頭によぎる。
 今時珍しいぐらい慎ましやかで、式の間中も一言も口を聞かなかったが、時折英風を見上げる黒い瞳は濡れたようで蠱惑こわく的だった。
(悪くないな。いや、私にはもったいないぐらいだ。いいのだろうか、私と結婚してしまって)
 今更そんなことを考えても仕方ないが、英風はつい余計な心配をしてしまう。
 それぐらい、あれほどの美少女とこれから夜を迎えるというのが信じられない。
 昔話に聞く天女と情を通じたという猟師の気分だ。
「英風様……旦那様」
 帳が揺らいで、奥から月光杯げっこうはいのなかで瑠璃の玉を転がしたような声が聞こえてきた。
「あ、ああ」
 英風は緊張しつつ立ち上がった。
 薄紅うすべにの夜着に身をつつんだ花嫁が、彼の新妻が、おずおずと進み出てきた。側にはもう誰もいない。
 近づいてくると、蝋燭のほのかな光のもと、身体の線が見えてしまいそうな薄い衣、蝉翼紗せんよくしゃをまとっていることがわかる。
 白霞しろがすみにほんの少し桜色を足したようなその衣の袖と裾にほどこされた銀糸ぎんしの蝶の刺繍が、英風の目を刺激した。
 龍蘭では花嫁が初夜の晩にまとうことになっている蝉翼紗だが、大変高価なものなので、庶民には手が出ない。この薄桃色の霧霞きりかすみに包まれて初夜の夢を見ることができるのは、帝国でも特権階級の娘と決まっている。
 蝶にかこまれた一輪の、けれど大輪の薄桃の花がそこで彼を待っているのだ。
(夢を見ているのではないだろうか)
 式の間、時々うっとりと彼を見つめた夢見るような黒瑠璃くろるりの瞳は、今はさすがに恥ずかしいのだろう、つつましやかに伏せられ、決して彼には向けられないが、だが、消え入りそうな様子で彼女は囁いた。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「え? あっ、いや、こちらこそ、その、よろしく頼む」
 慌ててしまって声がつっかえる。
 英風は後悔した。
 こんなときどうすればいいのか、考えてみれば全く予習していなかった。
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