39 / 140
夜香 一
しおりを挟むその同じ夜、同じ敷地内で、女中たちの室とはまったく違う豪奢な寝室で、その日式を終えた新郎新婦は初夜を迎えようとしていた。
「少々お待ち下さい」
という花嫁付きの老女の声にしたがい、新郎の英風は緊張しながら待っていた。一人寝台に腰かけ相手を待つ自分がひどく滑稽に思えてくるが、そういうものなのだろう。ただ待っていると、嗅ぎ慣れない香が鼻をつく。
(なんだか、疲れてきたな)
もうこのまま眠ってしまいたくなる。両手を頭の上で組んで、身体を伸ばしてみた。
(噂どおりの美人、いや、美少女だったな)
今日会ったばかりの花嫁の麗姿が頭によぎる。
今時珍しいぐらい慎ましやかで、式の間中も一言も口を聞かなかったが、時折英風を見上げる黒い瞳は濡れたようで蠱惑的だった。
(悪くないな。いや、私にはもったいないぐらいだ。いいのだろうか、私と結婚してしまって)
今更そんなことを考えても仕方ないが、英風はつい余計な心配をしてしまう。
それぐらい、あれほどの美少女とこれから夜を迎えるというのが信じられない。
昔話に聞く天女と情を通じたという猟師の気分だ。
「英風様……旦那様」
帳が揺らいで、奥から月光杯のなかで瑠璃の玉を転がしたような声が聞こえてきた。
「あ、ああ」
英風は緊張しつつ立ち上がった。
薄紅の夜着に身をつつんだ花嫁が、彼の新妻が、おずおずと進み出てきた。側にはもう誰もいない。
近づいてくると、蝋燭のほのかな光のもと、身体の線が見えてしまいそうな薄い衣、蝉翼紗をまとっていることがわかる。
白霞にほんの少し桜色を足したようなその衣の袖と裾にほどこされた銀糸の蝶の刺繍が、英風の目を刺激した。
龍蘭では花嫁が初夜の晩にまとうことになっている蝉翼紗だが、大変高価なものなので、庶民には手が出ない。この薄桃色の霧霞に包まれて初夜の夢を見ることができるのは、帝国でも特権階級の娘と決まっている。
蝶にかこまれた一輪の、けれど大輪の薄桃の花がそこで彼を待っているのだ。
(夢を見ているのではないだろうか)
式の間、時々うっとりと彼を見つめた夢見るような黒瑠璃の瞳は、今はさすがに恥ずかしいのだろう、つつましやかに伏せられ、決して彼には向けられないが、だが、消え入りそうな様子で彼女は囁いた。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「え? あっ、いや、こちらこそ、その、よろしく頼む」
慌ててしまって声がつっかえる。
英風は後悔した。
こんなときどうすればいいのか、考えてみれば全く予習していなかった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
君の左目
便葉
ライト文芸
それは、きっと、運命の歯車が狂っただけ。
純粋な子供の頃から惹かれ合っていた二人は、残酷な運命の波にのまれて、離れ離れになってしまう。
それもまた運命の悪戯…
二十五歳の春、 平凡な日々を一生懸命過ごしている私の目の前に、彼は現れた。
私の勤める区役所の大きな古時計の前で、彼は私を見つけた…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる