双珠楼秘話

平坂 静音

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因習 三

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「そんなことが出来るのか? いくらなんでも一緒に暮らしていれば、気づかれるだろう?」
 西破の疑問はさらに陳円を笑わせた。
 陳円が言うには、呂家には古い屋敷の常として隠し部屋というのが存在するらしく、室の壁には遠目ではわからないほど巧みに作られた扉があるという。そこで二人は入れ替わったり、隠れたりして外部の人間の目をごまかすことができるのだと。
 もともと名家の令嬢というのは人前に出るときはたいてい団扇や被衣かつぎで顔や姿を隠しているものだし、口数少ないのが美点とされている。誰も疑うことはなく、使用人たちも、呂家の娘は金媛一人で、彼女は健常で美しく聡明と信じて疑わなかった。
「だ、だが閨をともにすれば、いくらなんでも変に思うだろう……」
 訊きづらいことをあえて西破は訊いた。
「だから、そういうときは魔香の出番よ。おまえ、あの屋敷であの女どもといて、妙な匂いを感じたことはないか?」
 英風は自分でも自分の顔色が変わったことを自覚した。
(そうだ。閨では、いつも感じていた。甘い香で、嗅げばうっとりする心地にさせられた)
「お、おそらく、香のせいで五官が鈍ったあんたは判断出来なかったんだろう。多分、無言のときは金媛で、しゃべっていたときは銀媛だったんだろうよ。ひひひひ」
 英風は自分の身体から血が引いていく気がした。そして次の瞬間には無性に腹が立って、陳円に掴みかかりそうになってしまった。
 あのとき、扉が開かれて茶の盆を持った人間が入って来なかったら、掴みかかっていたろう。
(それでは……それでは、私が愛したのは、愛しいと思ったのは……いったいどちらだったんだ?)
 無言で熱っぽい目を向けてきた〝金媛〟。
 たどたどしくも心情を訴えてきた〝金媛〟。
 どちらが彼の愛した〝妻〟だったのだろう。
「英風……」
 名を呼ばれた瞬間、頬に熱いものがこぼれていたことに気づいたが、英風は気恥ずかしいと感じる余裕もなかった。
(どちらでもない。どちらも愛してなかったのだ……。いや、私は幻の〝金媛〟を愛していたのだ。私が愛したのはあの忌まわしい家が作り出した幻だったのだ) 
 英風は自分の初恋が終わった、いや、壊れたことを自覚した。
「急ごう、西破。なにやら悪い予感がする。すぐに呂家に行ってみよう」
「呂家に戻る気か?」
 月光が、西破の訝しげな表情を照らす。
「ああ。いや、もうあの家に未練はない。だが、きっぱりと別れる前に確かめておきたいことがあるのだ」

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