龍蘭帝国奇談夜話 影絵遊び

平坂 静音

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歌売り

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 この先のゆるやかな坂道をもう少し歩けば、遅咲きの桜の名所に出られるはずだ。花鈴は足を速めた。増えた人出を目当てに、焼いた肉饅頭を売る屋台がならび、軽業かるわざや踊りを披露する芸人など魚竜爵馬ぎょりゅうしゃくばが技をきそいあっている。、そういう風景を見ているだけでなんとなく心がはずむ。花売りの娘たちが花鈴にまとわりついてくるのを、やんわりいなし歩を進めていくと、角のあたりで黒布をまとった女が座りこんで竪琴を弾いているのが見えた。
(あら、歌売りおんなだわ……)
 歌売りとは、このころ龍蘭で流行っていた竪琴や琵琶の調べにあわせて物語を語る芸人のことをいい、異国では吟遊詩人ともいい男が勤めることがおおいいようだが、龍蘭では圧倒的に女、それも老いた女がおおい。
 花鈴がその歌売り女に心をひかれたのは、街角で芸を売る彼女らのおおくは、前身が妓女であったと聞いたからだ。かつては華やかだった妓女が、歳をとって行く当てもなく、生きるために下町で、若かりし頃は貴族や御大尽らをうならせた声技こえわざを売って、その日のかてを得ているのだ。
 花鈴は帯のなかにしのばせてきた銅貨を、そっと老女の前にある碗のなかに入れた。そして、そのまま彼女の前を通りすぎようとすると、意外にも力強い声に追いかけられた。
「あれ、お嬢さん、見当ちがいですよ」
 びっくりして相手を凝視してみると、深くかぶった黒布の下にかすかに見える顎は、西の砂漠の砂のように乾いた土気つちけ色だ。声だけは往年の歌姫の名残をとどめているのだろう。
「あたしゃ、物乞いじゃございませんよ。お銭をくださるのなら、一曲聞いていっていただかないと」
「いいのよ、お婆さん、あげるわ」
 花鈴は、骸骨のように骨ばった、やはり土気色のふりあげられた老女の手を、どこか悲しい想いで眺めながら笑ってみせた。なまじ相手の老いてなお魅力的だと思わせる声に、晩春の泥道に溶けきれないでいる残雪を見たような哀愁を感じさせられたのだ。
「それは、いけません」
 黒布でおおわれた小さな頭が、ゆっくりと左右にゆれる。
「お嬢さん、そういうわけにはいきやしませんよ。お代をいただいたからには、曲を聞いていってもらわないと」
 老女の張りのある声の底に、妙な固さがあることを花鈴は直感した。もしかしたら、安易に金を与えたことで、自分は人の情けにすがって生きる物乞いではなく、音曲と話芸を商う、れっきとした芸人であるという彼女の矜持を傷つけたのかもしれない。
 花鈴は迷った。聞いてもいいかもしれないが、今はほかに目当てがある。
「ごめんなさい。今日は急ぐの。また、今度会ったときに聞かせてちょうだい。それまで、そのお金をあずかっておいて」
 今度がいつになるかわからないが、とりあえず、そうでも言わないと済まないだろう。
「……わかりました、お嬢さん。それなら、今度お会いしたとき、必ずあたしの歌を聞いてくださいましよ」
「ええ。きっと聞かせてもらうわ」
 花鈴はうなずいて老女に背をむけた。

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