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冥界より
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(いや! いやー、いや!)
花鈴は狂ったように叫びながら、それでも本能で死にもの狂いで《遊月楼》にむかって走っていた。妓女は走ってはいけないと躾けられているが、そんなことを気にしている余裕などない。夢中で、ひたすら《遊月楼》を目指して闇のなかを駆けた。やはり花鈴にとっては帰るところはあそこしかないのだ。
(ああ! どうしょう……、どうしょう。桜玉様が、桜玉様が……)
桜玉は自殺したのだ。あれが桜玉のいう決意だったのだ。命懸けで自分は秋封を愛しているのだと知らせるために。
遊里では辛い恋のために命を捨てる男女の物語は古今いくらでもあるが、それはどこか遠い夢物語のように花鈴には感じられていた。それがまさか、目のまえで本当に恋の証しに命を捨てることが起こるとは……。それも、遊女ではなく堅気の、良家の娘が。どうすればいいのか、皆目見当もつかない。
(わたしのせい? わたしと秋封のことで怒って、そのために、桜玉様はあんなことを)
この事が世間に知れわたったら、ますます秋封は肩身のせまい想いをすることになるかもしれない。花鈴は泣きながら走った。
やっぱり自分は遊里で噂されたように妖婦、悪女なのかもしれない。自分自身ではそんな意図はまったく無いとはいえ、周囲の人間を不幸にしていくのだから。
走って、走って、ようやく朝靄のなか、伝説の海底にたたずむ竜宮のように見える《遊月楼》にたどりついた花鈴は、出たときとおなじく裏木戸のある塀にまわった。
「花鈴、どこへ行ったのかと心配していましたよ」
そこには、黒いしなやかな影が立っていた。
今も黒い面紗で素顔をおおった楼主である。
黒い袍衣に身をつつんで霞のなかに立つ楼主は、まるで桜玉の命を受け、冥界から自分をむかえに来た死神のようで、いっそ懐かしく、慕わしげにすら今の花鈴には思えた。自分も悩み苦しみのない世界に連れていってもらいたい。
「ろ、楼主様、どうしよう? お、桜玉様が……あ、あの桜玉様という方が死んでしまって」
「落ち着きなさい。いったい、どうしたというのですか? ちゃんと説明なさい」
「あの、あの、わたし、秋封という人と知りあって、それで、好きになってしまったんです。その人は先の都督のご子息で、それで、……その人には許婚がいて」
花鈴は自分の口下手を呪いながらも、とにかくいきさつを説明した。
花鈴は狂ったように叫びながら、それでも本能で死にもの狂いで《遊月楼》にむかって走っていた。妓女は走ってはいけないと躾けられているが、そんなことを気にしている余裕などない。夢中で、ひたすら《遊月楼》を目指して闇のなかを駆けた。やはり花鈴にとっては帰るところはあそこしかないのだ。
(ああ! どうしょう……、どうしょう。桜玉様が、桜玉様が……)
桜玉は自殺したのだ。あれが桜玉のいう決意だったのだ。命懸けで自分は秋封を愛しているのだと知らせるために。
遊里では辛い恋のために命を捨てる男女の物語は古今いくらでもあるが、それはどこか遠い夢物語のように花鈴には感じられていた。それがまさか、目のまえで本当に恋の証しに命を捨てることが起こるとは……。それも、遊女ではなく堅気の、良家の娘が。どうすればいいのか、皆目見当もつかない。
(わたしのせい? わたしと秋封のことで怒って、そのために、桜玉様はあんなことを)
この事が世間に知れわたったら、ますます秋封は肩身のせまい想いをすることになるかもしれない。花鈴は泣きながら走った。
やっぱり自分は遊里で噂されたように妖婦、悪女なのかもしれない。自分自身ではそんな意図はまったく無いとはいえ、周囲の人間を不幸にしていくのだから。
走って、走って、ようやく朝靄のなか、伝説の海底にたたずむ竜宮のように見える《遊月楼》にたどりついた花鈴は、出たときとおなじく裏木戸のある塀にまわった。
「花鈴、どこへ行ったのかと心配していましたよ」
そこには、黒いしなやかな影が立っていた。
今も黒い面紗で素顔をおおった楼主である。
黒い袍衣に身をつつんで霞のなかに立つ楼主は、まるで桜玉の命を受け、冥界から自分をむかえに来た死神のようで、いっそ懐かしく、慕わしげにすら今の花鈴には思えた。自分も悩み苦しみのない世界に連れていってもらいたい。
「ろ、楼主様、どうしよう? お、桜玉様が……あ、あの桜玉様という方が死んでしまって」
「落ち着きなさい。いったい、どうしたというのですか? ちゃんと説明なさい」
「あの、あの、わたし、秋封という人と知りあって、それで、好きになってしまったんです。その人は先の都督のご子息で、それで、……その人には許婚がいて」
花鈴は自分の口下手を呪いながらも、とにかくいきさつを説明した。
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