闇より来たりし者

平坂 静音

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遺産 六

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「英詩の訳をするの。それと感想をつけて」
「簡単じゃん」
 美菜が健康そうに飴色あめいろに焼けた頬をふくらませて、うそぶくように言う。今年の夏季休暇に、東南アジアへ旅行してきたという。美菜は高校生のころから、ほとんど一年に二回は海外旅行へ行っているそうだ。アジアが好きで、香港、台湾、上海、インドネシア、バリと。
 ちなみに私は海外旅行というと、高校三年の終わりごろ、この大学の推薦入試が合格となって、そのお祝いに生まれて初めてオーストラリアへ両親と一回行ったきりだ。それを言うと美菜にも麻衣にも変な顔をされたけれど、おふたりさん、世間一般では、高校生で海外旅行へまだ一度も行ってない子の方がおおいと思いますよ。
 実際、私は、父方のいとこたちからは「美菜ちゃん家ちはお金持ちだ、贅沢だ」とけっこう妬まれたり羨ましがられているのだ。
 父の弟は、都内の下町でひっそりと焼き鳥屋を営んでおり、今の不況のせいか経営状態は思わしくないのだそうだ。叔父には私とおない歳の息子と二つ下の娘がおり、そのいとこたちは二人とも大学進学をあきらめ、兄の方は家業を手伝い、妹の方も卒業後は就職する予定だ。ふたりとも決して頭は悪くないから、経済的事情がゆるせば充分四大に進学できる実力はあるのだけれど。
(いいなぁ、恵理ちゃん、聖アグネスっていえば、有名なお金持ちのミッションスクールでしょう? 雑誌にも載っていたのを見たけれど、なんだか学校も寮も外国のお城みたいじゃない? そんなところで四年も寮生活できるなんて、素敵。いいなぁ)
 ちょうど入寮前の晩春のころ家族で会ったとき、いとこの咲子ちゃんは、そんなことを、心底羨ましげに言っていた。
 何も大学に行ったからどうなるというわけでもないし、大学だけで人生が決まるとは思わないけれど、私とおない歳のいとこの友哉ともや君が、ちいさな焼き鳥屋の厨房に立って、油にまみれて焼き鳥を焼く人生を送るのかと思うと、ちょっとやるせない。
 それを言うと美菜は鋭そうな目を、さらに鋭くとがらせる。
「なんで? 働くのってべつに悪いことじゃないじゃない? こんなこと私が言うのも変だけれど、ここで意味も解らないくせにコールリッジやキーツの詩棒読みしてる連中にくらべたら、焼き鳥屋で焼き鳥焼いてる方が、よっぽど建設的で、勉強になるかもよ」
 それはそうかもしれないけれど……。
「それで、友哉君て、いい男?」
 その後、そんなことを訊く美菜に、私はやれやれと思いながらもスマホを取り出し、叔父の家族全員を撮った写真を見せた。
「これ。こっちが小倉友哉おぐらともや君。で、こっちは妹の咲子さきこちゃん」
「へー、けっこういい男じゃん」
 鼠を見つけたときの雌猫のように、美菜は目を光らせた。
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