闇より来たりし者

平坂 静音

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戦い 三

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「今ではその存在は忘れられ、もはやみずからトヨールを作ろうなどという呪術師もいないでしょう。せいぜい、貴重品が紛失したときに、あれはトヨールが盗っていったのだと冗談半分に人々がささやくぐらいです。ですが、このトヨールが特殊なのは、土や風など自然界のものや、獣が異形に変化した民間伝承の妖怪やお化けとちがって、もとはまぎれもなく人間の身体から作られたという点です。そしてそこに人間たちの意図や意思がからんでいることです。その点がトヨールという妖怪というのか、小鬼を厄介な存在にしているのです」
 アレックスのやや低い声は、耳に心地良くすべりこんでくる。私は彼の言わんとするところをつかもうと、必死に耳をかたむけた。
「自然界から生じた妖怪が時の流れとともに消えていく、もしくは消えつつあるのにくらべ、または幽霊などの存在が、死者の霊魂が目に見えたものとして、まぁ、それなりに世間に信じられつつも聞きながされていくのに対し、トヨールという存在は、人間が、人間の身体の一部を使って作りだし、その後も血を与えて生命を永らえさせたせいか、なかなか消えてくれない厄介な存在になってしまった。……そして、今や自分たち自身の意思というものを持ってしまい、因縁のある人間にまとわりつくような危険なものになってしまった」
 大学で講師や教授の説明を聞いているみたいな気分。実際、近くの席の人が聞いたら、民俗かなんかの研究でもしているのしら? と思うかも。
「しかし、何故そこまでトヨールが進化し変化したのか? 理恵さん、これは私の推測に過ぎないのですが、もしかしたら、あなたの曽祖母の、その美代さんという女性は、長崎で被爆されませんでしたか?」

 一瞬、私の目は点になっていたろうと思う。
 それぐらい言われたことが突拍子もなく、思いもよらない事だったのだ。
「え? あのぉ……」
 いったい、いきなり何を訊いてくるのだ、この人は? と思ったけれど……、でも……私は頭のなかで記憶の網をたぐってみた。  
 そういえば……小学生の頃、夏休みに家族で長崎の舟木の家にお墓参りをかねて遊びに行ったとき……。
 テレビを見ながら、皆でお寿司を食べていたときだろうか……。
 ちょうど長崎の原爆記念日の前か後ぐらいで、テレビではさかんにそれに関するニュースが流れていた。あのとき、たしか美代お祖母ちゃんが言っていなかっただろうか?
(本当に、あのときは大変だった。私は、もう少しの所で危なかったよ。ちょうど、その日は、どうしても出かけないといけない用事があって、電車に乗って出かけていてね……。まぁ、被害にこそ遭わなかったのが幸運だったけれど)
 幸いなことに同じ長崎県でも舟木の家がある辺りは被爆地から離れていたし、家族や親戚にも大きな被害はなかったという。勿論、恐ろしくて、大変だったことは大変だったろうけれど。
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