君の左目

便葉

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彼の横顔 …1

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そこは、少しだけ賑わって少しだけ殺風景で、昭和初期の建物をそのまま活用しているせいで何だかノスタルジックな不思議な空間。

私、渡辺寧々が働いている都内の中でも規模が小さな区役所は、そんな愛すべき場所だった。

私はその中で受付として働いている。
子供の頃に大けがをしたせいで、左目の視力がほとんどない。そのため、身体障害者枠でこの区役所に採用された。

左目の視力がほぼないと言っても、超強力なコンタクトレンズのおかげでぼんやりと色合いは認識できる。
見た目も普段の姿はほぼ普通の人と何も変わらないけれど、集中して物を見たり読んだりする時は、左目だけが左右に小刻みに揺れるらしい。

そのため、パソコンや書類をあまり見なくてもいい業務に配置された。
それは私にとってラッキーだったし、その区役所の方の配慮がとても有り難かった。

今月から新しい年度に入り、何かと区役所は区民の出入りが多い。
住民票の異動届や年金や保険関係の書き換えなどで訪れる新しい区民の人達の対応にてんてこ舞いだった。

「そこの綺麗な方のお姉ちゃん!」

私はよくそう呼ばれた。
二人体制の受付は正職員と非常勤職員とで組んでいて、私と組んでいる非常勤職員の方は年配の女性だった。

「寧々ちゃん、気にしなくていいから。
その現実はちゃんと受け止めてます」

非常勤職員の今泉さんは、ちょっぴり太目で気の優しいお母さんみたいな人だった。
実際、二十五歳の私の母とそんなに年齢は変わらない。
だから、私の事をとても可愛がってくれた。

私の目の事もちゃんと理解してくれていて、受付の座る位置も私を右側の方に座らせ、今泉さんが左側に座った。
そのおかげで、ぼんやりとしか映らない左目の景色は、何の障害になる事もなかった。

そんな慌ただしい一日が終わり、私は五時で帰る今泉さんを見送った後、受付に残り事務作業をしていた。

「寧々ちゃん、お疲れ」

そう声をかけてきたのは、総務課の麻生さんだった。

「お疲れ様です。総務課は課長が変わって、すごく忙しいみたいですね」

私のいる受付は総務課の管轄になっている。
だから、必然と総務課の人達とは仲が良かった。
そして、麻生さんとは特に気が合って、仕事帰りに食事に連れて行ってもらったり、週末にたまに映画を観に行ったり、友達以上のつき合いをしている。

でも、つき合っているわけじゃない。
告白をされた事もないし、そういう雰囲気になった事もない。
そんなつき合いが私にとっては心地よかった。
麻生さんはどうかは知らないけれど…

「寧々ちゃん、明後日の土曜日、寧々ちゃんの観たがってたあのホラー映画、観に行こうか?
この間、その映画のあらすじを読んで、観たいと思ったからさ」

麻生さんはいわゆる完璧な公務員だ。
真面目で冒険を好まない、ゆったりと時間を過ごしたいと思う優しい人。
必要以上の幸せは望まない、そんな話を聞いた事がある。

「いいですよ。でも、麻生さんにはグロイかもしれない。
途中で出て行くのはなしですからね」

麻生さんは大丈夫と親指を立てて、笑顔で総務課の方へ歩いて行った。
私達の関係は一体どう進んでいくのか全く予想がつかないけれど、でも、必要以上の幸せは望まない、そういう麻生さんのスタンスは好きだった。


***   ***   ***


金曜日の朝、この日は比較的暇だった。
昨日の混雑が嘘のように、穏やかに時間が過ぎて行く。

この区役所のメインホールに大きな背の高い古い時計がある。
いつの時代の物かはあまり知らないけれど、かなり古い物だと話には聞いていた。
その時計が今日久しぶりにメンテナンスから戻って来た。

中央の壁に取り付けられたその時計は、十一時を境にゆっくりと時を刻み出す。
受付のカウンターはその古時計の隣にある。
久しぶりに聞く時計の針の刻む音に、何だか何とも言えない不思議な気分になった。

何て言うんだろう… 
懐かしいというよりやっと会えたみたいな…
たかが時計のご帰館に、何をセンチメンタルになってるんだろう。

私はしばらく時計を眺めていたけれど、すぐに業務に戻った。
区役所に訪れる人の動きを確認しながら、私はちょっとだけ玄関から目を離した。
下に置いているファイルを元の場所へ戻すため。

「すみません、戸籍住民課ってどこにありますか?」

右側の方から声が聞こえたため、私は慌てて立ち上がった。

「はい、戸籍住民課ですね」

あれ? 何となく見覚えがあるのは気のせい…?
私は右の目で真っ直ぐにその人を見た。
でも、あまりじろじろ見るわけにもいかず、私は区役所の見取り図が載ったパンフレットで説明を始める。

「寧々…? 寧々だよね?」

私は驚いて顔を上げ、もう一度その人の顔を見た。
受付にはその人しかいないけれど、私は今泉さんの顔を見た。
勤務中の私語は禁じられているから。
でも、今泉さんは笑顔でウィンクをしてくれた。
私は安心してもう一度その人の顔を見る。

「すみません、どちら様でしょうか?
何となく見覚えはあるんですけど、思い出せなくて…」

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