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彼の横顔 …2
しおりを挟むその人は目を細め私の顔をジッと見ている。
色黒で短めの髪、大きくちょっと釣り上がった瞳は、確実に私の脳裏に焼き付いていた。
でも、濃紺のスーツに身を包んだ背の高いいわゆるイケメンの部類に入るこの人は、やっぱり私の知り合いにはいない。
私が困った顔で首を傾げると、その人はプッと笑った。
「寧々、覚えてない? 俺だよ、幹太」
幹太…?
「…幹太? 憶えてるよ。
風尾小学校の時、一緒だった…」
でも、私はそこで口を閉じてしまった。
風尾小学校… 私が小学校五年の時まで通っていた学校…
その時に遭った事故で、私の左目は見えなくなった。
でも、私は、そんな暗い過去をとりあえず胸の奥に封印した。だって、せっかくその頃の友達に会えたのに、気まずい雰囲気でこの再会の場を壊したくない。
「鈴木幹太君、小学校以来だから、全然分からなかった。
でも、そう言われれば、いっぱい面影が残ってるね」
そう言いながらも、私はまともに幹太の顔が見れなかった。
さっきまで笑っていた幹太の顔は、眉間に皺をよせ何だか泣くのを堪えているように見えるから。きっと、私の事を憐れんでいる。そんな風に考える自体、私がひねくれているのだけど…
「寧々、俺、この近くに越して来たんだ。
東京の方に転勤になって、たまたまこの近くのマンションを紹介してもらって。
今日、色々な手続きをしにここに来たら、寧々がいてビックリしたよ」
さっき、つかの間に見せた悲しそうな顔の幹太はもういない。
子供の時のように自信に満ちたやんちゃな幹太に戻っている。
私は笑顔で頷き、でも、そんなに長く話せないのとジェスチャーで幹太にそう伝える。
「寧々、仕事の後に会える?
俺、今日は何もする事がなくて、寧々の仕事が終わる頃に、外の噴水の前で待ってるから。じゃあ、後で」
幹太は早口でそう言うと、戸籍住民課の方へ歩いて行く。
まるで何もなかったみたいに堂々と。
私はあっけにとられていた。幹太っていつもそう。何でも自分で決めて、でも私のしたいようにさせてくれる。
今だって、幹太ともっと話したいって思ってた。
そしたら、ほら…
やっぱり、幹太は分かってくれた。
*** *** ***
「寧々ちゃん?」
私がぼんやりしていると、今泉さんが私の肩を優しく突いた。
「あ、ごめんなさい」
もう正午になろうとしているのに、相変わらず区役所を訪れる人の数は少ない。
私が姿勢を正して座り直すと、隣で今泉さんが笑った。
「さっきの人、素敵な人だったね」
私が今泉さんの方を見ると、今泉さんは興味津々な顔をしている。
「小学校の時の同級生なんです。でも、私が五年生の時に転校しちゃったから、それ以来で…
本当にビックリ、こんな所で会うなんて」
今泉さんはまだ笑っている。
「彼は、寧々ちゃんの事好きだったんじゃない?
寧々ちゃんを見る目が、愛おしそうな切ないようなそんな優しい目をしてたから」
私は首を傾げて笑うしかなかった。
確かに、あの頃は、幹太のストレートな気持ちに子供の私でも気付いていた。
幹太は寧々が好き…
幹太にはっきり言われたわけじゃないけれど、優樹菜や周りの友達がそう言っていたから。
でも、あの頃の私は健常者だった。片目しか見えない今の私の事を知ったら、幹太は嫌いになるかもしれない。
「でも、寧々ちゃんは麻生さんとつき合うかもしれないんでしょ?
あ~、でも彼の眼差しに、麻生さん負けちゃうかもしれない」
私は今泉さんに見えるように、わざとらしくため息をついた。
「まだ、誰ともつき合ってません。
それに、さっきの彼だって、彼女がいるかもしれないし、それより結婚してるかもしれないし。
っていうか、話が飛躍し過ぎですよ~」
私達が目を見合わせて笑っていると、久しぶりに古時計の鐘の音が鳴り響く。
正午と夕方の五時にセットされているこの古時計の鐘の音は、古いレンガ造りの建物に本当によく合っていた。
この鐘の音を聞く度、時間の流れを痛感する。人とはちょっと違う人生を歩んできている私は、過去というものに深い思い入れがあった。
もし、過去に戻れるのなら、私は間違いなくあの事故があった日に戻りたい。事故の詳細は全く覚えていないけれど、でも、その日はどこにも出かけずに家に居なさいと、少女の私に伝えたい。
久しぶりにこの鐘の音を聞いたせいか、また後ろ向きな事を考えてしまう私がいた。
すると、時計の右側から幹太が歩いて来るのが見えた。
「寧々、後でな」
仕事中の私に気を遣った子供の頃と何も変わらない幹太の笑顔に、私は、瞬きも呼吸も忘れてしまいそう。
さりげなく手を振る幹太に、私は小さく頷いた。
幹太の思いがけない心遣いが私の胸をざわつかせる。恋愛に消極的で、前のめりになれない引っ込み思案の私の心が、驚いたようにときめき出す。
そんな事分かりきっている…
幹太を好きだった少女の私が、今の鈍感な私にそう教えてくれる。
当たり前じゃない…
だって、素直な頃の寧々は、幹太の事が大好きだったんだから。
半年ぶりに古時計の鐘の音を聞いた今日、私の目の前に初恋の人が現れた。
そして、初恋の人の出現で、私の隠れた過去が外に出たがっている。
「ねえ、ママ、寧々のぽっかり抜けちゃった思い出は、いつかは戻ってくるのかな」
中学生になったばかりの私は、母にそう聞いた事がある。
そんな時の母の顔には決まって涙が浮かんでいる。すぐに私を抱きしめて、大した記憶じゃないから戻らないのよって、背中をさすりながら小さな声でそう励ましてくれた。
それ以降、私はその話をするのを止めた。あの大きな事故はそれだけ私達家族を苦しめ、そしてその影は今でも私達家族の心に住みついていたから。
幹太と親しくなっていいのだろうかという不安な思いと、幹太が私の救世主になってくれるかもしれないという期待感が、私の頭の中をいっぱいにした。
そんな私は、正面に見える大きな古時計に目を向ける。
途方に暮れるほどの時間を刻んできた古時計に、今の私はどう見えているのだろう。
私は大きく深呼吸をした。
時間はどうあがいたって戻らないもの。
だったら、今も刻々と刻まれる時間を大切にしよう。
幹太との再会を素直に受け入れて、不安も期待もとりあえずは胸の奥底にしまい、純粋な子供の頃の自分に戻りたい。
途中で途切れてしまった楽しい思い出を、幹太とまた始めてみてもいいよね…?
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