君の左目

便葉

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彼の横顔 …7

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「幹太、ありがとう…」

その一言を言うのがやっとだった。
でも、幹太はすぐに悪戯っ子のような笑みを浮かべて、玄関の方へ目を向ける。

「寧々、コーヒーか、お茶か、飲みたいな~」

私は涙を拭いて、肩をすくめて笑った。

「いいよ。じゃ、美味しいコーヒーを淹れてあげる」

私はそう言って門扉を開けようとした途端、思っていた以上の暗闇に段差を踏み外してしまった。前のめりに転びそうになった時、幹太の手が私の体を支える。

「寧々、気を付けて」

私はまた違った意味で泣きそうになった。
幹太が私に愛の告白をしてくれたのなら、私だって幹太に何もかも隠さずに本当の事を話さなければいけない。
こういう風に生活に支障をきたす事を、そして、夜の闇が怖い理由を。

門扉を開けると、すぐに自動センサーで照明がつくようになっている。それもかなり強めの明るさで。私はバッグから鍵を取り出しスムーズに玄関のドアを開けると、また自動センサーで玄関と玄関から伸びる廊下の明かりがついた。
それは、私の事を心配した両親が少しだけこの家をリフォームしたせいだ。廊下や階段には、左側の壁に手すりが付いている。


「幹太、どうぞ」

私は幹太にそう言うと、無意識に手すりを握っていた。夜が怖いんだからしょうがないと思いつつ、今夜、幹太にちゃんと告白する事を心に誓った。

「お邪魔します」

幹太は家に入ると、すぐに私の後ろを付いてきた。きっと、一人暮らしも心配なのだろう。幹太は私に関しては異常なほどの過保護だから。

幹太をソファに座らせると、私はスマホから音楽を選び、それをオーディオにセットした。家ではあまりテレビを観ない私は、つい習慣で音楽をかけたけれど、幹太はテレビが見たいのかもしれない。

「幹太、好きにしていいからね。テレビつけてもいいし…」

幹太は親指を立て了解と言った。
私はお気に入りのコーヒーを淹れて、幹太の待つテーブルにそれを運ぶ。L字になったソファセットは二人には広すぎて、幹太はコーヒーを持って小さな丸テーブルに座った。私もそのテーブルに移動する。
幹太はコーヒーを一口飲み、大きく息を吐いた。

「なんか胸一杯で、話したい事も山ほどあるんだけど、そんなのどうでもよくなってきた。
寧々がこうやって俺の近くにいてくれる奇跡に、神様に何度お礼を言っても足りないぐらいだよ」

幹太の言葉の一つ一つが私の胸をときめかす。
でも、私の頭の中では、幹太に何をどう話すべきかそればかりがひしめき合っていた。

「幹太…
私も話したい事が山ほどあって…
私は聞いてもらいたい。聞いてもらうっていうより、私の今を分かってもらいたい」

私の心臓は緊張で暴れ始める。
本当の事を言って、幹太の態度が変わってしまったら?

今までだってこんなシチュエーションは何度かあった。大抵の人は驚き一瞬ひるむ。離れていった人だって、今まで何人もいた。
私は作り笑顔を見せて、小さく深呼吸をする。
幹太にちゃんと愛されたいなら、真実は伝えなきゃダメ…
幹太は優しく私を見つめている。その優しさにまた涙が出てきそう。

「私、実はね…
あの事故の事を何も覚えてなくて…

風尾小学校の五年生に上がったばかりの時の出来事。
私が大けがをしたあの日の事…」

幹太の目が泳ぎ出した。そうだよね、幹太は全部を知っている。私がどうやって事故にあったなんて、風の噂で子供の幹太の耳にも入っているはずだから。

「記憶がポンと抜けてるっていうか、事故にあった前後を覚えてなくて…
思い出さない私に気を遣って、この歳になるまで誰も私に何があったかを教えてくれてないんだ。
だから、何も知らないの…
お母さんは、自分の中で記憶が動き出すまでは待ちなさいって。
思い出せる時がきた時には、ちゃんと記憶は戻ってくるって」

私は何だか怖くてずっと下を向いていた。私の消えてしまった記憶は、一体いつ顔を出すのか全く分からない。
幹太というあの頃の友達とこんな話をしている私に、そのエックスデーは今訪れてもおかしくなかった。

「何も覚えてないの…?」

多分、きっと、幹太は私をずっと見つめている。
幹太がどんな顔をしているのか、私にとってはそれを知るのも怖かった。

「うん、覚えてない…
あの日、何をしていたのかも、誰と遊んでいたのかも、それか一人でどこかで転んだのかも、何も覚えてない。
私の記憶は東京の病院に入院してるあたりから始まるの。
それもぼんやりと…

多分、私は大けがをして、そのまま東京の病院に転院して、そのまま転校という形でここに越して来た。

多分…
あの頃の友達にさようならも何も言ってない」

私は勇気を振り絞って上目遣いで幹太を見た。
幹太は歯を食いしばって、テーブルの何か一点を睨んでいる。

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