君の左目

便葉

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彼の時間 …3

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「マジで何もないんだ。寧々が居心地がいいようにしたいから、クッションとかあった方がいいのかな? なんて思って」

私は嬉しくて幹太の腕に抱きついた。

「うん、クッションあった方いいな。
大きめでフカフカのやつ」

幹太は、私が甘えてきた事をすごく喜んで、顔をクシャクシャにして笑った。
私達は、川の水が滝つぼへ落ちるように急激に恋に落ちた。いや、もう、とっくの昔に恋には落ちていて、更に更に、地中の奥深くまで、大人になった私達は喜んで堕ちていく。

幹太のマンションは、思っていた以上に立派なマンションだった。
思ってた以上にというところで幹太には失礼な話だけど、でも、よくよく考えてみたら幹太は一流企業に勤めていて、これ位のマンションは当たり前なのかもしれない。

もちろん建物はオートロックで、エントランスには管理人さんが常駐している。年配の管理人さんは幹太を見つけると笑顔で会釈をした。

幹太の部屋は四階の角部屋だった。エレベーターを降りたらすぐの場所で、幹太の玄関ドアの前だけちょっとしたスペースがある。そこに、不必要になった段ボールが乱雑に置いてあった。

「あ、これは、気にしなくていいから。
後で業者さんが取りに来るから」

幹太はどうやら片付けが苦手らしい。でも、神経質じゃないところが幹太らしくて私は好き。


「どうぞ」

幹太の新居はとても明るい部屋で、玄関からいきなりリビングという変わった間取りは開放感で心地いい。

「ちゃんと片付いてて、ビックリ」

私が部屋を見回しながらそう言うと、幹太は買い込んだ荷物をドサッとキッチンに置いた。

「片付いてるっていうか、物が何もないだけだよ。
ベッドもないから、その奥の和室に寝てる。
あ~、ベッドも欲しいな~ 寧々も一緒に寝れる大きいやつ」

「もう、幹太、飛躍し過ぎ」

私が顔をしかめてそう言うと、幹太はヘ?みたいな顔をしている。
私は何だか恥ずかしくなってベランダへ出た。
駅近くのこのマンションから、電車の線路が見える。東京というのがおこがましいくらいに田舎のこの街は、高いビルなんて数える程しかなかった。でも、電車が見える線路の先には小高い丘が続いている。
私はこの街が好きだ。というより、この街しか知らない。小学生の時に住んでいた幹太達の居る街の事は、何も覚えてなかったから。

「本当に田舎だよね…」

いつの間にか後ろに立っていた幹太に、私は肩をすくめてそう言った。

「私は、25歳にもなるのに、この街しか知らない。
お父さんが忙しい人だったから、家族旅行もあまりしてないし、家族以外の人と遠出をするのは迷惑をかけそうで何だか怖くて、行っても日帰りがいいところ。

でも、大人になって、たまに思う事があるの…
いつか、昔住んでいた幹太達のふるさとに行ってみたいなって。
断片でしか覚えてないけど、綺麗な街だった。
空が澄んだように青くて、近くに川があったのかな… 
ピアノ教室へ続く道や、学校の近くにあった公園、確か私の住んでた家にはキンモクセイの花が庭に咲いていて、そのいい匂いも覚えてる」

幹太は後ろから私を抱きしめる。
息をしてる?って思うくらい幹太はとても静かだった。

「…幹太?」

私は心配になって幹太をそう呼ぶと、幹太は優しくまた私を抱きしめる。

「俺と一緒に行こう…
俺達が出会ったあの場所…
決して悪い事ばっかりじゃなかったあの街に…」

幹太、泣いてる…?
私の首元に何か冷たいものが落ちた。でも、私は何も言わない。お互い、きっと、何かを抱えていて、いつかその重い荷物をおろせる日を待ちわびている。

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