君の左目

便葉

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彼の時間 …14

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お父さんは大きく頷いてくれた。
お母さんは目に涙を浮かべ納得した顔で私を見ている。

「その人って、麻生さん…?」

やっぱり、そう思うよね… 
今までの私の生活からは、麻生さんしか想像できないもん。幹太が突然現れたなんて、きっと夢にも思わない。

「ううん… 麻生さんじゃない…
でも、心配しないで、ちゃんとした会社に勤めてる人だから」

お母さんは優しく頷いた。娘の幸せを願わない親なんてどこにもいない。特に、ちょっとだけ普通の人より苦労してきた娘なら尚の事。

「分かった。寧々が幸せで楽しいのならそれでいい。
お母さん達はそれだけで十分…」

そして、また、私達親子のいつもの日常が動き出す。それは、穏やかで思いやりのある普通の時間。
でも、私は分かっている。この穏やかな時間も今のこの時までだという事を。私が幹太を恋人として紹介する日に、私達親子の日常は崩れ去る。



日曜日の朝、二階の弟の部屋を片付けているお母さんに、私は何げなく聞いてみた。

「お母さん、私達の子供の頃の写真ってどこにあるの?」

「子供の頃の写真? 小さい頃の可愛い写真はリビングに飾ってあるでしょ?」

お母さんは何も表情を変えずにそう答える。

「ううん、小学生の頃の写真。
考えてみたら、一枚も見かけないなと思って」

お母さんの事だから、本当にただ奥にしまっているだけかもしれない。そこには何の意図もなくて、しまった事を本当に忘れているだけ… そうであってほしいと私は願った。
お母さんは私の顔を見ないで、更に念入りに掃除に励む。まるで聞こえていないかのように、時間は過ぎていく。

「私の部屋のクローゼットにはなかった。
離れの納屋にあるのかな?」

私の問いかけに、お母さんはやっと振り返ってくれた。でも、その顔に笑顔はない。私の大怪我の後によく目にした、虚しさと寂しさと悔しさが表情に滲み出ていた。

「どうしたの? 急にそんな事言って」

私はキョトンとした演技をして、その事を深く考えていないふりをしてお母さんを見た。

「急にじゃないよ、前から、たまに思ってた…
この間、今泉さんと話してたら、お子さんの写真は小学校の頃が一番多くて整理がたいへんって言ってて、あ~、そういえば、私の写真はどこに行ったんだろうってそう思っただけ…」

そう言った直後、私はすぐに後悔してしまった。
お母さんの中で、あの時の私の事故は何も清算されていないって分かったから。お母さんの中から穏やかさと優しさが消える。苦しさと虚しさと悔しさが、お母さんの全てを支配する。
私はこんな家族の姿を嫌というほど見てきた。でも、もう、それは過去の話で、どこかできちんと清算して前へ進まなきゃ、私達家族の本当の意味の幸せは訪れない。

「お母さん、捨てちゃった…?」

お母さんは何も言わない。何も言わず、また掃除を始めた。

「…あの風尾小学校にも、私、仲良しがいたよね?
優樹菜とか、あ、あと、幹太とか…」

すると、お母さんがギョッとした顔で私を見た。

「寧々… 何か思い出したの…?」

私はお母さんの迫力にちょっと戸惑いながら、大きく首を横に振った。お母さんは口に手を当てて、ホッとしたようにため息をつく。

「ねえ、お母さん、写真はどこ…」

私がまだ最後まで言い終らない内に、お母さんは大きな声でかぶせるようにこう言った。

「寧々、もうやめて…
お母さんは、思い出したくないの…
あの街も、あの小学校も、あの子達も…」

私だってバカじゃない…
お母さんの言葉の意味くらいちゃんと分かる。
あの街も、あの小学校も、あの子達も…?
私の記憶の蓋が、またカタカタと鳴り出した。ううん、大丈夫、まだ開く事はない。開く時は今じゃないって、私の本能がそう告げている。

「うん、分かった…
お母さん、ごめんね… 嫌な事思い出させちゃったね…」

お母さんはまた子供の時のように私を抱きしめた。

「ごめんね、寧々…
お母さんが弱い人間で…
本当にごめんね…」

私が記憶を取り戻すという事は、きっと、私を取り巻く全てのものが一変してしまうほどの不都合な事態。よほどの何かが私の頭の中に隠れている。
私は、お父さんもお母さんも愛している。愛しているからこそ、私の事で苦しんでほしくない。

あの日、あの街で、一体何が起こって私の左目は見えなくなったのか、やっぱり私は知る権利がある。知らない私も可哀想だし、その出来事に翻弄されて苦しんでいる家族は、私よりもっと可哀想だから。
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