君の左目

便葉

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彼の時間 …15

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「寧々、もうここまででいいよ」

月に一回の我が家での短いひと時を終えて帰る両親を、私はバス停まで見送った。

「あ、あのね…
来週の連休に、ちょっと旅行に行ってくるから」

お母さんとお父さんは顔を見合わせて微笑んだ。

「彼と?」

私はコクリと頷く。

「ちゃんとお土産買ってくるから、楽しみに待っててね」

そう言う私は、自分の事を鬼だと思った。その旅行がどういう意味を含んでいるか知っているのに、両親に楽しみに待っててなんて言っている。
でも、私の決意は変わらない。どういう真実がそこに待っていようと、私は自分の過去に向き合いたい。
だって、側には幹太がいてくれるから、私は必ず乗り越えられる…

私は、お母さん達を見送った後、薄暗くなったバス停に佇んだ。四月の優しい風が何かに怯えている私をふんわりと包み込んでくれる。

幹太に会える…
その想いは、一瞬で私を幸せに導く。
私は荷物を取りに家へ向かった。空はまだ夕日に染まっている。暗くなる前に早く幹太の家へ向かわなきゃ。


心配性の幹太は、私を私の家まで迎えに来てくれるという。だから、家で待っててとそう言うとすぐに電話が切れた。
幹太はあっという間に来てくれた。たまたま、バスにすぐに乗れたらしい。私はそのたまたまが嬉しかった。子供の頃も、大人になった今も、幹太に愛されていると感じる瞬間だから。

幹太は玄関に入ると、真っ先に私にキスをした。
幹太は私以上に不安で心細かったに違いない。そのキスはそんな切なすぎる幹太の想いが溢れている。

「幹太、ちょっと、家でお茶していかない?」

幹太が初めて家に来てくれた時以来の、幹太の訪問だった。幹太はキスを終えて私を抱きしめながら、うんと頷いた。

テーブルに座った幹太は、何だか居心地が悪そうだ。さっきまでここに居た私の両親の形跡を感じているみたいに。
私は幹太にコーヒーじゃなく玉露のお茶を淹れた。昨日、スーパーに買い物に行った時、玉露フェアをしていて幹太に淹れてあげたくて買ったものだ。そして、料理好きのお母さんが作ってくれた黒糖の蒸しパンも小さく切って添えた。

「あ、これ…
寧々のお母さんの十八番だ」

私は驚いて動きが止まった。私と弟が子供の頃、この蒸しパンの事をお母さんの十八番と呼んでいたから。

「…幹太、知ってるの?」

幹太は爪楊枝でその蒸しパンを差し、一口で美味しそうに食べてくれた。

「知ってるよ。
たまに、寧々の家に遊びに行ったら、寧々のお母さんがこの蒸しパンを出してくれた。
このパン、マジで美味しいだろ。
だから、俺が、めっちゃ美味しい!ってパクパク食べたら、寧々のお母さん、俺の顔を見るたび、また蒸しパン食べにおいでって」

幹太は嬉しそうにもう一つ蒸しパンを口の中に放り込む。私のお母さんの優しい笑顔を思い出しているみたいに。

私は何だか泣けてきた。お母さんは、その頃はきっと幹太の事を気に入っていた。そうじゃないと、そんな風に蒸しパンを食べにおいでって言わないはずだから…
それなのに今のお母さんは、幹太達をあの子達と呼んで、思い出したくないと顔をしかめて言った。写真も捨ててしまうほど、風尾小学校の何もかもを憎んでいる。

「寧々? どうした?」

私は涙を飲み込んだ。幹太を悲しませたくない。
だって、私のお母さんは、きっと幹太の記憶の中では、笑顔の素敵な優しい寧々のお母さんのはずだから。

「何でもないよ…
幹太がお母さんの十八番を覚えていてくれて、ちょっと嬉しかった」

幹太は笑った。当たり前だろみたいな穏やかな笑みを浮かべて…

「寧々、どうだった?
お母さん達に、何か聞かれたか?」

幹太はお茶を飲み干しひと息つくと、私にそう聞いてきた。

「彼氏はできたって言った…
でも、名前も何も言ってない。
まだつき合い始めたばかりだから、そっとしておいてって言ったら、分かったって納得してくれた」

幹太はホッとした顔をしている。何にホッとしているのか、本当はその理由が知りたいけれど、今は聞かない。自然の流れに身を任せるとそう決めたから。

閉じられた記憶の蓋が、カタカタと音を立てる機会が増えている今、私の全ての記憶が甦るエックスデーはもう間近に迫っている。
だから、今は幸せに過ごしたい。

「そっか… うん、分かった…
でも、長くはかからないから。
俺が、寧々の恋人として、ご両親に挨拶に行く日はそんなに遠くはない。
約束するよ」

私は笑顔で頷いた。今はそれだけでいい。幹太と過ごすこのひと時が大切だから。
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