29 / 69
彼の時間 …15
しおりを挟む「寧々、もうここまででいいよ」
月に一回の我が家での短いひと時を終えて帰る両親を、私はバス停まで見送った。
「あ、あのね…
来週の連休に、ちょっと旅行に行ってくるから」
お母さんとお父さんは顔を見合わせて微笑んだ。
「彼と?」
私はコクリと頷く。
「ちゃんとお土産買ってくるから、楽しみに待っててね」
そう言う私は、自分の事を鬼だと思った。その旅行がどういう意味を含んでいるか知っているのに、両親に楽しみに待っててなんて言っている。
でも、私の決意は変わらない。どういう真実がそこに待っていようと、私は自分の過去に向き合いたい。
だって、側には幹太がいてくれるから、私は必ず乗り越えられる…
私は、お母さん達を見送った後、薄暗くなったバス停に佇んだ。四月の優しい風が何かに怯えている私をふんわりと包み込んでくれる。
幹太に会える…
その想いは、一瞬で私を幸せに導く。
私は荷物を取りに家へ向かった。空はまだ夕日に染まっている。暗くなる前に早く幹太の家へ向かわなきゃ。
心配性の幹太は、私を私の家まで迎えに来てくれるという。だから、家で待っててとそう言うとすぐに電話が切れた。
幹太はあっという間に来てくれた。たまたま、バスにすぐに乗れたらしい。私はそのたまたまが嬉しかった。子供の頃も、大人になった今も、幹太に愛されていると感じる瞬間だから。
幹太は玄関に入ると、真っ先に私にキスをした。
幹太は私以上に不安で心細かったに違いない。そのキスはそんな切なすぎる幹太の想いが溢れている。
「幹太、ちょっと、家でお茶していかない?」
幹太が初めて家に来てくれた時以来の、幹太の訪問だった。幹太はキスを終えて私を抱きしめながら、うんと頷いた。
テーブルに座った幹太は、何だか居心地が悪そうだ。さっきまでここに居た私の両親の形跡を感じているみたいに。
私は幹太にコーヒーじゃなく玉露のお茶を淹れた。昨日、スーパーに買い物に行った時、玉露フェアをしていて幹太に淹れてあげたくて買ったものだ。そして、料理好きのお母さんが作ってくれた黒糖の蒸しパンも小さく切って添えた。
「あ、これ…
寧々のお母さんの十八番だ」
私は驚いて動きが止まった。私と弟が子供の頃、この蒸しパンの事をお母さんの十八番と呼んでいたから。
「…幹太、知ってるの?」
幹太は爪楊枝でその蒸しパンを差し、一口で美味しそうに食べてくれた。
「知ってるよ。
たまに、寧々の家に遊びに行ったら、寧々のお母さんがこの蒸しパンを出してくれた。
このパン、マジで美味しいだろ。
だから、俺が、めっちゃ美味しい!ってパクパク食べたら、寧々のお母さん、俺の顔を見るたび、また蒸しパン食べにおいでって」
幹太は嬉しそうにもう一つ蒸しパンを口の中に放り込む。私のお母さんの優しい笑顔を思い出しているみたいに。
私は何だか泣けてきた。お母さんは、その頃はきっと幹太の事を気に入っていた。そうじゃないと、そんな風に蒸しパンを食べにおいでって言わないはずだから…
それなのに今のお母さんは、幹太達をあの子達と呼んで、思い出したくないと顔をしかめて言った。写真も捨ててしまうほど、風尾小学校の何もかもを憎んでいる。
「寧々? どうした?」
私は涙を飲み込んだ。幹太を悲しませたくない。
だって、私のお母さんは、きっと幹太の記憶の中では、笑顔の素敵な優しい寧々のお母さんのはずだから。
「何でもないよ…
幹太がお母さんの十八番を覚えていてくれて、ちょっと嬉しかった」
幹太は笑った。当たり前だろみたいな穏やかな笑みを浮かべて…
「寧々、どうだった?
お母さん達に、何か聞かれたか?」
幹太はお茶を飲み干しひと息つくと、私にそう聞いてきた。
「彼氏はできたって言った…
でも、名前も何も言ってない。
まだつき合い始めたばかりだから、そっとしておいてって言ったら、分かったって納得してくれた」
幹太はホッとした顔をしている。何にホッとしているのか、本当はその理由が知りたいけれど、今は聞かない。自然の流れに身を任せるとそう決めたから。
閉じられた記憶の蓋が、カタカタと音を立てる機会が増えている今、私の全ての記憶が甦るエックスデーはもう間近に迫っている。
だから、今は幸せに過ごしたい。
「そっか… うん、分かった…
でも、長くはかからないから。
俺が、寧々の恋人として、ご両親に挨拶に行く日はそんなに遠くはない。
約束するよ」
私は笑顔で頷いた。今はそれだけでいい。幹太と過ごすこのひと時が大切だから。
0
あなたにおすすめの小説
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-
設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt
夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや
出張に行くようになって……あまりいい気はしないから
やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀
気にし過ぎだと一笑に伏された。
それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない
言わんこっちゃないという結果になっていて
私は逃走したよ……。
あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン?
ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初回公開日時 2019.01.25 22:29
初回完結日時 2019.08.16 21:21
再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結
❦イラストは有償画像になります。
2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載
✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
Short stories
美希みなみ
恋愛
「咲き誇る花のように恋したい」幼馴染の光輝の事がずっと好きな麻衣だったが、光輝は麻衣の妹の結衣と付き合っている。その事実に、麻衣はいつも笑顔で自分の思いを封じ込めてきたけど……?
切なくて、泣ける短編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる