あの夏に僕がここに来た理由

便葉

文字の大きさ
上 下
5 / 48
始まり

しおりを挟む
恋愛には奥手のはずのひまわりは、このどこから来たかも分からない男の人を放っておけなかった。
ひまわりは自分の中で新しい発見をした。
自分の中に持ち合わせているなんて思ってもいなかった保護本能が、ゆっくりとむっくりと目を覚まし出す。

「2014年?」

海人は大きな声で聞き返した。
僕が硫黄島で戦火にさらされていたのは確か1944年だ。
とすると、70年先の未来に僕はやって来た?
なぜ? どうやって?
海人は何度も自分の記憶を辿ってみた。
硫黄島の戦場にいたのが夢なのかこの未来にやってきた今が夢なのか、何度考えても答えが出ない。

「あー、いや、えー?」

混乱している海人に、ひまわりが優しく聞いてきた。

「もしかして記憶をなくしてる?」

「記憶?」

…むしろそうでありたい。

「でも、名前は言えたから重症ってわけではないのかも…」

海人は改めてこのひまわりという女性をじっと見つめた。
夕方から夜に変わる一日の中で一番美しい時間が、まるで彼女を引きたてるために訪れたと思わせるくらいに、ひまわりはとても美しく眩しすぎた。
ひまわりはホッとしたせいか、笑みがこぼれた。
ひまわりの様子を見て安心した海人は、失礼だと思いつつ、また質問を投げかけた。

「あの、ここは北関東ですか?」

地元に近ければ、何か帰る手がかりを探せるかもしれない。

「ここは九州の南の方です」

小さな声でひまわりはそう答えてくれた。
九州…
地図でしか見たことのない遠い場所。

外は雨が上がり、夕焼けが周りの景色をオレンジ色に染めていく。
外へ出ると、涼しい夜の風が海人とひまわりを優しく包んでくれる。
久しぶりに味わうこの穏やかなひと時は、海人を戦争を知る前のあの平和な日々に導いてくれた。
気がつくと、海人の目から涙が溢れて止まらない。
ひまわりは胸が締め付けられる思いがした。
海人に事情を聞いたわけでもないのに胸が切なくて苦しい。
ひまわりは、いつもの癖で大きく手を伸ばし深呼吸する。
平常心を保つこと。
それは小さい時からのひまわりのおまじないだった。
時間は確実に流れている。
いつの間にか、夕焼けが橙から紫に変わっていく。
必死に声を殺し喉をつまらせて泣く海人の姿は、あまりに切なすぎた。
ひまわりはもう一度大きく手を上げて深呼吸をした。
悲しみが吐息と一緒に出ていくように…
すると、下を俯いて泣いていたはずの海人が、ひまわりの動きを見てちょっと笑っている。

「深呼吸をするとすっきりするんです…」

ひまわりは顔を赤くしてそう言った。

「そうなんですね」

海人も、ひまわりを真似て大きく深呼吸をした。
胸一杯にたくさんの空気を吸い込んで、大きく息を吐き出す。
そして、海人は満面の笑みを浮かべてひまわりを見た。
この人は僕に不思議な力を与えてくれる…

「あ、もうそろそろ帰った方がいいかもしれません。
暗くなってきたし…」

海人は暗くなり始めた空を見ながら、ひまわりにそう言った。

「あなたはどうするんですか?」

私の事より自分の心配が先なはずなのに…

「僕は今日はここで過ごします。
水道もあるしベンチもあるので」

ひまわりはそう言う海人をじっくり見てみた。
とても汚れた衣服をまとっている。
それはテレビや映画で観たことがあった。
戦時中に、若い男の人が身に着けている軍服に似ている。
ひまわりは不思議な感覚を覚えながら、後ろ髪をひかれつつ家路についた。

しおりを挟む

処理中です...