あの夏に僕がここに来た理由

便葉

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暮らす

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ひまわりの温かい手に触れた時、海人はこの時代に来てしまった理由が何となく分かった気がした。
この奇妙な胸騒ぎと心奪われるひまわりの穏やかな笑顔は、海人の心の根底にある熱い何かを突き上げる。
それは、とてつもない大きな力で。

肩で息をしているひまわりは、必死に呼吸を整えながら海人の様子を窺っていた。

「こんな僕があなたの家に行くことになったら、家族の人たちが驚いてしまう」

海人はひまわりの突拍子もない申し出を有り難く思ったが、でも甘えるわけにはいかなかった。

「家族はいません。この夏だけ、祖父の家に一人で暮らしてるの」

ひまわりは本当に海人の事が心配だった。
昨日までの自分だったら、きっとこういう事は絶対に言わない。でも、今は素直に正直に、海人に家に来てもらいたい、それだけだった。

海人は黙ったまま、ひまわりの顔をジッと見た。
長い髪は後ろで束ねて、前髪は眉の上でまっすぐに切り揃えている。大きな瞳は少したれ目がちで、笑うと口元に小さなえくぼが見えた。
海人はひまわりの顔を見つめながら、でも、やはりその有り難い申し出に頷く事ができない。

「あの、よかったら一緒に食事しませんか?
こんな時間だし、走ったらお腹すいちゃった」

ひまわりはまだ迷って返事をしない海人に、思いやりのある提案をしてくれる。
海人は笑顔で和ませてくれるひまわりを見て、不謹慎だと思いながら、でも、探していた宝物を見つけたような安堵感のような、そんな気持ちになっていた。
自分がここへ来た理由、さっきの疑念が確信に変わった。
僕はこの子に会いにここへやって来たんだ…

結局、海人は、ひまわりの家で夕食をご馳走してもらうことになった。
ひまわりは海人が不安にならないように、家までの道中一人で喋り続けてくれる。
海人は公園の階段を下りて森の中の小道を抜け大きな道路に入った途端、呆然と立ち尽くしてしまった。
国道に沿って立ち並ぶビルディング。
明るく点滅する信号機に、鈴なりになって走る自動車。
今の時代を生きる人間にとって見慣れた光景は、海人をただただ驚愕させた。
しばらく目を閉じ考え込んだ海人は、徐々に落ち着きを取り戻し、ひまわりより先を歩き始める。

「こんなに素晴らしい世界になっているんですね…」

海人は小さな声でつぶやいた。
何の因果があってこんな未来に来てしまったのか?
起こり得ない現実に海人は身をすくめた。
夢ならもう覚めてくれ…
こんなに素敵で魅力的なひまわりに、心を持っていかれる前に…

ひまわりは家に帰る前にコンビニに寄った。海人は店には入らず外で待っている。
ひまわりは男物のTシャツと下着を買い、リュックにしまってから外へ出た。
すると、海人は少年のような表情でコンビニの中を興味津々に覗いている。ひまわりは優しく海人を呼んだ。

「中に入ってみる?」

ひまわりの問いかけに、海人は恥ずかしそうに首を横に振った。

「僕は汚過ぎです。
あんなに明るい店の中ではきっと目立ってしまう」

ひまわりはうんともすんとも言わずただ笑みを浮かべて、また家へ向かって歩き出した。
家に着くと、海人は本当に家族はいないのかと、もう一度ひまわりに聞いた。
ひまわりは玄関の鍵を開け、真っ暗な家の中を海人に見せる。

「本当に一人なんですよ。祖父母はもう他界しています。
この家は、私と母で大切に守ってるんです。
あ、母は今回はいないですけど」

そう言いながら玄関と廊下の電気をつけ、まだ玄関先で戸惑っている海人に「どうぞ」と入るように促した。
海人は玄関先で、この現実の流れに身を任せようと心に決めた。そして、背筋を伸ばし大きな声で言った。

「お邪魔します」

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