15 / 28
不運ヒーロー
しおりを挟む
「……これからはアンナと呼ばせてもらう。どこか見たい場所はあるか?」
「では、庭をお願いします」
ヴィクターを先頭に、フィリップにエスコートされたアンナは、失礼にならない程度に屋敷を観察した。魔獣に襲われたときの籠城先としても設計されている屋敷は、豪奢ではないがさりげないセンスが光る、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
庭は華やかを装っているが迷路のようになっていて、魔獣が直進できないよう設計されている。
「もし逃げるのなら、ここが良さそうですね」
「ごく僅かな侍女に隠し通路を教えてある。アンナにつけるから、そこから逃げればいい」
誉れあるフィアラーク家に来て真っ先に確認したのが、逃げ場所。
ヴィクターの中で、アンナの変人指数がどんどん上がっていく。フィリップはフォローしようとしたが何も思い浮かばなかった。それでもなんとか言葉を絞り出そうとしているうちに、執事がやってきてフィリップに告げる。
「当主様から連絡が来ております」
「……わかった。アンナ、何かあれば呼んでくれ」
「はい」
名残惜しそうに、しかし足早に去らなければならないフィリップの姿が見えなくなると、ヴィクターはアンナをまっすぐに見つめた。
「……悪いが、まだ心の整理ができていない。アンナのことを完全に受け入れられない」
「そうでしょうね」
何気ない返事に、ヴィクターは戦慄した。
アンナの言葉には、なんの感情もこもっていなかった。哀れみを誘うでもなく、媚をはらむでもない。アンナは言葉以上のなにも発していない。フィアラークの名に向けられるものが、いっさい含まれていなかった。
契約通り、時が経ち無事に婚約解消できればいい。だが、フィリップのあの視線。何事もなく、すんなりと他人になるとは思えなかった。
「フィリップ兄上のことは嫌いか?」
「好き嫌いでいえば嫌いですが、前ほど嫌いではありません」
「……それ、嫌いじゃないか」
ヴィクターは、ぐっと手を握りしめた。アンナに戸惑っているとはいえ、何も知らないのに嫌うのはよくない。
ヴィクターはいい子だった。
「アンナも気づいているかもしれないが……」
ヴィクターはくちびるを噛んだ。
「フィリップ兄上は、女運がまっったくないんだ!!」
「でしょうね」
グラツィアーナと接するうちに、アンナの貴族観が変わっていった。
いままでアンナと主に接したのは元家族と元婚約者やエレナ、流された悪い噂を信じ込んで嫌味を言ってくる生徒たちだった。けれどグラツィアーナは違った。
自分の理想のために、アルベルトの目指すもののために努力は惜しまず、人としても淑女としても素晴らしい。そのグラツィアーナと親しくしている令嬢も、彼女と懇意になるのに相応しいと聞く。
グラツィアーナのようにきちんとした令嬢にはきちんとした婚約者がおり、きちんと婚約者以外の異性に近づかないようにしていた。フィリップが女嫌いなのは有名だったため、心情を慮って話しかけなかったのである。
つまりフィリップに近づいてくるのは、フィリップの事情や心情を知らない無知な者か、知ってなお近づく者だ。フィリップが今まで接したのは、厚かましい女性か、フィアラークの勇ましすぎる女性。あまりに両極端だった。
(僕だってフィリップ兄上の恋は応援したい。きっと初恋だ。でも惚れたのが、兄上にまっっったく興味がないフィアラーク寄りのアンナ……男を毛嫌いしていそうなアンナ……)
「だから、アンナのことを警戒してしまうんだ。アンナも婚約したくてしたわけじゃないのに、すまない」
「わたしは自分で婚約を選択しました。わたしの人生に、そのように謝罪する必要はありません」
「……うん。先に聞いておきたいんだけど、フィリップ兄上と結婚したい?」
「嫌です」
即答だった。フィリップを憐れむほどの早さに、ヴィクターはちょっぴり涙が出そうだった。
(兄上がフラれたら慰めてあげよう。初恋は実らないものだし)
「これからアンナは、星辰の儀までに最低限の動きと受け答えが出来るように、マナーを叩き込まれると思う。父様と母様はそれぞれ社交があるから、常に一緒にいることは難しいだろう。ふたりがいない時は僕が一緒にいて、できるだけ手助けするよ」
アンナを認めないと言ったのに、やけに優しい言葉だった。
「ヴィクター様は、フィリップ様を慕っているのですね」
「ヴィクターでいい。……フィリップ兄上は星辰の儀で勝ち続けるほど強く、賢くて頭の回転も速い。家族ではないけど、どこかで血の繋がりがあると言って、兄上と呼ぶことを許してくれている」
「わたしにとってララが大事なように、ヴィクターもフィリップ様が大切なのですね」
自然と会話が途切れ、穏やかで静謐な散歩を堪能していると、フィリップがやや慌てた様子でやってきた。
「アンナ、急にすまないが、明日本家に行くことになった」
「早まったのですか?」
「アンナを大変気に入ったとバルドヴィーノ殿が話したところ、当主ができるだけ早く会いたいとおっしゃった。明日の昼過ぎには出る予定だ」
「わかりました。フィアラークではこれほど早く手紙のやり取りが出来るのですか?」
「王城でも出来るが、どうやってするかは秘密なので話すことは出来ない」
「そうですか」
ヴィクターは久々に会えたフィリップが去ってしまうことにシュンとしたが、すぐに笑顔を作った。健気な少年だ。
「ディナーは豪華になるでしょうから、たくさん食べてくださいね。フィリップ兄上、また手紙を書きます」
「ああ。王城や学院ではアンナを頼む」
「任せてください!」
アンナを助けるとヴィクターの意思が固まった瞬間だった。
「では、庭をお願いします」
ヴィクターを先頭に、フィリップにエスコートされたアンナは、失礼にならない程度に屋敷を観察した。魔獣に襲われたときの籠城先としても設計されている屋敷は、豪奢ではないがさりげないセンスが光る、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
庭は華やかを装っているが迷路のようになっていて、魔獣が直進できないよう設計されている。
「もし逃げるのなら、ここが良さそうですね」
「ごく僅かな侍女に隠し通路を教えてある。アンナにつけるから、そこから逃げればいい」
誉れあるフィアラーク家に来て真っ先に確認したのが、逃げ場所。
ヴィクターの中で、アンナの変人指数がどんどん上がっていく。フィリップはフォローしようとしたが何も思い浮かばなかった。それでもなんとか言葉を絞り出そうとしているうちに、執事がやってきてフィリップに告げる。
「当主様から連絡が来ております」
「……わかった。アンナ、何かあれば呼んでくれ」
「はい」
名残惜しそうに、しかし足早に去らなければならないフィリップの姿が見えなくなると、ヴィクターはアンナをまっすぐに見つめた。
「……悪いが、まだ心の整理ができていない。アンナのことを完全に受け入れられない」
「そうでしょうね」
何気ない返事に、ヴィクターは戦慄した。
アンナの言葉には、なんの感情もこもっていなかった。哀れみを誘うでもなく、媚をはらむでもない。アンナは言葉以上のなにも発していない。フィアラークの名に向けられるものが、いっさい含まれていなかった。
契約通り、時が経ち無事に婚約解消できればいい。だが、フィリップのあの視線。何事もなく、すんなりと他人になるとは思えなかった。
「フィリップ兄上のことは嫌いか?」
「好き嫌いでいえば嫌いですが、前ほど嫌いではありません」
「……それ、嫌いじゃないか」
ヴィクターは、ぐっと手を握りしめた。アンナに戸惑っているとはいえ、何も知らないのに嫌うのはよくない。
ヴィクターはいい子だった。
「アンナも気づいているかもしれないが……」
ヴィクターはくちびるを噛んだ。
「フィリップ兄上は、女運がまっったくないんだ!!」
「でしょうね」
グラツィアーナと接するうちに、アンナの貴族観が変わっていった。
いままでアンナと主に接したのは元家族と元婚約者やエレナ、流された悪い噂を信じ込んで嫌味を言ってくる生徒たちだった。けれどグラツィアーナは違った。
自分の理想のために、アルベルトの目指すもののために努力は惜しまず、人としても淑女としても素晴らしい。そのグラツィアーナと親しくしている令嬢も、彼女と懇意になるのに相応しいと聞く。
グラツィアーナのようにきちんとした令嬢にはきちんとした婚約者がおり、きちんと婚約者以外の異性に近づかないようにしていた。フィリップが女嫌いなのは有名だったため、心情を慮って話しかけなかったのである。
つまりフィリップに近づいてくるのは、フィリップの事情や心情を知らない無知な者か、知ってなお近づく者だ。フィリップが今まで接したのは、厚かましい女性か、フィアラークの勇ましすぎる女性。あまりに両極端だった。
(僕だってフィリップ兄上の恋は応援したい。きっと初恋だ。でも惚れたのが、兄上にまっっったく興味がないフィアラーク寄りのアンナ……男を毛嫌いしていそうなアンナ……)
「だから、アンナのことを警戒してしまうんだ。アンナも婚約したくてしたわけじゃないのに、すまない」
「わたしは自分で婚約を選択しました。わたしの人生に、そのように謝罪する必要はありません」
「……うん。先に聞いておきたいんだけど、フィリップ兄上と結婚したい?」
「嫌です」
即答だった。フィリップを憐れむほどの早さに、ヴィクターはちょっぴり涙が出そうだった。
(兄上がフラれたら慰めてあげよう。初恋は実らないものだし)
「これからアンナは、星辰の儀までに最低限の動きと受け答えが出来るように、マナーを叩き込まれると思う。父様と母様はそれぞれ社交があるから、常に一緒にいることは難しいだろう。ふたりがいない時は僕が一緒にいて、できるだけ手助けするよ」
アンナを認めないと言ったのに、やけに優しい言葉だった。
「ヴィクター様は、フィリップ様を慕っているのですね」
「ヴィクターでいい。……フィリップ兄上は星辰の儀で勝ち続けるほど強く、賢くて頭の回転も速い。家族ではないけど、どこかで血の繋がりがあると言って、兄上と呼ぶことを許してくれている」
「わたしにとってララが大事なように、ヴィクターもフィリップ様が大切なのですね」
自然と会話が途切れ、穏やかで静謐な散歩を堪能していると、フィリップがやや慌てた様子でやってきた。
「アンナ、急にすまないが、明日本家に行くことになった」
「早まったのですか?」
「アンナを大変気に入ったとバルドヴィーノ殿が話したところ、当主ができるだけ早く会いたいとおっしゃった。明日の昼過ぎには出る予定だ」
「わかりました。フィアラークではこれほど早く手紙のやり取りが出来るのですか?」
「王城でも出来るが、どうやってするかは秘密なので話すことは出来ない」
「そうですか」
ヴィクターは久々に会えたフィリップが去ってしまうことにシュンとしたが、すぐに笑顔を作った。健気な少年だ。
「ディナーは豪華になるでしょうから、たくさん食べてくださいね。フィリップ兄上、また手紙を書きます」
「ああ。王城や学院ではアンナを頼む」
「任せてください!」
アンナを助けるとヴィクターの意思が固まった瞬間だった。
5
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
悪役令嬢の慟哭
浜柔
ファンタジー
前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。
だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。
※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。
※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。
「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。
「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。
完【恋愛】婚約破棄をされた瞬間聖女として顕現した令嬢は竜の伴侶となりました。
梅花
恋愛
侯爵令嬢であるフェンリエッタはこの国の第2王子であるフェルディナンドの婚約者であった。
16歳の春、王立学院を卒業後に正式に結婚をして王室に入る事となっていたが、それをぶち壊したのは誰でもないフェルディナンド彼の人だった。
卒業前の舞踏会で、惨事は起こった。
破り捨てられた婚約証書。
破られたことで切れてしまった絆。
それと同時に手の甲に浮かび上がった痣は、聖痕と呼ばれるもの。
痣が浮き出る直前に告白をしてきたのは隣国からの留学生であるベルナルド。
フェンリエッタの行方は…
王道ざまぁ予定です
完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる