神が去った世界で

ジョニー

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終章 それぞれの結末

第90話 大人達の恋路

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 後宮をアスタルトは歩いていた。
 その端正な顔は高揚からか上気して見え、足取りも軽い。
 公太子と擦れ違う女官達は深く一礼した後、通り過ぎた公太子の普段からは想像も着かない様な、浮かれた後ろ姿を振り返って首を傾げる。
 アスタルトは目指す扉の前に立つと、先程とは打って変わり緊張した面持ちで小さく深呼吸をした。扉の前に立つガードの女性騎士に視線を送ると、騎士は頷いて扉を開け、彼を中の控え室に通した。

 奥の扉が開き、女官がアスタルトに一礼して扉の奥に案内する。

「アスタルト様。」
 可憐な女性がフワリと立ち上がった。
「やあ、エリス。」
 アスタルトはそう言ったきり、言葉を失った。

 特に着飾っている訳でも無い。純白色のワンピースに飾り物を少々身に付けているだけだ。
 だが、その薄紅に染まった頬と嬉しそうな笑顔はどんな装飾よりも彼女を美しく見せていた。

「殿下?」
 エリスが首を傾げるとアスタルトはハッとなって言葉を続けた。
「あ、ああ・・・いや、済まない。余りに貴女が美しくて言葉を失った。」
「そ・・・そんな・・・。あ、有り難う御座います・・・。」
 アスタルトの言葉にエリスは顔を真っ赤に染めて俯きながらモゴモゴと答える。
「い、いや。」
 後ろでエリス仕えの侍女達が必死に笑いを堪えているのが視界に入り、アスタルトは咳払いをする。


 アスタルトがエリスを婚約者に選んで以降、彼女の周辺は大きく変化した。

 彼女自身に侍女が付き、住まう部屋もシャルロットの自室の隣、つまりロイヤルファミリーの自室が在るエリアに移された。またシャルロットのプリンセスガードから人数が割かれてエリス専任のガードが護衛に付くようになった。
 更にはブリヤンの図らいで、此れまで彼女が行っていた雑事の全てが別の者に振り分けられた。

 シャルロットの侍女役までが取り上げられそうになり、エリスは慌てて『其れだけは続けさせて欲しい』と嘆願したものだ。
 だが未来の皇太子妃候補に、如何な王女のとは言え侍女をさせる訳には行かない。故にアスタルトとブリヤンはエリスに『ハイ=レディ』の名称を与えシャルロットの個人的な相談役の立場を与えた。
 実質的な「姉」と変わらない役目に侍女根性が抜けきらないエリスは「恐れ多い」と尻込みしたが、シャルロットが盛大に喜んで見せた為、エリスはその立場を受け容れた。
 無論、全てが上手くいっている訳では無い。エリスが公太子妃の座に就く事に否を唱える者達も少数ではあるが存在する。
 この辺りと如何に折り合いを付けて納得させていくかも課題ではあるのだが、粗方はブリヤンが引き受けてくれている。

 今日は、そう言った王宮内の動きも無視は出来ない中で、数ヶ月ぶりに取る事が出来たアスタルトの休日だった。

 以前からエリスに誘いを掛けておきながら、ずっと先延ばしになっていた『2人きりでの外出』が漸く実現する運びとなったのだった。

「随分と待たせて済まなかったね。」
「とんでもないです・・・殿下・・・いえ、アスタルト様。」
 エリスが自発的に言い直してくれた事にアスタルトは年相応の笑みを浮かべると満足そうに頷いて、エリスに手を差し出した。
「私の女神。今日は2人で楽しもう。」
「はい。」
 エリスは恥に噛む様に微笑みながら公太子の手に自分の手を置いた。

 エリスがアスタルトの正式な婚約者の立場を経て婚儀を挙げるのは、長い冬も終わり暖かな春の陽気が降り注がれる春の頃の話で、もう少し先の事になる。


 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆


『コンコン』
 扉がノックされブリヤンは
「どうぞ。」
 と答える。

 侯爵となり宰相となった彼ではあるが以前と比べて何か変わったのかと言えば、特に何か変わった訳では無い。此れまでも膨大な量の仕事を熟してきていた彼であり、此れからも其れが変わる事は恐らく無いのだろう。今までは其れで良いと思っていた。
 だが、ここ最近は其れにも疲れを感じ始めている。体力面の話では無く気力の話だ。原因は分かっている。

「失礼します。」
 女性が入ってくる。
「マリー殿。」
 ブリヤンは微笑んだ。

 執務室に置かれたソファーに座るよう彼女を促して、自分もまた仕事を中断してマリーの向かいに座る。侍従が紅茶を出すと控え室に下がらせて、ブリヤンは彼女を見た。

 今年30を迎えたばかりの美しい女性は所在なげに視線を彷徨わせている。
『自分はもうオバサンだ』と自らを揶揄する彼女だが、40を過ぎた自分から見れば彼女は若く美しい。可憐とさえ思えてしまう程に愛らしく感じてしまう。

「急に呼び出してしまって申し訳無いね。」
「い・・・いえ、其れは良いんですが・・・あの、相談したい事とは?あたしがブリヤン様の相談相手に為れるとは思えないんですけど・・・。」
 マリーが若干困った様な表情で尋ねてくる。

 ブリヤンは微笑むと
「そんな事は無い。貴女の意見を伺わせて欲しい相談事が在る。・・・、ああ、冷めないうちに。」
 そう言って彼女に紅茶を勧め、他愛の無い話を振り始める。

 彼女の表情が和らぎ始めたのを確認すると、ブリヤンは本題に入った。

「実はね・・・息子のバーラントがね・・・。」
「ああ、あの立派なご子息ですね。」
 マリーはノーザンゲート砦で見た巨漢の戦士を思い出す。確かブリヤンやセシリーとは血は繋がっていないとか何とか。
「そう、その息子が・・・。」
 珍しくブリヤンが言い淀む。彼ほどの豪胆な男が言い淀むなど、何事なのか。
「・・・セシリーを嫁に娶りたいと言ってきた。」
「・・・。」
 口に含んだ紅茶をマリーはゴクリと飲み干す。吹き出さなくて良かったと彼女は思った。
「え・・・嫁に・・・?」
「そうだ・・・。君はどう思う?」
「・・・。」
 こんなお家の大事をあたしみたいな一介の回復師に尋ねても良いのかと疑問を持たない訳では無かったが、ブリヤンの真剣な表情を見て彼女なりに意見を出してみようと思った。

 マリーは少しだけ思案してから尋ねる。
「セシリーさんはどう思っているんでしょう?」
 ブリヤンは複雑そうな表情に変わる。
「あの娘は・・・だいぶ前からバーラントをその様に見ている。直接に訊いた訳では無いが、見ていれば判る。」

 ノーザンゲート砦でセシリーから幼い頃の話を聴いていたマリーは、彼女の気持ちには気が付いていた。
 ブリヤンも気が付いていたのなら話は面倒臭くは無い。

「ただ、バーラントに其の気が全く無さそうだったので、まあそうは為るまいと思っていたんだ。セシリーもシオン君に出会ってからは彼を気にする素振りを見せていたんでね。いっそ彼を貴族に引き上げてセシリーと婚約させようか、と思った事も在ったんだが。」
「シオンかぁ・・・。」
 マリーは黒髪の少年を思い浮かべる。
「確かにあの子は出来すぎなくらいに優秀ですね。年頃の女の子なら、みんな惚れても不思議じゃ無いくらいに。」
 ブリヤンも頷く。
「私も彼ならセシリーの相手として全く問題を感じなかった。だが、まさかバーラントからセシリーを娶りたいと言ってくるとはな・・・。」

 疲れたような表情でブリヤンがソファーに背中を預けると、マリーはクスリと笑った。
「お疲れですね。」
「ん?・・・ハハ・・・。」
 ブリヤンが力なく笑うのを見て、マリーは年甲斐も無く胸の鼓動が高まるのを感じる。

「ブリヤン様。あたしは平民で貴族様の考え方等は良く判りません。ただ、貴族の結婚には家の利害が関わってくると聞いた事が在ります。その観点から言えば、御二人の結婚はどうなんですか?」
 マリーが尋ねるとブリヤンは首を振った。
「ソコは問題無い。アインズロードは少し力を持ちすぎた。これ以上、有力貴族と結びつくのは国家安寧の為にも宜しく無い。」

 事実、セシリーを嫁に欲しいと釣書を送ってくる貴族を算え上げたら、セルディナは勿論のこと他国まで含めて枚挙に暇が無い。其れほどにアインズロードの持つ権力は絶大なモノになりつつ在るのだ。
 だからこそ口には出さないが、公王レオナルドもセシリーの婚約相手に関しては注意を払っている。

「そうですか。」
 マリーは頷いた。
「なら、簡単じゃないですか。」
 ブリヤンは瞠目する。
「簡単・・・?」
「ええ、簡単ですよ。先ずはセシリーさんと話をする事。セシリーさんに其の気が在ると判ったら快く認めてあげる事。」
「しかし、2人は兄妹で・・・」
「でも、血は繋がっていないのでしょう?」
「まあ、そうだが・・・。」
 戸惑うブリヤンにマリーは笑いかける。
「そもそも、2~3歳の頃から一緒に暮らしていたのなら兎も角、バーラント様は15歳くらいでセシリーさんは11歳だったのでしょう?そんな年齢で初めて出会った2人にお前達は兄妹だと言われてもそんな簡単に割り切れるモノでは在りませんよ。」
「うむ・・・。」
「まして、お互いにとても優秀で優れた容姿を持つ2人なら尚更でしょう。寧ろ、2人の感情は正常なモノだと思いますよ。」

 ブリヤンの視線が揺らぐ。
「そう思うかね?正常だろうか?」
 マリーは頷いて見せる。

 ブリヤンの悩み処が判った。
 息子と娘の感情は世間一般から見て異常では無いか、後ろ指を差されないか、不幸に為るんじゃないかと心配して居たのだ。
 まあ、話の表面だけをなぞれば倒錯した感情だと揶揄されるだろう。だが、実際に肉体的な血縁が無いのであれば当人達の努力で如何様にも世間の認識は正せる。
 其れよりも、そんな事に引っ掛かって愛を貫けない方が不幸と言えるだろう。

「正常ですよ。御二人の幸せを願うなら認めてあげて良いと思いますよ。勿論そのあと暫くは大変な思いをするでしょうが。」
 ブリヤンは微笑むマリーを見て、組んだ拳を眉間に当てた。
「・・・貴女に相談して良かった。」
 そう呟く。
「ふふふ。お役に立てたのなら良かったです。」
「やはり、貴女しか居ない。」
「?」
 首を傾げるマリーをブリヤンは真剣な眼差しで見据えた。
「マリー、私と結婚を前提にお付き合いして欲しい。」
「・・・!」
 ついに来た。とマリーは思った。
 いつかは言われるだろうと思っていた。ウブな生娘じゃ無い。自分が美人と呼ばれる類いの女である事はとっくに理解しているし、ブリヤンが自分に興味を抱いている事には気付いている。
 では、自分の感情はどうなのだろうか?
「あたしは・・・。」
 マリーはブリヤンに答える。


 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆


 フラフラとマリーは冒険者ギルドに足を踏み入れた。
「あら、いらっしゃい、マリーさん。冒険者登録に来てくれたの?大歓迎ですよ?」
 ミレイのニコニコ顔にマリーは苦笑いを返す。
「そんな筈無いでしょ。・・・ウェストンは居る?」
「え・・・居ますけど・・・。」
 心持ちミレイの表情が曇る。
「・・・呼んで来ますね。」
 直ぐに笑顔を取り戻すと彼女は奥に引っ込んだ。

「可愛いなぁ。」
 マリーは呟く。

 愛想もクソも無いが腕だけは良い食堂のマスターに麦酒と小料理を頼むと、マリーは席に腰を下ろして呑み始める。

 何杯呑んだか判らなくなった頃。
「こんな処で1人呑みとは珍しいな。」
 腐れ縁の巨漢がニヤニヤと笑いながら近づいて来た。

 マリーは面白く無さそうにソッポを向いて麦酒を呷る。
「別に。あんたも付き合え。」
「そのつもりだよ。」
 ウェストンは笑いながら手にした麦酒の小樽を掲げて見せる。

「どうした。何かあったのか?」
「あったよ。」
 ウェストンの問いにマリーが隠す様子も無く即答する。
「何があった?」
「付き合えって言われた。」
「あん?」
「ブリヤン様に結婚前提で付き合えって言われた。」
「・・・。」
 ウェストンがポカンとした顔でマリーを見つめる。

「本当か?」
 漸く言葉を絞り出したウェストンにマリーは頷く。
「結婚?・・・愛人じゃ無くて?」
「結婚って言ってた。」
「ほー・・・。」
 再び言葉を失うウェストンにマリーが打って変わって必死な形相で尋ねて来た。
「どう思う!?あたしみたいなド平民の女が侯爵様で宰相様の奥方になるなんて!」
「笑い話だな。」
「うるせぇっ!」
 酔っているのか、ウェストンの茶化しをマリーは訳の解らない返しで怒鳴りつける。

「うるせぇって、お前・・・。で、お前は何て返したんだよ。」
「・・・」
「おい。」
「・・・宜しくお願いしますって・・・。」
 ウェストンは吹き出すと盛大に笑い出した。
「笑うこた無いだろ!」
「いや、済まん済まん。結構、可愛いとこ有るじゃねえか。」
「フ・・・フン。」
 むくれた表情で麦酒を含む熟練の女回復師をウェストンは穏やかな視線で見つめる。
「それにあの方はちゃんとお前に合わせてくれてるじゃないか。」
「合わせる・・・?」
 マリーが怪訝そうに首を傾げるとウェストンは頷いた。
「そうだよ。考えてもみろ。あのお人は貴族様、しかも最上級の貴族様だ。普通ならお前の意思などに関係無く婚約を結んで強引な結婚だってやろうと思えば簡単に出来るんだ。其れを平民の慣習に倣って結婚前提の『お付き合い』から始めようって言ってくれてるんだぜ。」
「・・・気付かなかった・・・。」
 マリーが呆然と呟く。
 その表情を一瞥してウェストンは微笑みながら麦酒を空にする。
「まあ、安心だよ。あのお人ならお前を泣かすような事はしないだろうしな。」
「・・・。」

 マリーは麦酒の入ったジョッキを置くとウェストンをジロリと見た。
「あんたはどうなんだい?」
「俺?」
「いつまでミレイちゃんを放っとくんだい?」
「?」
 マリーのフリにウェストンは首を傾げる。
「俺がいつミレイを放っているんだ?ちゃんと面倒見てるぞ。」
「戯け!」
「戯けって、お前・・・。」
 ウェストンは困った様な表情で頭を掻く。マリーが何を言っているのかが分からない。

「ミレイちゃんは幾つだい?」
「えーっと・・・此処に入って来たのが19の時だったから・・・24くらいだ。」
「5年も一緒に居てまだ気付かないのかい?」
「?」
「・・・ホントかよ。」
 マリーが心底呆れた表情になる。
 そして溜息を吐いた。
「こう言う事は他人が言うもんじゃ無いとは思っていたけど、あんたに関しちゃ別だ。このまま放っといたらミレイちゃんが貴重な若い時間を無駄にしちまう。」
 マリーはウェストンを見て声を潜める。
「いいかい。ミレイちゃんはね、此処に来たときからあんたに惚れてるよ。」
「な・・・なんだと? 馬鹿言え、年齢が幾つ離れていると・・・」
 ウェストンが反論仕掛けるとマリーは円卓をドンと叩いて巨漢を黙らせた。
「やかましいっ、黙って聞け。別にあの子の気持ちに応えろって言ってるんじゃ無い。あんたの言う通り年齢差も有るし、あんた自身の気持ちもあるだろうさ。だから、応えるにせよ、フるにせよ、早く決着を着けてやれって言ってるんだ。」
「・・・」
「若い女の時間は男のソレよりも遙かに貴重なんだと知りな。無駄使いさせるんじゃ無いよ。」
「・・・」
 表情の抜け落ちたウェストンにマリーは念を押す。
「分かったね?」
「あ、ああ。」
「あと、あたしから聞いたとかそんな馬鹿な事、死んでも言うんじゃ無いよ。バラしたら・・・殺すからね。」
「わ・・・分かった。絶対に言わない。」
「よし。」
 マリーは頷くとほろ酔い気分で立ち上がる。
「お前はどうするんだよ?」
「あたしは・・・あたしも覚悟を決めるさ。」

 少しだけ千鳥足のマリーを見送った後、ウェストンは頭を掻いて立ち上がった。そして優秀な受付嬢を手招きで呼び寄せた。

「なんですか?」
 ミレイはいつもと変わらない様に見える。
「ああ・・・。今晩、メシでも付き合わないか?」
「・・・え?」
 一瞬だけ呆けた顔を見せた受付嬢は、見る見ると表情を赤く染め上げるとコクリと頷いた。

 ウェストンは、また頭を掻いた。


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