anyone anywhere

川上 仁絵

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全ては『本の中』

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 ポムは村で一番高い屋根の上に登り、満足気にリンゴを頬張りました。実を食べ終わって芯だけになると、それも口に放り込んでゴックリと飲み込んでしまうのです。
「村はもうあらかた見て回ったな。もう知らない場所なんて無くなったぞ!」
 こうなると、ポムの好奇心をそそるのは村の外の世界です。
 おうちの洞とは別の方向に、村の境いを示す囲いがあります。飛び越えて更に走ると、小高い丘の先に見渡すばかりの草原が現れるのです。
 一本の道が草原を真っすぐに遮って、遥か彼方に続きます。遠くには岩山が連なっています。
「よお~し、あそこまで行ってやる!」
 ポムは駆けます。風を切って、丈の低い草を蹴飛ばして、真っ青な空と一体になった気持ちがします。
 不意にボ~ンと銅鑼の音が響きました。どこにいてもポムの耳にだけ届く、不思議なお母さんの銅鑼の音です。
 ようやっとポムの駆け足が止まります。随分走ったのに、まだまだ続く一本道を遠く見つめます。
「ちぇっお昼ごはんの時間だ。でもきっといつか、あの先の世界へ辿り着いてみせるぞ」
 そして踵を返して、元来た道を駆け戻るのです。お昼ごはんが何か、楽しみにしながら。

 コロボックルの少年はどこまでも元気かも知れないが、クララにはもう走る体力は残っていない。
 追いかけっこを諦めて、草原にペタンとお尻を着けた。勢いでそのまま、ばったりと仰向けに寝転んでみた。
 両手足を広げ大の字になって、頬に流れる汗を感じながら、どこまでも高く広い青空を見上げた。
「あ~気持ちいい~」
 人の目を一切気に掛ける必要の無い開放感。クララは人生で初めて、自由になれた気がしていた。
 ふと草むらが揺れた。ひょっこりと顔を出したのは、ふわふわで長い耳をぴんと立てたウサギだった。
「わあ~」可愛らしい姿にときめいた。
 ウサギは足元で跳ねて、お腹の横で草を食んでいる。全くクララを怖がっている様子を見せない。嬉しくなって手を伸ばす。触りたかったけど、流石に避けられてしまう。
(そうね、怖がらせちゃいけないわ。ここは仲間だと思わせて溶け込もう)
 起き上がって、なるべく身体を小さく丸めて。うさぎ跳びをしながら、両手を頭に充てて長い耳の形にした。
 こんな行動、普段の自分だったら絶対にしないなって思うと更に楽しくなってきた。
 ぴょんぴょんと追いかけると、うさぎ達は草原から近くの森へと向かって行く。きっと住処があるのだろう。
 森の入り口まで来た時、相変わらずうさぎと一緒になって跳ねていると、不意に人の声が聞こえた。木立に隠れて見えなかったけれど、どうやら女の人が後ろにいるらしい。
「あら可愛い。連れて帰っちゃおうっかな」
(本の中の人ね。驚くことはないよね、森に住んでる設定なのよきっと)
 可愛いうさぎ達を愛でている。気持ちは分かるけど、自由にさせてあげて欲しいなって思っていた。
「さあ捕まえるわよ。せ~の!」
 その瞬間がくるまで、クララは耳にしていた自分の手が、女の人の両手に包み込まれるなんて思ってもいなかった。
「えー!なんで?」
 反射的に立ち上がって人の姿に戻る。自分より背の低い彼女が、悪戯っぽい笑みで見上げていた。
 両手は未だ繋がれたまま、互いに黒い瞳を交わして見つめ合う。
「どうして?お話の登場人物は、『観客』である私のことを気に掛けない筈じゃあ?」
 首を傾げる相手に、クララはユリちゃんから教えられた話をした。
「そっか、そうゆうルールなんだ」小さく呟いてから、改めて悪戯っぽい微笑みを浮かべる。
「じゃあ問題ね。私はこのお話のどんな役でしょうか?」
「それは・・・」
 改めてじっと見つめると、華奢だけど、小顔でスラリとしたスタイルの良い女の人だった。
「やっぱり、森の妖精とか天使とか」
「あははは、すっごく良い風に言ってくれるじゃん」
 愉快そうに笑う。美しい黒髪が揺れて『今の全然お世辞じゃない』って口に出し掛けた。
「私はそんなんじゃないわ、何でも無い只の人よ。そう、あなたと同じね。同じだわ」
(同じだなんてとんでもない!私なんかがこの人と同じな訳がないよ)
 けれども、彼女が打ち明けた事実はとても意外で驚かされるものだった。
「同じ『観客』よ。本を読んでる人。観客同士だったらお菓子を分け合う事だってあるでしょ?」
「あっそうゆう事?でも本の世界で読者同士が顔を合わせるなんて・・・あるのかしら?」
「実際出会っちゃったんだから、認めるしか無くない?」
 気が付くとずっと互いの手を握りあったまま。ブースの中で握手会をしているみたいな姿勢で固まっていた。
「シャイントゥア・スカーレットよ」
「スカーレットさん。私はイェンドゥサ・クララです」
「じゃあこれからあなたの事・・・そうね、イェンドゥサ・クララって呼ぶ事にするわ」
「えっフルネームで?逆に無いかも。親しい人はみんなクララって呼ぶわ」
「じゃあ私の事も、スカーレットで」
(初対面でそれは・・・ちょっとハードルが高いかも)
 僅かに頬を赤らめると、スカーレットは噴き出した。そして愉快そうにからかい始めた。
「緊張しないで。ところでクララちゃんは年長さんかな?黄色いお帽子は忘れちゃったの?」
「な、なんで急に!子供扱いするの?」
 クララは黒目がちで童顔。時折、同期からすら赤ちゃん扱いされるのを極度に嫌がっていた。
「だってこの本、幼児向けの童話よ。これと『心が通じ合う』って事はさぁ」
 確かに、小人の少年が主人公というところからして、おとぎ話系だろうとは何となく分かっていた。
「それを言うんだったらスカーレットだって!」
「私は小さい頃に読んだ本を懐かしいなぁって、開いて眺めていただけよ」
「そんなのズルい!ズルいズルいズルいわ!」
「はいはい、ごめんね」
 すっと距離を詰めて、スカーレットはハンカチで頬を拭ってくれた。
 クララは、涙を流す程に感情的になっていた自分に驚いた。自分の感情をさらけ出す勇気なんて、今まで持っていなかったのに。
(何故か素直になれる・・・本で出会っただけの他人だから?それとも、スカーレットは特別な人なの?)
 クララの気持ちの揺れを知ってか知らずか、スカーレットはふいっと離れて、クルリと一回転する。
 その脚運びをとても品やかだと感心した。またクルリと向いて、今度は伸びをして見せる。
「そろそろ寝ようかな。いつも0時から1時間位本を読む事にしているの。
 クララはまだ読むの?だったら気を付けて、この次のページにはね・・・」
 言いかけた癖に、スカーレットは言葉を切った。この時ばかりは、悪戯っぽくない自然な照れ笑いを浮かべる。
「おっといけない『ネタバレ』やっちゃうトコだった。本を読む楽しみを奪っちゃいけないものね」
「ううん、私ももう寝ようかなって思ってたわ」
 物語の中で本を抱えてはいない。けれども、読書に一区切りつける方法は感覚として理解していた。現実世界の自分が、栞をしいて本を閉じる。イメージするのは、案外簡単な事だった。
「じゃあ一緒に本を閉じようか?い~い?せ~の!」

 机から無意識にベットに移っていたらしい。目を覚ますと朝ごはんぎりぎりの時間だった。
 寮母さんはクララの朝寝坊にちょっと驚いていた。いつもちゃんとお部屋の掃除をしてから食堂に来る娘なのに。
 クララははにかみながら、適当に夜更かしの理由を作って誤魔化した。
 その後は掃除をして洗濯をして、おやつにお団子を食べて。でもその間ずっと、昨夜の不思議な出来事を思い浮かべていた。何をしていても直ぐに気が逸れて、時計の針ばっかりに目をやって一日を過ごした。
 夕方になり夜になり、クララは昨夜と同じく本の表紙を机に置いて、そして考えに耽っていた。
(今日一日は本当に永かった。夜が来るのをこんなにも待ち遠しく思った事は無いわ・・・)
 本の表紙に震える手を乗せると、胸の鼓動が高まるのを感じた。深く深く深呼吸をして心に問い掛けた。
(私はそんなにも、スカーレットに逢いたいの?)
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