クローゼットの向こうは王様の寝室でした

古夏

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クローゼットの向こうは王様の寝室でした -1-

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 十一月某日。昼間でもコートなしでは出歩くのが厳しい寒さの中、久我優人くが ゆうとは家までの道のりを、いつもより時間をかけて歩いていた。

「進路……進路って言われてもなあ」

 時折吹く風に手に持ったプリントが煽られる。プリントには大きく進路調査票の文字があり、それが帰宅の足を重くさせていた。

「……出来損ないに将来を聞かれても困るんだけど」

 花金と呼ばれる本日。帰りのHRで配られたそれには、三者面談を行う旨も書かれていた。三者面談、つまり保護者を呼ぶ必要がある。親子関係が良好とは言えない優人は、いつもより独り言が多くなってしまう。
 この世には男女の性別のほかに、第二の性と呼ばれるアルファ、ベータ、オメガに振り分けられる。そのうち、優人はアルファ性だ。七歳の時に受けたバース検査で、アルファだと診断されたときは大騒ぎだった。
 ただその大騒ぎと言うのも、本当にこの子がアルファなのかと疑った両親が、再検査、再々検査をするという異常事態になったからだ。
 そもそもアルファであれば検査前でもその頭角を現し「ああ、この子はアルファだな」と分かるものだが、優人にはそれらが一切なかった。
年の離れた兄が二人いるが、二人ともアルファな上に検査前の時点で美少年と噂され、その才能を開花させていた。優人がアルファと発覚したのと同じ七歳のころ。長男の鷹斗たかとは医学書を寝物語にしていたし、次男の眞兎まさとは国内のピアノコンクールで優勝し、著名な演奏家に師事していた。
そんな華々しい兄たちに比べ、どうにもパッとしない三男坊が優人だ。見た目は悪くはないが、突出して良いところもない。ストレートの黒髪に、真っ黒な瞳。二重でころんとしたどんぐり目は愛らしいが、兄たちに比べると地味に映る。
同年代の平均身長よりは五センチほど高いはずなのに、筋肉が付きづらくひょろりとした体は頼りなく薄い。
頭脳も中の上。勉強をさせても三十人中、十番目程度。じゃあ運動は、音楽は、絵画はどうだと両親はあらゆる習い事をさせたが、そのどれも結果を残すことができなかった。

『この子はハズレだ』

 そう言われて育ってきた。そんな優人だからこそ、両親はおろか本人でさえもベータだろうと疑わなかった。検査なんてするだけ無駄だと言われていたが、法律で定められているため行った結果がアルファだった。三度の検査結果すべてがアルファだったとき、両親は優人を激しく責め立てた。

『アルファなのにどうしてこれくらいのことができないの!』
『久我の姓を名乗るアルファが、こんな出来損ないなんて! オメガのほうがまだましだ!』

 久我家は地元で有数の名家だった。代々久我総合病院の院長を務め、優秀なアルファを多く輩出してきた家系。本家と分家に分かれており、優人は本家の出身だった。それがより両親の不興を買った。
 そして散々優人を罵った両親は、優人にある約束をさせた。

『おまえはベータとして生きなさい』

 久我家の不出来なアルファでいるよりも、凡人なベータとして生きろ。そして絶対に自分がアルファ性であることは口外するな。それを約束できるなら、この家にいることを許そう。
 齢七歳にして人生の決断を迫られた優人は、頷くことしかできなかった。このとき泣かずに頷けたのは、生存本能に近いものだったのだろう。
幼いながらに兄たちとの差は感じていたし、両親の愛情が向けられていないことも理解していた。そんな自分が生きていくには、ベータである必要がある。
なるだけ目立たず、騒がず、平凡に生きること。ただそれだけが優人にとって生きる道だった。

「あー、どうしよ、やっぱこれ連絡しなきゃダメだよな」

 優人はマンションのオートロックを解除しながら、すっかりくしゃくしゃになったプリントを睨みつけた。
 エレベーターに乗り込む際も、うっかり落とてエレベーターピットにプリントが吸い込まれてくれないかだとか考えてみたが、結局無事に自宅まで持ち帰ってしまった。
 五〇一号室。最上階角部屋。ここは両親が許した優人の居場所だった。

「ただいまー」

 なんとなく挨拶をしてしまうのは、実家にいた名残だ。それが時折虚しくなるが、つい口にしてしまう。
 靴を揃えて脱ぐことも、足音を立てずに歩くことも。帰ってきたら手洗いうがいをし、バッグの中身を明日の時間割に合わせて入れ替えることも、すべて何年も繰り返してきたことだ。
 同年代の子供に比べ、潔癖すぎるきらいがあることは優人も自覚している。それでもやめられないのは幼少期より厳しく躾けられた影響だろう。
 ただ、実家よりも、この2LDKの空間は息がしやすい。都内某所にあるこのマンションの一室は、両親が優人に買い与えたものだ。
 中学校三年の夏。地元の進学校への合格が難しいと分かるやいなや、地元を出て遠い東京で高校、大学へ進学するように命じられた。金とプライドは湯水のように有り余る家で、ベータとは言え二流、三流の学校へ通うことは認められなかった。
 そうなるくらいなら、誰も知り合いのいない遠くへ追いやった方がマシ。まだ国内に留めるだけ有難く思え。それが両親の出した答えだった。
 ただ、両親とは違い、優人を可愛がっていた兄たちは猛反対した。未成年を一人で遠くに住まわせるなんて、何かあったらどうするんだ。一般常識を問うた兄たちの言葉も、久我家という特殊な環境では意味をなさなかった。だが最終的にこの家にいるよりは、優人にとって良いと判断したのだろう。渋々ながらも見送ってくれた。

「そういえば、来週は鷹斗兄さんが来るんだっけ。……毎回学会のたびに来なくてもいいのに」

脳神経外科になった長男の鷹斗と、世界的ピアニストになった眞兎は、いまでも毎月のように様子を見に来てくれる。
どちらとも多忙を極めるというのに、三日に一度は必ずメッセージを送ってくるし、返事が遅れれば何かあったのかと電話が鳴る。次男の眞兎など、海外公演でヨーロッパにいても変わらず連絡してくるのだから、中々の弟馬鹿だ。

「夕飯何にしよう」

 実家にいたころは常に何人かの家政婦がおり、食事の世話をしてくれた。雇い主である父親の顔色を窺って、必要最低限の接触ではあったが、誰かの手料理を食べられたのは有難かった。

「んー、肉野菜炒めか」

 一人暮らしを始めて一年半。すっかり自炊にも慣れてしまった。
 久我の人間がアルバイトなんてするなという謎の方針のため、実家からの仕送りは毎月余るほど入金される。なので毎日外食でも問題はないし、実際一人暮らしを始めた当初は浮かれて外食三昧だったが、一週間でギブアップした。
 実家では和食を基本としていたため、大手外食チェーンの油と塩の多い味付けに胃もたれをおこしたのだ。
 それ以来、コンビニのレトルトやスーパーの総菜を使いつつ、自炊するようになった。最初は簡単な野菜炒めやカレーから。すると段々楽しくなっていき、今では唐揚げやてんぷらなどの揚げ物から、筑前煮などの少し手間のかかる和食までレパートリーが増えた。

「野菜ミックスと、この前冷凍しておいた牛肉と……」

 一人暮らしには不釣り合いな400L冷蔵庫の中には、几帳面にパッキングされた食材が並んでいる。節約の必要はないのだが、ついスーパーで安売りをしていると買い溜めしてしまう。
 いつ、両親の気が変わってもおかしくない。それが優人の行動すべての根底にあった。余らせた生活費はできるだけ貯金をし、生活も必要最低限に保つ。そうすることで、急に仕送りを切られたとしても数か月は生きていけるはずだ。
 もちろんそんなことになれば、兄たちも黙ってはいないだろう。ただ、優人はそんな兄たちの手を借りずに生きていきたかった。
 兄たちを疑っているわけではない。それでも人は変わるものだ。環境や状況など様々な要因で、選ぶものなどいくらでも変わる。そして自分が選ばれる側の人間だとは思っていない。

「あ、豆腐が賞味期限切れる。湯豆腐でいいか」

 近所の小学校から、夕方五時を告げるチャイムが鳴る。電気もつけずにいた薄暗い部屋の中で、冷蔵庫の明かりに照らされながら、優人はまた独り言を零した。

      ◇◆◇

「風呂上りのアイスはやっぱ特別だよなあ」

 夕食を終え、風呂に入った優人は週に一度のお楽しみにしているアイスを手にとると、三人掛けのソファに座る。座り心地の良いそれは、一人暮らしには大きすぎるが部屋に対してはちょうどいい。引っ越しの際に長男の鷹斗からプレゼントされたものだ。

「えっと、三者面談は……鷹斗兄さんに頼むか。連絡行ってもいやだし」

 世間の目を気にする両親は、例え出来損ないであっても優人の学校行事には顔を出した。ただ、それは優人にとっては苦痛でしかなかった。久我家の人間なのに、兄たちはもっとできていた。帰宅後はそうやって罵られるばかりで、褒められたことなど一度もない。
 そんな外面第一主義の両親へ、学校から連絡が行くのは避けたい。兄たちに頼らず生きていきたいと思っていても、こういった場面でやはり未成年の自分は弱い。

「……はやく大人になりたい」

 将来就きたい仕事があるわけでも、何か夢があるわけでもない。それでも、一日でも早く大人になりたかった。
 優人は大きなため息を吐きながら、アイスを頬張る。せっかくの週に一度のアイスデイなのだから、もう少しいい気分でいたかったが、進路調査票一枚でこんなふうになるなんて。憎らしくて仕方がない。でも嫌なことはさっさと片付けたいタイプの優人は、兄に三者面談がある旨のメッセージを送った。
 ちょうど面談期間と兄の訪問が重なるためか、すぐに了承の返信が届く。これで実家に連絡が行くことはないだろう。ほっと息を吐くと、心がいくらか軽くなる。

「そういえば、借りてきた本も読んじゃわないと」

 アイスを食べ終えた優人は、カップを捨てると寝室に向かった。
 2LDKのうち一部屋を寝室、もう一部屋は客間として使っている。客間と言っても来訪者は兄たちだけなので、使用頻度は高くない。

「シリーズものだから予約してやっと借りられたんだよなあ。やっぱり新刊は人気だな」

 質素倹約を信条としている優人の唯一の趣味は読書だった。絵本でも小説でも本の形をしていれば何でも読む、所謂本の虫と呼ばれるような人間だ。
 ジャンルもミステリーやSF、伝記まで様々なだが一番好きなのはファンタジーだった。本を読んでいる間は、勇者になったり魔法使いになったり、夢のような世界にいられる。そこでは『出来損ない』ではない何かでいられる。
 久我家には書庫があり、幸い本に興味のない家族は立ち入ることが少なく、そこは優人の唯一の居場所だった。自身の背丈より高い書棚に、梯子をかけてのぼるのが楽しく、まるで宝さがしのようで、飽きずに何時間でも籠っていられた。
 それは一人暮らしを始めた今も続いていて、学校や地域の図書館に行っては様々な本を借りてきて読むのが趣味になっている。

「どっちから読もうかな」

 今日は長編ファンタジー小説の続刊をようやく借りられた。人気のシリーズで、入荷前から予約していてようやく順番が回ってきたのだ。貸出期間は二週間だが、この厚さなら休みの間に読み終えられるだろう。
 他にもいくつか借りたが、早く読んで待っているだろう人たちに回したい。優人がベッド脇に置いた、帆布のトートバッグを手に取ろうとした瞬間、背後のクローゼットからガタリと音がする。

「ッ!」

 不審者か、幽霊か。
いくらあの両親でも、わざわざ事故物件を買い与えるようなことはするだろうか。……するかもしれない。わざわざ選んだと言うより、面倒だから適当に選んだ結果事故物件だったと言われたら納得できる。
 非常事態だからか、そんなことをぐるぐると考えてしまう。
 優人どくどくと脈打つ心臓のあたりを押さえながら、近くにあった折り畳み傘を手に取った。不審者であっても幽霊であっても、こんなもので応戦できるわけがないのだが、何か掴まないと不安で仕方なかったのだ。
 こんなことなら、次兄の眞兎が口うるさく持っておけと言っていた催涙スプレーを用意しておけばよかった。
 恐怖でうっすらと涙を浮かべた優人はごくりと唾を飲んだ。
 逃げようにも、ここからドアまではクローゼットの目の前を通らなくてはいけない。警察か兄にでも連絡をと思ったが、すぐに戻るからとスマホはリビングに置いてきてしまった。
 正に四面楚歌。武器はこの頼りない折り畳み傘だけ。

「く、くるなら来い!」

 いや、正直来ないで欲しい。むしろさっきの物音も聞き間違いだと願いたい。
 そんな優人の願いも虚しく、クローゼットの折れ戸がゆっくりと内側から開いていく。

「幽霊はやだ、幽霊はやだ、幽霊はやだ」

 不審者か幽霊なら、まだ物理的に攻撃できる方がマシだ。優人はぼろぼろと涙を溢しながら、震える手で折り畳み傘を握りしめていると、暗いクローゼットからのっそりと何かが姿を現した。

「……ここはどこ? 君は誰?」

 クローゼットから現れたのは、ふわりとしたブラウスにクラバット・タイを巻いた銀髪碧眼の王子様だった。

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