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クローゼットの向こうは王様の寝室でした -2-
しおりを挟む第一印象はずいぶん煌びやかな不審者だな、だった。なぜ幽霊じゃなく不審者だと判断したかというと、思い切り投げた折り畳み傘を華麗にキャッチされたからだ。
しくじった。それも盛大に。唯一の武器であった折り畳み傘は、敵の手の中にある。何かないかと視線をさ迷わせ、手近にあった枕を手に取って振り回してみた。
「……や、やだやだやだ!」
お願いだから出てってくれないか。不審者なのか強盗なのか、殺人犯なのかは分からないけれど、お金ならいくらか出せるので見逃してもらえないか。優人が枕を振り回しながら、泣きながらそんなことを訴えていると、それまでじっと立ったままだった不審者が動き出した。
「や、むり、やだ、たかとにいさん、まさとにいさん」
優人が泣きながら兄の名前を呼んでいると、枕が何かに当たって動きを止める。それが不審者の胸元だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「驚かしてごめんね。大丈夫……と言っても難しいだろうけど、何もしないと誓うから、話をさせてくれないか」
「ひっ」
「ひ?」
「ひとごろし、じゃないですか?」
泣きすぎて自分が何を口走っているのかも分からないのだろう。優人はぼろぼろと涙を溢しながら、目の前にいる男を見上げてそんなことを尋ねていた。
人殺しに人殺しじゃないか聞いたところで「はいそうです」と答えるはずがないだろう。いくら残念な頭だと言われて育った優人にだって、それくらいのことは理解できる。それでも今は常識が頭から抜け落ちるほど、酷いパニック状態だった。
「ふ、ふふ、笑ってごめんね。人殺しじゃないよ」
そう言って口元を押さえながら笑った不審者は、胸元にあった枕をそっと掴むとベッドに戻した。驚きに固まった優人はただされるがままで、気づけば両手を取られ、目の前には不審者が跪いていた。
「私の名前はアルカ・ジェルマン。ジェルマン王国の王だよ」
ゆっくりとまるで幼子に言い聞かせるような口調で告げられた名前と職業に、優人は脳内で盛大に疑問符を飛ばした。
「お、おうさま?」
思わずひらがなで発音してしまうほどの戸惑いだ。
今現在、世界には二十七カ国の王室、皇室がある。その中にジェルマン王国と呼ばれるものはないし、聞いたこともない。
それに自称王様の格好や外見からしても、ヨーロッパや北欧あたりが有力だが、王国以外でもそんな国はない。そもそもこんなたっぷりとしたブラウスと、クラバット・タイを締める人間が現代でいるのだろうか。
分からない。どこかの国の、それこそヨーロッパあたりで正装として取り入れられているかもしれないが、現代日本ではなかなかお目にかかれない。
それにこの男。とんでもなく大きかった。跪いていても頭が優人の胸元近くまで届いている。立っているときなど、優人が見上げるほどの高身長だった。
今は腹辺りで揺れてる銀髪も、光を湛えた煌めく青い瞳も、恐ろしいほど完璧に配置された顔のパーツも日本ではまず出会うことがない。
怖がらせないようにとの配慮で跪いているのだろうが、体の厚みやぴったりとしたスラックス越しにも分かる鍛えられた脚。見れば見るほど王様という職業が真実味を帯びてくる。
「本当に王様……?」
「ああ、ただ証明できるものが何もないな……。そうだ、これでどうだろう」
そう言って男が差し出したのは、掌ほどある大きなサファイアのブローチだった。深い青の周りは美しい銀装飾が施されており、上部には何か文字が刻まれている。
「これは王家に伝わるブローチで、王位を継承する際に王冠と一緒に戴くんだよ」
「王冠……」
「今ここにはないけどね」
そう言いながら王様ことアルカは、頭上で指をくるりと回した。その何気ない仕草だけで、光り輝く王冠の幻覚が見えるほど、アルカは高貴な佇まいをしていた。優人は先ほどまで泣きわめいていたのが嘘のように静かになり、こちらをじっと見上げるアルカを見下ろした。
「君の名前を聞いてもいいかな?」
「お、れは……久我優人です」
「クーガ?」
発音が難しいのだろうか。口の中で何度か優人の名前を繰り返すアルカの手を、優人は少しだけ引いた。
「久我はファミリーネームで、優人がファーストネーム。呼びやすい方でいいです。ゆうでもいいし」
「なるほど、じゃあユウと呼ばせてもらうね。私のことはアルカとでも呼んで欲しい」
おかしい。いくら自己紹介が済んだとは言え、クローゼットから登場した自称王様と和やかな雰囲気になるのは、あまりに緊張感に欠ける。ただ、ここまで驚きの連続だったからか、優人の警戒心はすっかりバグを起こしており、にこりと笑うアルカの眩しさに顔を背けていた。
「そうだ、ユウ。ここはユウの部屋……でいいのかな?」
「え? ああ、ここは俺の寝室ですね。アルカはどこから……」
そう言って優人がクローゼットに視線をやると、おかしなことに暗いはずのクローゼットから僅かに明かりが漏れていた。
「な、なんで光ってるんだ?」
「きっと私の部屋の明かりじゃないかな」
「え、なんでアルカの部屋が?」
「……うーん、見てもらった方が早いかもしれないね」
そういうと、アルカは優人の手を取ったまま立ち上がり、優しく手を引くとクローゼットの前にやってくる。
あれ、そういえばこの人土足のままだ。優人がちらりとアルカの足元に視線をやっていると、アルカが制服やコートをかき分けている。すると段々光りが強くなり、壁があるはずの場所には見知らぬ部屋が広がっていた。
「な、なにここ!?」
「私の寝室だね。正確には寝室のクローゼットの中」
「この、これが? ほんとに!?」
驚きのあまり開いた口が閉まらない。それと同時に、無視できないほど鼓動が強くなっていく。これは不安や恐怖ではない、期待だ。
クローゼットの向こうに、知らない世界が広がっている。まるで絵本や児童文学の世界だ。今まで夢にまで見た世界が、目の前にある。優人は頬を染め、興奮した様子でアルカの手を引いた。
「お、俺もアルカの世界に行ってみたい!」
なんとなく、本能で理解していた。ここから先は自分のいた世界とは違う。聞いたことのない国の名前も、突然魔法のように現れた男も、クローゼットの向こうに広がる見たことない景色も。すべてに興奮している。
爛々と目を輝かせる優人に、今度はアルカが目を丸くした。先ほどまで小さな子供のように怯えていたというのに、今は興奮に頬を染めて自分の手を引いている。でも強引かと言われたら、手を引く力はいじらしいほど僅かで、期待を込めた瞳でこちらを遠慮気味に見上げている。
自分よりいくつか年下だとは思ったが、これは想像よりも幼いかもしれない。アルカは安心させるように繋いだ手に力を込めると「いいよ、行こうか」と言って手を引いた。
そして二人はクローゼットの中に足を踏み入れる。
優人は光あふれる世界へ向け、期待に胸を膨らませた。これから何が起こるのかは分からない。それでも今いるこの場所よりも、より良い自分を見つけられますように。
そんなことを願いながら──。
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