クローゼットの向こうは王様の寝室でした

古夏

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クローゼットの向こうは王様の寝室でした -4-

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 翌日、土曜午前十一時。優人の姿は自宅の寝室にあった。
 夜更かしと興奮のせいか、すっかり寝坊してしまった。まだ熱を持っている頭のまま、体を起こすと視線の先にクローゼットがある。
 こうして改めて見てみても、何の変哲もない折れ戸のクローゼットで、まさか魔法の世界に繋がっているようには見えない。

「……夢じゃ、ないよね」

優人はベッドからおりると、クローゼットの前でじっと扉を見つめた。もし夢だったらと考えただけで、胸のあたりが落ち着かなくなる。
期待したり欲しがったりするものじゃない。いくら望んでも手に入らないものは多い。特に出来損ないの自分が欲しがるだけ無駄だ。
 口の中で「期待しない、期待しない」と唱えながら、クローゼットの扉に手をかける。触れた金属製の取っ手の冷たさに、僅かに指先が跳ねた。

「アルカがいたらパジャマだとあれだし、着替えてからにしようかな」

 確かめるのを先延ばしにするために、スウェットを引っ張りながらそんな言い訳をしてみる。誰に聞かせるわけでもない言い訳は、ぐるりと部屋を巡り優人のもとへ戻ってきた。

「……いや、着替えこの中じゃん」

 その事実に優人はがっくりと肩を落とした。
 パジャマやいくつかの家着と下着類は洗面所にしまっているため昨日は気づかなかったが、外出着や制服はクローゼットの中にしまっている。
そうなると他人様に会っても問題ない格好は難しい。一年ほど着ている少しよれたスウェットを見下ろしながら、優人は悶々と悩み始めた。幸い、食料は買い溜めしているので出かける用事はないのだが、着替えられないとなるとそわそわと落ち着かなくなる。

「いや、開けて万が一アルカ以外がいたら困るし……アルカがいつ来るか分からないけど、待ってみるか」

 昨日、アルカは自分から会いに行くと言っていた。それを思い出した優人は、扉からそっと離れる。
 数歩下がって見たクローゼットからはアルカの気配もなければ、何の物音もしない。
もしかしたら、もうアルカには会えないかもしれない。昨晩から見ないようにしていた考えがふと頭を過ぎり、それだけでじわりと目尻が熱くなった。
昨日から何だかおかしいこと続きだ。優人は熱くなった目尻を、スウェットの袖で乱暴に拭った。
厳しい両親の影響と、すっかり引っ込み思案になってしまった優人の性格のせいか、今まで友達がいたことはない。
 中学校までは当たり障りのない交友関係を築いてきたが、放課後に遊んだり誰かを家に招いたことはない。どこへ行っても大人からは「久我家の三男坊」と言われたし、子供たちもそれを感じ取ってかいつも遠巻きにされていた。
虐められたり無視されることはないが、深く付き合うこともない。何の問題も起こさないよう、適度な相槌や曖昧な笑顔で乗り越えてきた。その癖は東京に出てきてからも抜けず、両親の目もなくなったせいか、優人の交友関係は更に酷くなる一方だった。
 深い関係になれば、そのうち実家のことや、もしかしたら出来損ないのアルファであることが知られてしまうかもしれない。その不安はどこに行っても優人について回った。

「……でも、アルカは何も知らないから」

 クローゼットが異世界に繋がるなんて、現実では起こりえない。でも実際、昨晩は異世界人であるアルカと話をした。魔法のこと、世界のこと、少しだけ自分のこと。今まで誰に対しても心を閉ざしてきたのに、アルカの前では自然と話せた。
 それは彼が異世界の人間で、久我の家のことも、バース性についても知らないからだ。バース性については、昨日は話に出なかっただけかもしれないが、それでも自分のことを何も知らない人間と話せる時間は、まるで宝物のようだった。
 楽しくてつい時間を忘れるなど、読書以外で感じたことがない。それほどアルカとの時間は心地よく、まだ出会ったばかりだというのにもう会いたくなっている。

「友達……ってこういうかんじ?」

 優人はふわりと温かくなった胸を不思議そうに見下ろした。今までいたことがないのだから、無理もない。兄たちとも違う心地良さは何だかむず痒く、優人はきゅっと唇を引き結んだ。

「大丈夫、たぶん、繋がってる」

 アルカが来るのを待とう。そうだ、次はもっとうまく話せるように、この世界のことをまとめておくのも良いかもしれない。インターネットがどうやって使えるようになるのか、電話が繋がる原理は何だろう。インフラはもちろん、政治や経済、気象などありとあらゆるものが気になり始める。
 昨日まで惰性や何となく生活の延長線としか見ていなかった事柄が、急に色づき文字通り見える景色が変わった。
 ずっと待ちわびていた本の表紙を捲る瞬間のような、首の後ろを期待と興奮がなぞる。

「とりあえずほったらかしにしてたパソコンを使おう」

 次兄の眞兎が引っ越し祝いにとくれたノートパソコンが日の目を見る日が来るとは──。心の中で兄に礼を言った優人は、引き出しにしまったままにしていたパソコンを取り出した。

「えっと、電源がこれで……ああ、セットアップはしてくれたって言ってたな」

 過保護な眞兎は、優人に渡す際に「店の人に全部やってもらったし、ネットの接続とかは俺がやったからすぐ使えるよ」と言っていた。
 正直、使う機会はそんなにないだろうと思っていたので、そこまでしなくても……という気持ちもあったのだが、今は手を合わせたい気分だ。今まで興味がなかったので、パソコンのセットアップを一人でやり切る自信がない。

「よっし。じゃあとりあえず水道から調べるか」

 水道、使える理由、日本。優人はぎこちない手つきで検索バーに単語を打ち込んでいく。学校の授業で使うことはあっても、ブラインドタッチができるほどではない。
 それでも挑戦しようと思ったのは、新しいことをしてみたかったからだ。
 今度アルカに会ったら、自分の世界の話を自分の言葉で伝えたい。逃げずにいられる自分でいたい。
 自然とそう思えたことに、優人自身は自覚がなかったが、確かに彼の纏う空気は変わり始めていた。

「ちゃんと十六歳なんだってところ見せてやる」

 昨晩のしょぼくれた犬のようになっていたアルカを思い出し、優人は思わずぷっと吹き出した。
 ああ、こんなにわくわくしながら何かを学ぶのは初めてかもしれない。優人はルーズリーフとシャーペンを手に取ると、日本の下水処理技術のすばらしさについて書き留め始めた。
 まるで乾いたスポンジが水を吸うように、書き写した知識がどんどん吸収されていく。
 一方でペンを握る強さや、紙を滑るシャーペンの音が不思議なほど鮮明に感じられた。

「……新しいことを知るのって、楽しいんだな」

 確かにいま、優人の世界が変わり始めた瞬間だった。
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