刻限

都丸譲二

文字の大きさ
3 / 22

第3話 同じ数字

しおりを挟む
月曜の朝。
国木市の駅前ロータリーは、冷え込む空気を押しのけるように熱を帯びていた。
バスが何台も吐き出す排気ガスが白く立ちのぼり、タクシーがクラクションを鳴らして列をさばく。
スーツ姿の会社員たちがスマートフォンを耳に当てながら歩き、学生たちは眠そうな顔で改札へ急ぎ、コンビニ前では湯気を立てるコーヒーを片手に新聞を広げる男がいる。
雑踏のざわめき、電車の発車ベル、革靴がアスファルトを叩く音が渦を巻き、朝の光景を作っていた。

その中を歩きながら、九重誠治郎はいつもの癖で視線を上げた。
人々の頭上に――赤い数字が浮かぶかどうか。

一度見えてしまえば、確認せずにはいられない。
もはやそれは日課のように、彼の動作に染みついていた。

女子高生。
〈317d 14:02:59〉

主婦らしき女性。
〈172d 09:45:32〉

中年のサラリーマン。
〈211d 05:44:12〉

数字のある者、ない者。
寿命が一年を超える人間には何も浮かばない。
一年以内に死ぬ人間だけに、赤い刻限が突きつけられる。
この数週間で、九重は嫌というほどそれを理解していた。



そのときだった。
改札へ急ぐスーツ姿の中年男性。
肩にビジネスバッグを掛け、眉間に皺を寄せてスマホを見ながら歩いている。
その頭上に、鮮烈な赤が浮かんでいた。

〈11d 05:12:23〉

「……十一日……」

九重の足が止まる。
十一日後。
短いようで、長いような中途半端な刻限。
だがその数字は、なぜか脳裏に焼き付いて離れなかった。

男は気づかぬまま、雑踏に消えていく。
ネクタイの先が風に揺れ、改札機の電子音が鳴った。
だが九重には、赤い数字だけが鮮明に残っていた。



昼休み。
署の窓から外を眺めていた九重は、信号待ちをしている若い女性に目を止めた。
黒いコートに身を包み、買い物袋を両手に提げている。
その頭上にも赤い数字が浮かんでいた。

〈11d 18:44:10〉

息が詰まった。
今朝の男と同じ「十一日」。
時刻は違う。
だが日数部分だけは、ぴたりと一致している。

(偶然……か?)

心の中で自問する。
数字は人によってばらばらであるのが当然だ。
数時間後に死ぬ者もいれば、数百日残されている者もいる。
これまで、同じ日数を持つ人間を連続して見たことはなかった。

だが今、自分は二人連続で「十一日」という刻限を目にしている。



夕刻。
帰宅途中、駅のベンチで新聞を広げる老人の姿があった。
その頭上にも、やはり数字が浮かんでいた。

〈11d 22:33:55〉

三人目。
そして全員が、同じ残り日数を示している。

「……っ」

喉がひりついた。
これが偶然である可能性は限りなく低い。
数字は個人の寿命を示すものだと考えてきた。
だが、複数人に同じ残り日数が現れている。
それは――「同じ日に、複数の人間が死ぬ」未来を示しているのではないか。

(十一日後……何が起きる?)

冷たい汗が背筋を伝った。
街のざわめきが遠のき、赤い数字だけが視界を支配する。



九重は雑踏の中に立ち尽くしていた。
朝も、昼も、夕方も。
異なる場所で、異なる人間に、同じ刻限が突きつけられている。

これは「偶然」ではない。
十一日後、この街で何かが起きる。
大勢の命を巻き込む――災厄の予兆。

拳を握りしめ、九重は空を見上げた。
ネオンの光よりも鮮烈に、赤い数字が夜の気配に燃えていた。

十一日後――。
その刻限を背負う人間は、一人や二人ではなかった。

火曜の朝。
通勤路にある商店街は、開店準備に追われる店員たちの声で賑わっていた。
魚屋からは氷の溶ける音と潮の匂い、八百屋の前では山積みのキャベツに水を打つ音が響いている。
揚げ物屋から立ちのぼる油の匂いに、学生たちの視線が吸い寄せられる。
その人波の中を歩きながら、九重誠治郎はまた無意識に視線を上げた。

パン屋の前でフランスパンを抱える主婦。
その頭上に、赤い数字が滲んでいた。

〈10d 23:59:42〉

「……十日」

昨日、駅前で見た「十一日」が、一日減っている。
驚きよりも、妙な確信があった。
あの数字は時計のように正確だ。
一秒ごとに刻まれ、未来へ収束していく。

主婦は袋を抱えて笑顔で歩き去った。
何も知らない。
十日後、自分が死ぬことなど想像もせずに。



昼下がり。
署の外回りから戻る途中、駅の売店で雑誌を立ち読みするサラリーマンの頭上にも赤い数字があった。

〈10d 17:08:55〉

通学路で自転車を走らせる高校生。
〈10d 19:33:21〉

夕方、スーパーで野菜を選ぶ若い母親。
〈10d 21:11:07〉

どの数字も「十日後」を示していた。
時間はそれぞれ異なる。
だが日付部分は、驚くほど正確に揃っていた。

(……やはり偶然じゃない)



夜。
署の資料室は蛍光灯の白い光に照らされ、紙の山とインクの匂いに満ちていた。
九重は段ボールの隙間に腰を下ろし、頭を抱える。

「……これは、個人の寿命じゃない」

独り言のように声が漏れる。
これまで、数字は「その人個人の死」を意味していると思っていた。
だが今は違う。
複数の人間が、同じ日付を背負っている。
つまり「出来事」だ。
十日後、この街で大勢の命が同時に消える。

(災害か? 事件か? ……それとも)

思考はぐるぐると巡った。
自然災害の予兆はニュースにない。
だが――。

最近、県内では不可解な出来事が続いていた。
高速道路で連続するガス爆発未遂。
工業団地での不審火。
署内の会議では「テロの可能性」が取り沙汰されていたが、確たる証拠はない。

九重の直感は、赤い数字と事件を結びつけていた。
十日後、それは起きる。
自分も――巻き込まれるのではないか。



翌日。水曜の夜。
帰宅途中、繁華街のショーウィンドウに映る自分の姿をふと見た。
その瞬間、息が止まった。

〈10d 21:58:17〉

「……っ!」

頭上に、赤い数字が浮かんでいる。
これまで決して表示されなかったはずの、自分自身の刻限。

(俺も……一緒に死ぬ?)

心臓が荒々しく跳ね、背中に冷たい汗が流れた。
周囲の喧噪が遠のき、ネオンの光が赤く滲んでいく。
数字は消えない。
ただ冷徹に、秒を刻み続ける。

拳を握り、九重は立ち尽くした。
もはや偶然ではなかった。
十日後、この街で――自分を含めた無数の命が消える。
その未来を前にして、どうすることもできなかった。

木曜の朝。
国木警察署の刑事課執務室は、電話のベルと書類をめくる音でざわついていた。
空き巣、ひったくり、酔っぱらいの喧嘩――所轄の業務はいつもどおり山積みだ。
しかし、その空気の底に、見えない緊張が流れていることを九重誠治郎は感じ取っていた。

自分の頭上に現れた赤い数字。
〈10d 21:58:17〉。
街で見かけた多くの人々と同じ刻限。
それが刻一刻と減り続けている。
書類の文字を追いながらも、意識の半分は数字に囚われていた。



昼前。
課長に呼ばれ、刑事たちは会議室に集められた。
普段の所轄会議とは違う。
壁際には県警本部の捜査一課の刑事たちが立ち並び、机の上には厚いファイルが積まれていた。
前に立ったのは、桐ノ宮県警察本部 捜査一課の桜井警部。
合同捜査本部の設置が告げられる。

「ここ数週間、県内の複数都市で不審な爆発や火災が連続しています。
 幸い死者は出ていませんが、いずれも公共性の高い施設が狙われています」

配布された資料に、日付と場所が並んでいた。

・桐ノ宮市 送電施設 小規模爆発
・南条市 高速道路下 ガス管損傷
・東雲市 工業団地 爆発未遂
・久世市 下水処理場 不審火

地図上に赤いマーカーが打たれ、都市を結ぶと、まるで一点に収束するように見える。

「手口の共通性から、我々は組織的な犯行の可能性を重視しています。
 本部に合同捜査本部を立ち上げました。各署からも応援を要請します。国木署からは……」

視線が九重たちに向いた。
「お前らにも現場対応と情報収集で協力してもらう」

会議室の空気がさらに張り詰めた。
普段は地元の揉め事ばかり追う所轄の刑事たちも、この瞬間は国家的な事件の渦に巻き込まれたことを悟った。



九重は配布資料に目を落とした。
都市名、日時、爆発物の種類。
表面上はただの捜査資料。
だが、彼の脳裏には赤い数字が重なっていた。

(十日後……これは偶然じゃない。
 この連続爆発は、大規模な本番に向けた予兆だ)

数字は示していた。
死の刻限は個人ではなく「出来事」に結びついている。
十日後、桐ノ宮県のどこかで、大勢の命が一度に消える。
そして――自分もその中に含まれている。

背中を冷たい汗が伝った。
胸ポケットの中のペンが小さく震える。
他の刑事たちが真剣な表情で資料をめくる中、九重だけが赤い数字の残像に囚われていた。



会議後、廊下に出たところで佐伯警部補が声をかけてきた。
「九重、大丈夫か。顔色が悪いぞ」

「……ええ」
九重はかろうじて返したが、声はかすれていた。

「本部案件になったからって、必要以上に気負うな。俺たちは所轄だ。やれることをやればいい」

佐伯はそう言って肩を叩いた。
その温かさが、逆に九重の孤独を際立たせた。
(俺だけが知っている……十日後に大勢が死ぬことを)

廊下の窓の外。
人々の頭上に浮かぶ赤い数字。
すべて同じ日数を示している。

拳を握りしめ、九重は深く息を吐いた。
その音は、自分にしか聞こえない決意のようでもあった。

夜の国木市。
繁華街のネオンはまだ消える気配がなく、居酒屋の暖簾をくぐる客たちの笑い声が交錯していた。
路地裏にはアルコールと油の匂いがこもり、ビルの隙間を抜ける風は冷たかった。
九重誠治郎はコートの襟を立て、足早に歩いていた。

脳裏に焼き付いているのは、昼間の合同捜査本部の会議。
県内各地で連続する爆発未遂。
公共施設、インフラ、どれも人々の生活に直結する場所が狙われていた。
そして自分の頭上に浮かぶ数字――

〈9d 21:42:08〉

一日減った。
確実に刻限は迫ってきている。



「九重さん」

背後から呼ばれて振り向くと、若手刑事の井川が紙袋を下げて立っていた。
スーツにネクタイを緩め、肩には疲れがにじんでいる。
「ちょうど帰りですか。俺もです。いやあ……本部の会議ってやつは、やっぱり緊張しますね」

九重は歩みを緩めた。
井川は気楽そうに続ける。
「でも、正直ピンと来ないんですよ。爆発とかテロとか、映画みたいで。俺たち所轄の刑事には、縁遠い話に思えて」

その無邪気な声に、九重の胸が重くなった。
(……お前も、九日後には死ぬかもしれないんだ)

井川の頭上に、やはり赤い数字があった。

〈9d 10:15:37〉

「井川」
思わず声が強くなる。
「お前……家族はいるのか」

「え? ああ、妻と子供が。まだ三歳ですけど」
井川は照れ笑いを浮かべた。
「なんです? 急に」

九重は答えられなかった。
伝えたい真実は喉までせり上がっていたが、吐き出すことはできない。
数字のことを話せば、きっと狂気の沙汰だと思われる。
ただ、言えない苦しみだけが胸を締めつけた。



井川と別れた後も、九重は繁華街を歩き続けた。
行き交う人々の頭上に、赤い数字が浮かんでいる。
スーツ姿の会社員、買い物帰りの母親、学生服の少年。
誰もが「九日後」の刻限を背負っていた。

彼らは笑い、苛立ち、スマートフォンを操作し、日常を送っている。
だが、その日常は九日後に途切れる。
そのことに気づいているのは、この場で九重ただ一人だった。

(無知であることが……これほど幸福に見えるとはな)

拳をポケットの中で握りしめる。
視界の端で、数字だけが鮮烈に燃えていた。



深夜。
帰宅した部屋は冷え切っていた。
コートを椅子に掛け、ネクタイを外し、机の前に座る。
鏡がふと目に入った。
そこに映る自分の顔。
疲れ切った瞳の上に、赤い数字が灯っていた。

〈9d 21:41:50〉

「……あと九日」

声に出した瞬間、現実がさらに重くのしかかった。
自分だけならまだしも、街全体の人々が同じ日付を背負っている。
これはただの寿命ではない。
必ず起きる“大きな出来事”。
そして自分はそれを知ってしまった。



九重は目を閉じ、深く息を吐いた。
過去を思い返す。
交差点で救った子供。
乱闘で助けた加害者。
未来は、変えられた。
ならば、この“九日後”も――変えられるはずだ。

(防がなければならない。
 俺が知ってしまった以上、俺が動くしかない)

孤独でもいい。
理解されなくても構わない。
数字が突きつける未来に、ただ従うつもりはなかった。



窓の外。
眠らぬ街の灯りの上に、無数の赤い数字が浮かんでいた。
すべて「九日後」を指している。
その冷たい光を見据え、九重は静かに呟いた。

「必ず……防ぐ」

夜風がカーテンを揺らし、冷気が部屋に流れ込む。
だが九重の瞳には、赤い炎のような決意が宿っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

処理中です...