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第3話 同じ数字
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月曜の朝。
国木市の駅前ロータリーは、冷え込む空気を押しのけるように熱を帯びていた。
バスが何台も吐き出す排気ガスが白く立ちのぼり、タクシーがクラクションを鳴らして列をさばく。
スーツ姿の会社員たちがスマートフォンを耳に当てながら歩き、学生たちは眠そうな顔で改札へ急ぎ、コンビニ前では湯気を立てるコーヒーを片手に新聞を広げる男がいる。
雑踏のざわめき、電車の発車ベル、革靴がアスファルトを叩く音が渦を巻き、朝の光景を作っていた。
その中を歩きながら、九重誠治郎はいつもの癖で視線を上げた。
人々の頭上に――赤い数字が浮かぶかどうか。
一度見えてしまえば、確認せずにはいられない。
もはやそれは日課のように、彼の動作に染みついていた。
女子高生。
〈317d 14:02:59〉
主婦らしき女性。
〈172d 09:45:32〉
中年のサラリーマン。
〈211d 05:44:12〉
数字のある者、ない者。
寿命が一年を超える人間には何も浮かばない。
一年以内に死ぬ人間だけに、赤い刻限が突きつけられる。
この数週間で、九重は嫌というほどそれを理解していた。
⸻
そのときだった。
改札へ急ぐスーツ姿の中年男性。
肩にビジネスバッグを掛け、眉間に皺を寄せてスマホを見ながら歩いている。
その頭上に、鮮烈な赤が浮かんでいた。
〈11d 05:12:23〉
「……十一日……」
九重の足が止まる。
十一日後。
短いようで、長いような中途半端な刻限。
だがその数字は、なぜか脳裏に焼き付いて離れなかった。
男は気づかぬまま、雑踏に消えていく。
ネクタイの先が風に揺れ、改札機の電子音が鳴った。
だが九重には、赤い数字だけが鮮明に残っていた。
⸻
昼休み。
署の窓から外を眺めていた九重は、信号待ちをしている若い女性に目を止めた。
黒いコートに身を包み、買い物袋を両手に提げている。
その頭上にも赤い数字が浮かんでいた。
〈11d 18:44:10〉
息が詰まった。
今朝の男と同じ「十一日」。
時刻は違う。
だが日数部分だけは、ぴたりと一致している。
(偶然……か?)
心の中で自問する。
数字は人によってばらばらであるのが当然だ。
数時間後に死ぬ者もいれば、数百日残されている者もいる。
これまで、同じ日数を持つ人間を連続して見たことはなかった。
だが今、自分は二人連続で「十一日」という刻限を目にしている。
⸻
夕刻。
帰宅途中、駅のベンチで新聞を広げる老人の姿があった。
その頭上にも、やはり数字が浮かんでいた。
〈11d 22:33:55〉
三人目。
そして全員が、同じ残り日数を示している。
「……っ」
喉がひりついた。
これが偶然である可能性は限りなく低い。
数字は個人の寿命を示すものだと考えてきた。
だが、複数人に同じ残り日数が現れている。
それは――「同じ日に、複数の人間が死ぬ」未来を示しているのではないか。
(十一日後……何が起きる?)
冷たい汗が背筋を伝った。
街のざわめきが遠のき、赤い数字だけが視界を支配する。
⸻
九重は雑踏の中に立ち尽くしていた。
朝も、昼も、夕方も。
異なる場所で、異なる人間に、同じ刻限が突きつけられている。
これは「偶然」ではない。
十一日後、この街で何かが起きる。
大勢の命を巻き込む――災厄の予兆。
拳を握りしめ、九重は空を見上げた。
ネオンの光よりも鮮烈に、赤い数字が夜の気配に燃えていた。
十一日後――。
その刻限を背負う人間は、一人や二人ではなかった。
火曜の朝。
通勤路にある商店街は、開店準備に追われる店員たちの声で賑わっていた。
魚屋からは氷の溶ける音と潮の匂い、八百屋の前では山積みのキャベツに水を打つ音が響いている。
揚げ物屋から立ちのぼる油の匂いに、学生たちの視線が吸い寄せられる。
その人波の中を歩きながら、九重誠治郎はまた無意識に視線を上げた。
パン屋の前でフランスパンを抱える主婦。
その頭上に、赤い数字が滲んでいた。
〈10d 23:59:42〉
「……十日」
昨日、駅前で見た「十一日」が、一日減っている。
驚きよりも、妙な確信があった。
あの数字は時計のように正確だ。
一秒ごとに刻まれ、未来へ収束していく。
主婦は袋を抱えて笑顔で歩き去った。
何も知らない。
十日後、自分が死ぬことなど想像もせずに。
⸻
昼下がり。
署の外回りから戻る途中、駅の売店で雑誌を立ち読みするサラリーマンの頭上にも赤い数字があった。
〈10d 17:08:55〉
通学路で自転車を走らせる高校生。
〈10d 19:33:21〉
夕方、スーパーで野菜を選ぶ若い母親。
〈10d 21:11:07〉
どの数字も「十日後」を示していた。
時間はそれぞれ異なる。
だが日付部分は、驚くほど正確に揃っていた。
(……やはり偶然じゃない)
⸻
夜。
署の資料室は蛍光灯の白い光に照らされ、紙の山とインクの匂いに満ちていた。
九重は段ボールの隙間に腰を下ろし、頭を抱える。
「……これは、個人の寿命じゃない」
独り言のように声が漏れる。
これまで、数字は「その人個人の死」を意味していると思っていた。
だが今は違う。
複数の人間が、同じ日付を背負っている。
つまり「出来事」だ。
十日後、この街で大勢の命が同時に消える。
(災害か? 事件か? ……それとも)
思考はぐるぐると巡った。
自然災害の予兆はニュースにない。
だが――。
最近、県内では不可解な出来事が続いていた。
高速道路で連続するガス爆発未遂。
工業団地での不審火。
署内の会議では「テロの可能性」が取り沙汰されていたが、確たる証拠はない。
九重の直感は、赤い数字と事件を結びつけていた。
十日後、それは起きる。
自分も――巻き込まれるのではないか。
⸻
翌日。水曜の夜。
帰宅途中、繁華街のショーウィンドウに映る自分の姿をふと見た。
その瞬間、息が止まった。
〈10d 21:58:17〉
「……っ!」
頭上に、赤い数字が浮かんでいる。
これまで決して表示されなかったはずの、自分自身の刻限。
(俺も……一緒に死ぬ?)
心臓が荒々しく跳ね、背中に冷たい汗が流れた。
周囲の喧噪が遠のき、ネオンの光が赤く滲んでいく。
数字は消えない。
ただ冷徹に、秒を刻み続ける。
拳を握り、九重は立ち尽くした。
もはや偶然ではなかった。
十日後、この街で――自分を含めた無数の命が消える。
その未来を前にして、どうすることもできなかった。
木曜の朝。
国木警察署の刑事課執務室は、電話のベルと書類をめくる音でざわついていた。
空き巣、ひったくり、酔っぱらいの喧嘩――所轄の業務はいつもどおり山積みだ。
しかし、その空気の底に、見えない緊張が流れていることを九重誠治郎は感じ取っていた。
自分の頭上に現れた赤い数字。
〈10d 21:58:17〉。
街で見かけた多くの人々と同じ刻限。
それが刻一刻と減り続けている。
書類の文字を追いながらも、意識の半分は数字に囚われていた。
⸻
昼前。
課長に呼ばれ、刑事たちは会議室に集められた。
普段の所轄会議とは違う。
壁際には県警本部の捜査一課の刑事たちが立ち並び、机の上には厚いファイルが積まれていた。
前に立ったのは、桐ノ宮県警察本部 捜査一課の桜井警部。
合同捜査本部の設置が告げられる。
「ここ数週間、県内の複数都市で不審な爆発や火災が連続しています。
幸い死者は出ていませんが、いずれも公共性の高い施設が狙われています」
配布された資料に、日付と場所が並んでいた。
・桐ノ宮市 送電施設 小規模爆発
・南条市 高速道路下 ガス管損傷
・東雲市 工業団地 爆発未遂
・久世市 下水処理場 不審火
地図上に赤いマーカーが打たれ、都市を結ぶと、まるで一点に収束するように見える。
「手口の共通性から、我々は組織的な犯行の可能性を重視しています。
本部に合同捜査本部を立ち上げました。各署からも応援を要請します。国木署からは……」
視線が九重たちに向いた。
「お前らにも現場対応と情報収集で協力してもらう」
会議室の空気がさらに張り詰めた。
普段は地元の揉め事ばかり追う所轄の刑事たちも、この瞬間は国家的な事件の渦に巻き込まれたことを悟った。
⸻
九重は配布資料に目を落とした。
都市名、日時、爆発物の種類。
表面上はただの捜査資料。
だが、彼の脳裏には赤い数字が重なっていた。
(十日後……これは偶然じゃない。
この連続爆発は、大規模な本番に向けた予兆だ)
数字は示していた。
死の刻限は個人ではなく「出来事」に結びついている。
十日後、桐ノ宮県のどこかで、大勢の命が一度に消える。
そして――自分もその中に含まれている。
背中を冷たい汗が伝った。
胸ポケットの中のペンが小さく震える。
他の刑事たちが真剣な表情で資料をめくる中、九重だけが赤い数字の残像に囚われていた。
⸻
会議後、廊下に出たところで佐伯警部補が声をかけてきた。
「九重、大丈夫か。顔色が悪いぞ」
「……ええ」
九重はかろうじて返したが、声はかすれていた。
「本部案件になったからって、必要以上に気負うな。俺たちは所轄だ。やれることをやればいい」
佐伯はそう言って肩を叩いた。
その温かさが、逆に九重の孤独を際立たせた。
(俺だけが知っている……十日後に大勢が死ぬことを)
廊下の窓の外。
人々の頭上に浮かぶ赤い数字。
すべて同じ日数を示している。
拳を握りしめ、九重は深く息を吐いた。
その音は、自分にしか聞こえない決意のようでもあった。
夜の国木市。
繁華街のネオンはまだ消える気配がなく、居酒屋の暖簾をくぐる客たちの笑い声が交錯していた。
路地裏にはアルコールと油の匂いがこもり、ビルの隙間を抜ける風は冷たかった。
九重誠治郎はコートの襟を立て、足早に歩いていた。
脳裏に焼き付いているのは、昼間の合同捜査本部の会議。
県内各地で連続する爆発未遂。
公共施設、インフラ、どれも人々の生活に直結する場所が狙われていた。
そして自分の頭上に浮かぶ数字――
〈9d 21:42:08〉
一日減った。
確実に刻限は迫ってきている。
⸻
「九重さん」
背後から呼ばれて振り向くと、若手刑事の井川が紙袋を下げて立っていた。
スーツにネクタイを緩め、肩には疲れがにじんでいる。
「ちょうど帰りですか。俺もです。いやあ……本部の会議ってやつは、やっぱり緊張しますね」
九重は歩みを緩めた。
井川は気楽そうに続ける。
「でも、正直ピンと来ないんですよ。爆発とかテロとか、映画みたいで。俺たち所轄の刑事には、縁遠い話に思えて」
その無邪気な声に、九重の胸が重くなった。
(……お前も、九日後には死ぬかもしれないんだ)
井川の頭上に、やはり赤い数字があった。
〈9d 10:15:37〉
「井川」
思わず声が強くなる。
「お前……家族はいるのか」
「え? ああ、妻と子供が。まだ三歳ですけど」
井川は照れ笑いを浮かべた。
「なんです? 急に」
九重は答えられなかった。
伝えたい真実は喉までせり上がっていたが、吐き出すことはできない。
数字のことを話せば、きっと狂気の沙汰だと思われる。
ただ、言えない苦しみだけが胸を締めつけた。
⸻
井川と別れた後も、九重は繁華街を歩き続けた。
行き交う人々の頭上に、赤い数字が浮かんでいる。
スーツ姿の会社員、買い物帰りの母親、学生服の少年。
誰もが「九日後」の刻限を背負っていた。
彼らは笑い、苛立ち、スマートフォンを操作し、日常を送っている。
だが、その日常は九日後に途切れる。
そのことに気づいているのは、この場で九重ただ一人だった。
(無知であることが……これほど幸福に見えるとはな)
拳をポケットの中で握りしめる。
視界の端で、数字だけが鮮烈に燃えていた。
⸻
深夜。
帰宅した部屋は冷え切っていた。
コートを椅子に掛け、ネクタイを外し、机の前に座る。
鏡がふと目に入った。
そこに映る自分の顔。
疲れ切った瞳の上に、赤い数字が灯っていた。
〈9d 21:41:50〉
「……あと九日」
声に出した瞬間、現実がさらに重くのしかかった。
自分だけならまだしも、街全体の人々が同じ日付を背負っている。
これはただの寿命ではない。
必ず起きる“大きな出来事”。
そして自分はそれを知ってしまった。
⸻
九重は目を閉じ、深く息を吐いた。
過去を思い返す。
交差点で救った子供。
乱闘で助けた加害者。
未来は、変えられた。
ならば、この“九日後”も――変えられるはずだ。
(防がなければならない。
俺が知ってしまった以上、俺が動くしかない)
孤独でもいい。
理解されなくても構わない。
数字が突きつける未来に、ただ従うつもりはなかった。
⸻
窓の外。
眠らぬ街の灯りの上に、無数の赤い数字が浮かんでいた。
すべて「九日後」を指している。
その冷たい光を見据え、九重は静かに呟いた。
「必ず……防ぐ」
夜風がカーテンを揺らし、冷気が部屋に流れ込む。
だが九重の瞳には、赤い炎のような決意が宿っていた。
国木市の駅前ロータリーは、冷え込む空気を押しのけるように熱を帯びていた。
バスが何台も吐き出す排気ガスが白く立ちのぼり、タクシーがクラクションを鳴らして列をさばく。
スーツ姿の会社員たちがスマートフォンを耳に当てながら歩き、学生たちは眠そうな顔で改札へ急ぎ、コンビニ前では湯気を立てるコーヒーを片手に新聞を広げる男がいる。
雑踏のざわめき、電車の発車ベル、革靴がアスファルトを叩く音が渦を巻き、朝の光景を作っていた。
その中を歩きながら、九重誠治郎はいつもの癖で視線を上げた。
人々の頭上に――赤い数字が浮かぶかどうか。
一度見えてしまえば、確認せずにはいられない。
もはやそれは日課のように、彼の動作に染みついていた。
女子高生。
〈317d 14:02:59〉
主婦らしき女性。
〈172d 09:45:32〉
中年のサラリーマン。
〈211d 05:44:12〉
数字のある者、ない者。
寿命が一年を超える人間には何も浮かばない。
一年以内に死ぬ人間だけに、赤い刻限が突きつけられる。
この数週間で、九重は嫌というほどそれを理解していた。
⸻
そのときだった。
改札へ急ぐスーツ姿の中年男性。
肩にビジネスバッグを掛け、眉間に皺を寄せてスマホを見ながら歩いている。
その頭上に、鮮烈な赤が浮かんでいた。
〈11d 05:12:23〉
「……十一日……」
九重の足が止まる。
十一日後。
短いようで、長いような中途半端な刻限。
だがその数字は、なぜか脳裏に焼き付いて離れなかった。
男は気づかぬまま、雑踏に消えていく。
ネクタイの先が風に揺れ、改札機の電子音が鳴った。
だが九重には、赤い数字だけが鮮明に残っていた。
⸻
昼休み。
署の窓から外を眺めていた九重は、信号待ちをしている若い女性に目を止めた。
黒いコートに身を包み、買い物袋を両手に提げている。
その頭上にも赤い数字が浮かんでいた。
〈11d 18:44:10〉
息が詰まった。
今朝の男と同じ「十一日」。
時刻は違う。
だが日数部分だけは、ぴたりと一致している。
(偶然……か?)
心の中で自問する。
数字は人によってばらばらであるのが当然だ。
数時間後に死ぬ者もいれば、数百日残されている者もいる。
これまで、同じ日数を持つ人間を連続して見たことはなかった。
だが今、自分は二人連続で「十一日」という刻限を目にしている。
⸻
夕刻。
帰宅途中、駅のベンチで新聞を広げる老人の姿があった。
その頭上にも、やはり数字が浮かんでいた。
〈11d 22:33:55〉
三人目。
そして全員が、同じ残り日数を示している。
「……っ」
喉がひりついた。
これが偶然である可能性は限りなく低い。
数字は個人の寿命を示すものだと考えてきた。
だが、複数人に同じ残り日数が現れている。
それは――「同じ日に、複数の人間が死ぬ」未来を示しているのではないか。
(十一日後……何が起きる?)
冷たい汗が背筋を伝った。
街のざわめきが遠のき、赤い数字だけが視界を支配する。
⸻
九重は雑踏の中に立ち尽くしていた。
朝も、昼も、夕方も。
異なる場所で、異なる人間に、同じ刻限が突きつけられている。
これは「偶然」ではない。
十一日後、この街で何かが起きる。
大勢の命を巻き込む――災厄の予兆。
拳を握りしめ、九重は空を見上げた。
ネオンの光よりも鮮烈に、赤い数字が夜の気配に燃えていた。
十一日後――。
その刻限を背負う人間は、一人や二人ではなかった。
火曜の朝。
通勤路にある商店街は、開店準備に追われる店員たちの声で賑わっていた。
魚屋からは氷の溶ける音と潮の匂い、八百屋の前では山積みのキャベツに水を打つ音が響いている。
揚げ物屋から立ちのぼる油の匂いに、学生たちの視線が吸い寄せられる。
その人波の中を歩きながら、九重誠治郎はまた無意識に視線を上げた。
パン屋の前でフランスパンを抱える主婦。
その頭上に、赤い数字が滲んでいた。
〈10d 23:59:42〉
「……十日」
昨日、駅前で見た「十一日」が、一日減っている。
驚きよりも、妙な確信があった。
あの数字は時計のように正確だ。
一秒ごとに刻まれ、未来へ収束していく。
主婦は袋を抱えて笑顔で歩き去った。
何も知らない。
十日後、自分が死ぬことなど想像もせずに。
⸻
昼下がり。
署の外回りから戻る途中、駅の売店で雑誌を立ち読みするサラリーマンの頭上にも赤い数字があった。
〈10d 17:08:55〉
通学路で自転車を走らせる高校生。
〈10d 19:33:21〉
夕方、スーパーで野菜を選ぶ若い母親。
〈10d 21:11:07〉
どの数字も「十日後」を示していた。
時間はそれぞれ異なる。
だが日付部分は、驚くほど正確に揃っていた。
(……やはり偶然じゃない)
⸻
夜。
署の資料室は蛍光灯の白い光に照らされ、紙の山とインクの匂いに満ちていた。
九重は段ボールの隙間に腰を下ろし、頭を抱える。
「……これは、個人の寿命じゃない」
独り言のように声が漏れる。
これまで、数字は「その人個人の死」を意味していると思っていた。
だが今は違う。
複数の人間が、同じ日付を背負っている。
つまり「出来事」だ。
十日後、この街で大勢の命が同時に消える。
(災害か? 事件か? ……それとも)
思考はぐるぐると巡った。
自然災害の予兆はニュースにない。
だが――。
最近、県内では不可解な出来事が続いていた。
高速道路で連続するガス爆発未遂。
工業団地での不審火。
署内の会議では「テロの可能性」が取り沙汰されていたが、確たる証拠はない。
九重の直感は、赤い数字と事件を結びつけていた。
十日後、それは起きる。
自分も――巻き込まれるのではないか。
⸻
翌日。水曜の夜。
帰宅途中、繁華街のショーウィンドウに映る自分の姿をふと見た。
その瞬間、息が止まった。
〈10d 21:58:17〉
「……っ!」
頭上に、赤い数字が浮かんでいる。
これまで決して表示されなかったはずの、自分自身の刻限。
(俺も……一緒に死ぬ?)
心臓が荒々しく跳ね、背中に冷たい汗が流れた。
周囲の喧噪が遠のき、ネオンの光が赤く滲んでいく。
数字は消えない。
ただ冷徹に、秒を刻み続ける。
拳を握り、九重は立ち尽くした。
もはや偶然ではなかった。
十日後、この街で――自分を含めた無数の命が消える。
その未来を前にして、どうすることもできなかった。
木曜の朝。
国木警察署の刑事課執務室は、電話のベルと書類をめくる音でざわついていた。
空き巣、ひったくり、酔っぱらいの喧嘩――所轄の業務はいつもどおり山積みだ。
しかし、その空気の底に、見えない緊張が流れていることを九重誠治郎は感じ取っていた。
自分の頭上に現れた赤い数字。
〈10d 21:58:17〉。
街で見かけた多くの人々と同じ刻限。
それが刻一刻と減り続けている。
書類の文字を追いながらも、意識の半分は数字に囚われていた。
⸻
昼前。
課長に呼ばれ、刑事たちは会議室に集められた。
普段の所轄会議とは違う。
壁際には県警本部の捜査一課の刑事たちが立ち並び、机の上には厚いファイルが積まれていた。
前に立ったのは、桐ノ宮県警察本部 捜査一課の桜井警部。
合同捜査本部の設置が告げられる。
「ここ数週間、県内の複数都市で不審な爆発や火災が連続しています。
幸い死者は出ていませんが、いずれも公共性の高い施設が狙われています」
配布された資料に、日付と場所が並んでいた。
・桐ノ宮市 送電施設 小規模爆発
・南条市 高速道路下 ガス管損傷
・東雲市 工業団地 爆発未遂
・久世市 下水処理場 不審火
地図上に赤いマーカーが打たれ、都市を結ぶと、まるで一点に収束するように見える。
「手口の共通性から、我々は組織的な犯行の可能性を重視しています。
本部に合同捜査本部を立ち上げました。各署からも応援を要請します。国木署からは……」
視線が九重たちに向いた。
「お前らにも現場対応と情報収集で協力してもらう」
会議室の空気がさらに張り詰めた。
普段は地元の揉め事ばかり追う所轄の刑事たちも、この瞬間は国家的な事件の渦に巻き込まれたことを悟った。
⸻
九重は配布資料に目を落とした。
都市名、日時、爆発物の種類。
表面上はただの捜査資料。
だが、彼の脳裏には赤い数字が重なっていた。
(十日後……これは偶然じゃない。
この連続爆発は、大規模な本番に向けた予兆だ)
数字は示していた。
死の刻限は個人ではなく「出来事」に結びついている。
十日後、桐ノ宮県のどこかで、大勢の命が一度に消える。
そして――自分もその中に含まれている。
背中を冷たい汗が伝った。
胸ポケットの中のペンが小さく震える。
他の刑事たちが真剣な表情で資料をめくる中、九重だけが赤い数字の残像に囚われていた。
⸻
会議後、廊下に出たところで佐伯警部補が声をかけてきた。
「九重、大丈夫か。顔色が悪いぞ」
「……ええ」
九重はかろうじて返したが、声はかすれていた。
「本部案件になったからって、必要以上に気負うな。俺たちは所轄だ。やれることをやればいい」
佐伯はそう言って肩を叩いた。
その温かさが、逆に九重の孤独を際立たせた。
(俺だけが知っている……十日後に大勢が死ぬことを)
廊下の窓の外。
人々の頭上に浮かぶ赤い数字。
すべて同じ日数を示している。
拳を握りしめ、九重は深く息を吐いた。
その音は、自分にしか聞こえない決意のようでもあった。
夜の国木市。
繁華街のネオンはまだ消える気配がなく、居酒屋の暖簾をくぐる客たちの笑い声が交錯していた。
路地裏にはアルコールと油の匂いがこもり、ビルの隙間を抜ける風は冷たかった。
九重誠治郎はコートの襟を立て、足早に歩いていた。
脳裏に焼き付いているのは、昼間の合同捜査本部の会議。
県内各地で連続する爆発未遂。
公共施設、インフラ、どれも人々の生活に直結する場所が狙われていた。
そして自分の頭上に浮かぶ数字――
〈9d 21:42:08〉
一日減った。
確実に刻限は迫ってきている。
⸻
「九重さん」
背後から呼ばれて振り向くと、若手刑事の井川が紙袋を下げて立っていた。
スーツにネクタイを緩め、肩には疲れがにじんでいる。
「ちょうど帰りですか。俺もです。いやあ……本部の会議ってやつは、やっぱり緊張しますね」
九重は歩みを緩めた。
井川は気楽そうに続ける。
「でも、正直ピンと来ないんですよ。爆発とかテロとか、映画みたいで。俺たち所轄の刑事には、縁遠い話に思えて」
その無邪気な声に、九重の胸が重くなった。
(……お前も、九日後には死ぬかもしれないんだ)
井川の頭上に、やはり赤い数字があった。
〈9d 10:15:37〉
「井川」
思わず声が強くなる。
「お前……家族はいるのか」
「え? ああ、妻と子供が。まだ三歳ですけど」
井川は照れ笑いを浮かべた。
「なんです? 急に」
九重は答えられなかった。
伝えたい真実は喉までせり上がっていたが、吐き出すことはできない。
数字のことを話せば、きっと狂気の沙汰だと思われる。
ただ、言えない苦しみだけが胸を締めつけた。
⸻
井川と別れた後も、九重は繁華街を歩き続けた。
行き交う人々の頭上に、赤い数字が浮かんでいる。
スーツ姿の会社員、買い物帰りの母親、学生服の少年。
誰もが「九日後」の刻限を背負っていた。
彼らは笑い、苛立ち、スマートフォンを操作し、日常を送っている。
だが、その日常は九日後に途切れる。
そのことに気づいているのは、この場で九重ただ一人だった。
(無知であることが……これほど幸福に見えるとはな)
拳をポケットの中で握りしめる。
視界の端で、数字だけが鮮烈に燃えていた。
⸻
深夜。
帰宅した部屋は冷え切っていた。
コートを椅子に掛け、ネクタイを外し、机の前に座る。
鏡がふと目に入った。
そこに映る自分の顔。
疲れ切った瞳の上に、赤い数字が灯っていた。
〈9d 21:41:50〉
「……あと九日」
声に出した瞬間、現実がさらに重くのしかかった。
自分だけならまだしも、街全体の人々が同じ日付を背負っている。
これはただの寿命ではない。
必ず起きる“大きな出来事”。
そして自分はそれを知ってしまった。
⸻
九重は目を閉じ、深く息を吐いた。
過去を思い返す。
交差点で救った子供。
乱闘で助けた加害者。
未来は、変えられた。
ならば、この“九日後”も――変えられるはずだ。
(防がなければならない。
俺が知ってしまった以上、俺が動くしかない)
孤独でもいい。
理解されなくても構わない。
数字が突きつける未来に、ただ従うつもりはなかった。
⸻
窓の外。
眠らぬ街の灯りの上に、無数の赤い数字が浮かんでいた。
すべて「九日後」を指している。
その冷たい光を見据え、九重は静かに呟いた。
「必ず……防ぐ」
夜風がカーテンを揺らし、冷気が部屋に流れ込む。
だが九重の瞳には、赤い炎のような決意が宿っていた。
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